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384 シャネルも読める日本語


 書斎の扉が開かれて、中に人が入ってきた。


「……ここにいた」


 フミナだった。


「あ、勝手に入っちまった。ごめん」


「べつに良い。なにか面白い本はあった?」


「いや――」俺は部屋の中心に置かれた交換日記を見る。「ないね」


 俺は消えてしまったアイラルンのことを考えていた。


 あいつはどうしてあんなに調子が悪そうだったのだろう。ここ最近は俺の前にあらわれてもすぐに帰ってしまうし。大丈夫なのだろうか?


「あら、すごい本の数ね」


 シャネルも書斎に入ってきた。


 たぶん2人での会話が一段落ついて俺を探しにきたのだろう。


「ワンワン!」


 パトリシアがフミナに近づいていく。フミナはしゃがんで頭蓋骨を撫でた。


「シャネル、本でも借りていったらどうだ?」


「いいの、フミナちゃん?」


「いいですよ。といってもこれはお兄様の蔵書ぞうしょですから後でことわっておきます」


「なあに、あの人の本なの? なんだか読む気がうせるわね」


 エルグランドのことを根っから嫌っているシャネルである。


「そういえばシャネルさんはカブリオレという性でしたね」


「どうだったかしら?」


 ことさら、シャネルは自分がガングーの子孫であることを自慢するつもりはないようだ。むしろ隠しているのだろう、おそらくね。


「面白い本がありますよ」


「面白い本? 興味あるわね」


 もしかしてと俺は思った。あの日記のことか。はたして、フミナが手にとったのはガングーとトラフィックの日記だった。


「これはガングー時代のものです。読んでみてください」


 シャネルは本を手にとって、ページをめくった。


「読めないだろ、それ」


 俺は思わず言ってしまう。


 だって中に書かれているのは日本語なのだから。


「あ、もしかしてシンクさん。中を見たんです?」


「まあね。そんな厳重に保管されてたからつい気になってさ。貴重な物だろうから、勝手に読んじゃったのは悪かったよ」


「いえ、いいんです。どうせ誰も読めないんですから。ただの古い紙です。中になにが書かれているのかすら分からないんですから」


 シャネルは最初にあった五十音を見た。


「それな、五十音。『ひらがな』って言うんだよ」


「知ってるわ」


 シャネルはすました顔で言った。


「え?」


 知ってるって?


 シャネルは次のページをめくる。どんどんめくっていく。そして、序文のあったページに到達した。


「願わくば。コレ……これを語りて。えーっと、この字はなんだったかしら。ああ、そうだわ。『平地人』ね。願わくばこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」


「おいおい」


 なんで読めるのさ。


「いま、読んだの?」と、フミナ。


「まあね。これ、ガングーの使っていた文字でしょ」


「ど、どこで習ったの?」


「実家でよ」


「お、おいシャネル――」


「どうしたの?」


「お前、日本語読めたのか? いや、待てよ。そうか、だからルオの国で翻訳もできたのか。そうだよな、あそこの国は漢字を使っていたから――」


 あれ? でも喋る言葉は通じている。


 なのに文字だけ違う?


 くそ、頭が回らない。どういうことだ? まさか俺たちが日本語を喋っていて、文字だけは他のミョウチキなものを使っているのか?


 分からない、あまり頭は良い方じゃないのだ。


「ねえシンク、もしかして貴方もこれ読めるの?」


「あ……いや」


 返答に窮する。それで、シャネルはなにかを察したようだった。


「読めるんでしょ? 嘘つかないで。これを読めない人が貴重な物だなんて分からないわ」


「まあ読めるね。それ日記だろ。ガングーと、トラフィックって人の」


 シャネルはパラパラとページをめくった。


「そうみたいね。なるほど、たしかにこれは貴重なものだわ。ガングーの直筆だなんて、それこそ歴史的書物だわ。そういうこと、だからプル・シャロン家に保管されていたのね。500年もの間」


「そうらしいね」


「あ、あのシャネルさん……」


「なあに?」


「それ、読めるならその……翻訳していただけないでしょうか? ドレンスの文字に」


 シャネルは少しだけ迷う素振りをみせた。けれど首を横にふった。


「ダメね」


「どうしてですか?」


「だってこれ、ガングーの日記なのよ。人様の日記を覗き見るなんていい趣味じゃないわ」


 あ、うん。ごめん。さっきまでめっちゃ見てました。野次馬根性だよね。


「そうですか……」


「それよりももっと気楽に読める本はないかしら、流行本みたいなものが良いわ」


「そういうものはお兄様も買い集めていないと思います」


「つまらないわね」


「本の好みなんて人それぞれだろうからな」と、俺。


 シャネルは日記を元あった場所に戻した。


「出ましょうか」と、笑っている。


 けれどその目が、俺を見つめたとき、少しだけ暖かくなった。


「な、なんだよ?」


 なにか言いたげな表情だ。


「べつに、なんでもないわ」


「おいおい、気になるな」


 シャネルがちらっとフミナを見た。


「2人きりのときにね」


 ん?


 もしかしてエロい話か? エロの話なのか!?


 ニヤニヤしてしまう。


「そうだシンクさん」


「どうした、フミナ」


「……なんかすごい笑ってる。あの、今日、泊まっていく気はないですか?」


「俺は良いけど。シャネルは?」


「良いんじゃないの? いまからアパートの方に帰るのも面倒だものね」


 たしかにね。いま何時か知らないけど、この屋敷に来てからそれなりに時間もたっているはずだ。お腹も減ってきているし。


「というわけで、よろしくお願いするよ」


「メイドの人たちに言って部屋を用意してもらう、同じ部屋でいい?」


「あ、うん」


 良いと思うよ。


「あ、ちょっと待ってフミナちゃん」


「はい?」


「部屋、今回は2つ用意してもらっていいかしら?」


「それは大丈夫ですけど」


「え、シャネル。別の部屋にするのか?」


 いままであんまりそういう経験はなかったけど……。


 え、もしかして嫌われたの?


 エロい話はどうなったのさ!?


「ええ、たまには良いでしょ」


 シャネルはウインクをしてくる。


 どうやら俺は嫌われたわけじゃなさそうだけど。もしかしたら考えがあるのだろうか。


「まあ、そりゃあ俺はどうしても同じ部屋じゃないとダメってわけじゃないけど」


 でも1人で寝る夜というのは、少しだけ想像できなかった。


 不思議なものだ。この異世界に来る前は誰かと一緒に寝たことなんてほとんどなかったのに。それこそ親とだって……。


 でも、ずっとシャネルと一緒にいてそういうことが普通になっていたのだ。


 自分は甘えん坊なのかもしれないと思った。でもそれは小さい頃から愛情を受けなかったからで……。


 ふと思う。


 フミナも同じなのかもしれない。


 だからこうして俺たちに泊まっていって欲しいと言ったのかも……。


 それをわざわざ検証する気もないのだが。


 じゃあシャネルは? 彼女は人に甘えることなんてあるのだろうか。


 いつもそう……たった独りでも生きていけるような顔をしているシャネルは。


 分からなかった。




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