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375 手向けの花束


 花屋に入ったシャネルは、両手いっぱいの花束が欲しいのだと店員に伝えた。


「両手いっぱいですか?」


「ええ、そうよ」


「どのような花にされましょうか?」


「そうねえ、こっちの赤いバラなんて良いわ。白いユリも素敵ね。赤いバラはビビアンのためにあるって言ったのはガングーだったわね。こっちの白いユリはプジョルの家の紋章だわ」


 ビビアン・プジョルというのは、たしかガングー・カブリオレの奥さんだったかな? 何回か聞いたことがあったけど……詳しいことは知らない。


「なんの花だ? 部屋に飾るのか?」


「いいえ。手向たむけにするわ」


 手向けってなんだ?


「それでしたらもっと主張の少ない花の方がよろしのではないですか?」


「いいえ、これくらい綺麗なもので良いんです。束にしていただけますか?」


「承知しました」


 店員さんが花束を作ってくれている。


 俺は「手向け」ってなに? と、シャネルに聞く。


「死んだ人とかにそなえることよ」


「大福とか、酒とか?」


「そうね。ワインもあって良いかも知れないわね。このあと買いに行きましょうか」


 俺は察した。


 そうか、シャネルのやつ。ココさんに花を手向けるつもりか。


 そうだよな、グリースから帰ってきて。まともに葬式もやってないんだから。


 それは死体がないのだからしょうがないことなのだけど……。


「ごめん、シャネル」


「なんで謝るの?」


「だって俺、ぜんぜん気がきかなかった」


 シャネルはココさんのことをずっと思っていたのだろうか? 復讐したかった相手に、結果的に助けられることになって。それでやっと気持ちの整理がついたのだろうか。


 だからいまから葬式の代わりをするのだ。


「べつにいいのよ」


 花束が用意された。


 シャネルはお金を払う。


「持とうか?」


「いいえ、けっこうよ。花束を持つのってね、女の子は好きなのよ」


「そうなのか」


 知らんよ。俺は女の子の扱いなんてぜんぜん分からないんだ。


 いつもシャネルのおかげで、やっていけてるんだ。


 花屋から出ると、空が薄っすらとだが暗くなってきていた。


「早く行きましょうか、墓地が閉まるわ」


「墓地って閉まるんだ……」


 よく考えたら俺、墓地には一度だけ行ったことがある。ヨツヤくんという友人が死んだときだ。

シャネルが歩いていくから、俺はそれを追う。シャネルの足取りは極めて一定だった。


 俺たちは互いに黒い服を着ていた。


 それは墓地に行くにはとても適した服に思えた。


 どれほど歩いただろうか、パリィの郊外。宮殿のある場所とはほとんど逆の方向にそれはあった。周りを柵で囲まれて、石づくりの墓がたくさん並んでいた。


 俺たちの他にも何人か人がいた。その人たちは全員が悲しそうな顔をしている。


「墓場っていうの笑顔がないなあ」


 わっはっは、と笑ってみせた。


 シャネルはそんな俺に微笑んだ。


「シンク、無理して笑わなくても」


「いやあ、なんか変な気分だからさ。それとも泣けばいいかな?」


「そうねえ、お兄ちゃんはどっちを喜ぶかしら? 私たちが笑っているのと、泣いているの」


「そりゃあ前者だろうけど」


 うふふ、とシャネルは笑ってみせた。


「やっぱりそう思う?」


 たぶん、墓地で笑いながら歩いている俺たちはさぞや不気味だろう。


 それでも俺たちはニコニコしている。


 それは他人をバカにするための卑しい笑いじゃない。他人を笑顔にするための、優しい笑みなのだ。


 シャネルが向かっていたのは共同墓地だった。


 ここには様々な人が埋葬されている。


 死体があっても身寄りのないような人たちが。日本だと無縁塚なんて言われるものがあったけど、まあそんな感じのものだろう。


 シャネルは両手にかかえた花束を愛おしそうにかかげた。


「ここにお兄ちゃんはいないのだけど――」


「ああ」


「でも、そう思うことにする」


 シャネルは空に向かって花束を放り投げた。


 そして杖を取り出して呪文を唱える。


 花束は一瞬で炎に包まれて、けれど中の花が燃えることはなかった。


 だというのに、空中で停止してみせた。


「さようなら、お兄ちゃん」


「さようなら、ココさん」


「好きだったわ。貴方のこと。いっぱい、色々なことを教えてくれて。でも私、これからはもう良いわ。シンクと一緒に自分で知っていこうと思います。どうぞ、安心してね」


 ゆっくりと、花束が溶けるようにして燃えていく。


 シャネルはそれをじっと眺めていた。


 燃えていく花束。


 愛のこもった花束。


 優しい花束。


 けれどそれは、永遠ではないのだから。いっそのことこうして、美しいままで燃やしてしまえば良いのだろう。


 シャネルはゆっくりとまばたきを繰り返して、つぶやくように言う。


「帰りましょうか」


 俺は無言でシャネルの手を握った。


 なんかあれだ、普通の恋人っぽいよな。


 いや、もちろん普通の恋人だぜ、俺たちも。


 シャネルは手を握り返してくれる。


「ココさんも浮かばれるさ」


「そうね」


 たぶんだけど、ココさんもいまごろあの世で喜んでくれているから。


 俺たちは2人で歩き出した。未来へと向けて。


 過去はこの場所に置いていく――。


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