004 チュートリアル
「いやだなあ、こういう異世界。俺としてはスローライフ系が好きなんだけどな」
「え、なにか言った?」
「いや、だからさ。キミに言っても仕方がないか」
「――――――」
無視された。
そっちから質問してきたくせに。
なんだよ、酷いやつだな。と、思っているとどうやら違うことに気がついた。シャネルが動いていない。まるで時を止めたかのようにその場で停止しているのだ。
――なんだ? 時間が動いていない?
パチパチパチ、と乾いた音がした。それが拍手であることにはすぐに気がついた。
「さすがですね、朋輩」
お前かよ、と俺は思わずため息をついてしまう。
もっとも、これは安堵に近いものだったが。
「アイラルン、あんたには一つだけ文句を言いたい」
「なんなりと」
「異世界に飛ばすにしても、こんな森の中じゃなくても良かっただろ」
「そうはいきませんとも。この場所でなくてはダメでしたのよ。なにせここにはその子。シャネル・カブリオレがいるのですから」
「シャネルが?」
「はい。その子は朋輩にとって、異世界での水先案内人ですわ。だからその子と引き合わせるためには、この場所からスタートさせるしかなかったのです」
「ふうん、一応いろいろ考えてくれてるんだな」
「もちろんです。わたしはいつでも朋輩のことを思っていますよ」
「恋のように?」
「愛のごとく」
とまあ、こんな冗談も言い合える関係になったわけだ。
「それで、なんで出てきたんだよ。まだ異世界に来たばっかりだぞ」
「ですから、これでチュートリアルは終了です。どうですか、朋輩。異世界の感じは?」
「かなり動きやすいな。これはやっぱりアイラルンのおかげ?」
「そうです。しかし注意してくださいまし。朋輩が復讐しようとしている相手も同じようにパラメーターにバフがかかっておりますので」
「そこはなんとかしてくれよ。ほら、最近あったろ。忖度って言葉」
「別に昔からありますけれどね。なんにせよわたくしは公平な女神なので、あしからず」
「まあ、別にそれを知れただけで俺にとってはプラスか」
「それで、他になにか気になるところは?」
「あー、もう一つ。さっき俺は人を殺したわけだ」
「ですね」と、アイラルンはなんでもないように答える。
たぶん女神の倫理観なんてそんなもんなのだろうな。
しかし、人間のそれとは絶対的に違う。
「なのに何も感じていない。これははっきり言って異常だ」
「それでしたらわたくしが少々精神をいじっておきました。朋輩の復讐にはそのような感情は不要かと存じますので」
「むしろその気遣いが不要だな」
俺の言葉を理解していないのだろう、アイラルンは分からないわというように首を横に降った。
「たぶん、そんな復讐は楽しくない」
「楽しくない?」
「罪悪感のない復讐など楽しいか? 葛藤のない復讐の果に満足などあるものか? 清濁を合わせ飲んでこその復讐だ、俺は俺の悪意を抱きしめて、そしてやつらへの雪辱を果たす」
アイラルンは花を咲かせるように笑った。
「素晴らしい、それでこそ、わたくしの朋輩ですわ!」
と、格好つけてみたものの。ほかにも理由はある。
なんだか感情がない自分って不感症になっちゃったみたいで嫌だろ?
「というわけだ、倫理観その他だけは戻しておいてくれ。あとはなんの不満もない」
「わかりました。では朋輩、その御心だけは貴方のものとしてお返しします。朋輩の復讐に幸あらんことを。それでは――」
そして、時は動き出す。
「言っても仕方のないことなら言わないで」
ツンケンした物言いでシャネルは俺を睨む。
そういう気の強いところが素敵だと思う。
「ああ、ごめんごめん」
今の今までこの場所に女神がいただなんてこと、この子はまったく知らないのだろう。
それにしても周りの死体……なんて気持ち悪いんだ。今にも吐きそう、いやまだ大丈夫か。自問するが答えなどでない。けれど、もう二度と人など殺したくない。
と、思っていたらシャネルが驚くべき行動に出た。
死体のそばにしゃがみ込み、その体をあさり始めたのだ。
「な、なにしてるの?」
「こいつら、私の部族の宝を持っていったのよ」
「部族?」
「ああ、あったわ」
それは水晶玉のように見えた。だが普通の水晶ではない。中には燃える炎のようなものが入っている。それは今まさに燃え盛っており、水晶の中でうごめいている。
「なんだそれ?」
「魔道具よ。これはジャネレーターね」
「ジャネレーター?」
普通に考えれば発電機という意味だろうが。
「なあに、そんなことも知らないの。これがあると火属性の魔法の威力があがるの。まったく、おめおめ盗られるなんて私もうっかりしてたわ」
「でもさ、シャネルは追われたわけだろ?」
「そうよ、それがなに?」
「なんで?」
はあ、とシャネルはため息をついた。それを貴方に言う必要がある? とでもいう様子だ。
もちろん言う必要はない。けれど知りたいのだ。
じっとシャネルを見つめる。すると彼女は頬を少し赤らめて視線をそらした。
「別に、あいつら私を手篭めにしようとしてたのよ」
手篭めっていうと、簡単に言えばレイプって意味だよな?
なんだ、こいつらは盗人でしかも強姦魔なのか。そりゃあ死んで当然だ。
――本当にそうだろうか?
死んで当然な人なんているはずがない。
いけない、こんなことは考えるべきではないのだ。俺はこの異世界での生活を謳歌するべきなのだ。そして復讐を果たす。
「それにしてもさ、貴方――」
「シンクでいいよ」
「シンクね。それ、痛くないの?」
「それ?」
「その腕」
言われて腕を見る。
え?
全然気が付かなかったが、腕から血が出ていた。いつの間に? たぶんさっきの風魔法からシャネルをかばったときだろう。
アドレナリンが大放出していたのか、まったく痛みを感じなかった。
こういうとき、気がついてしまえば終わりだ。見たら突如として痛くなるというのはよくあること。今がまさにそれだ。
「い、痛い……」
「はあ、でしょうね。けっこう深く切れてるもの」
「治したりできないのか、魔法とかで」
「魔法? うーん、やってみるけど」
シャネルは何やら呪文を唱えて杖を振る。青白い光が俺の腕を包み、見る見る間に傷がふさがっていく。
「おお、すごい!」
俺は興奮して腕を振ってみる。
「あ、ダメよ!」
「え?」
――ブチン。
という音が聞こえた。
それはそれはおぞましい音だった。恐る恐る腕を見ると、見事なまでにパックリと傷口が開いている。先程よりも酷いくらいだ。
「ほら、言わんこっちゃないわ」
シャネルは至って冷静だ。それが少し腹立たしい。
「治ってないじゃないか!」
「そりゃそうよ。私、治癒魔法は苦手だもの」
だもの――って、まったく悪びれねえなこの女。
「痛い……痛い」
「もう、男の子でしょう。村で治療してあげるわよ」
「村って近い?」
「すぐそこよ」
嫌われただろうか、シャネルは面白くなさそうに俺を見ている。いや、彼女の場合は登場からずっとこんな顔をしていたか。
それにしても痛いのである。自慢じゃないが俺は痛みにはめっぽう弱い。ちょっとのことで大騒ぎするたちである。まったく、こんなので異世界で生活できるのだろうか。
森の中を進んでいくシャネル。俺は腕を抑えながらついていく。
なんだかこうして後ろから見ていると、シャネルはエルフのように見える。期待して耳を確認してみたが普通だ。この世界にもエルフはいるのだろうか?
「ねえ、エルフっている?」
と、俺は聞いてみた。
シャネルは振り返って、そして鼻で笑った。
「村にはいないわ」と、それだけ言う。
つまりこの世界にはいるのか。俄然期待が持てる。なにせ異世界といえばエルフだからな。エルフエルフエルフ、居たら良いな。
ふと、空を見上げる。雲ひとつない。異世界でも空の青さは同じだった。