374 酔っぱらいのフェルメーラ
カフェでのちょっとした騒動の後、俺たちはパリィの街をぶらぶらと歩いた。
「この前の魔王討伐だけど、どれくらいの人間が知ってるんだろうな?」
少なくとも冒険者の間ではひろまっている話しらしい。
「さあ、どうかしら。新聞なんかには何も書かれていなかったけれど?」
「一般の人にどれだけ広まってるかって問題だよな」
「分からないけど、あのガングー13世とかいう男がいたでしょう? あの男が国民に自分たちの作戦の失敗を知らせるとは思えないわね」
「たしかにな」
俺たちはいつの間にか凱旋門のある通りに来ていた。
そこには人が集まっており、何をやっているのかと思ったら兵隊さんたちが隊列を組んで行進していた。
「あら、今日は軍事演習かなにかをやってるのね」
「軍事演習ねえ。ガングー13世は本気で戦争するつもりなのか」
「と、いうよりも側近のエルグランドでしょう?」
おや、シャネルが名前を覚えているなんて珍しい。まあ、なんとかっていう有名人の子孫だからそれで覚えたのかもな。エルグランドはフミナの兄貴らしいけど、2人の性格はぜんぜん似ていなかった。
「こんな前時代的な装備で」
いまだに馬を移動手段にしており、長細いマスケット銃をもっている。
装飾をゴタゴタとつけた軍隊が歩く様子はたしかに威圧感もあり、サマになっているのだが。いかんせん戦争するとなれば殺し合いだ。強い方が勝つ。
ボルトアクション式ですらない元込め銃では、グリースとの戦いで遅れを取ることは明白だ。なにせあっちの国には鎧を着込んだ魔人の出来損ないがたくさんいるのだ。やつらの装備は現代的だった。
「せっかくだから見ていきましょうか」
「まあ、そうだな」
どうせやることもないのだ。
凱旋門のある広場で、兵隊たちが歩いてる。それを眺めている人たちも多かった。
このまま宮殿の方まで行くのだろうか? 交通規制もしかれているようだ。
「手でも振ってみたら、シンク?」
「えー、やだよ」
と、思っていたら。なんだか周りにいる人たちはけっこう手を振っている。それで兵隊さんたちの方も振り返したりして……思ったよりもほのぼのとしているぞ。
てっきりこれから始まる戦争を恐れて険しい顔をしているかと思ったが。
「すごいな、なんか余裕そうだ」
「そうね」
「――いや、ぜんぜんダメだな」
いきなり、話しに入られた。
「え?」
どこかで聞いた声だな、と思った。
なれなれしく、肩を組まれる。
「やあ、シンクくん。久しぶりだね」
顔に酒臭い息がかかった。
ガタイの良い鷲鼻の男。この人は知っている、覚えている。パリィで革命をしようとしているフェルメーラだ。けっこう前に――ココさんがまだ生きていたときだが――何度か会った。
「あんた、昼間っから酒を飲んでるんですか?」
なんてダメなやつ!
……あれ、それ俺も同じじゃないか?
「まあそう言うなよ。しばらくぶりだね? どうやら大変だったそうだね」
この人はいったいどこまで知っているのだ?
「ま、まあ」
「グリースに行ってたんだってな」
「あんた……」
まさかそこまで知っているのか?
いや、榎本シンクという人間が魔王討伐に失敗して帰ってきたというのは冒険者の間では常識らしいから、この人が知っていてもおかしくないか。
「生きていてくれて良かった。キミが死ねばビビアンが悲しむだろうからね」
「ビビアン……ですか」
そうか、この人は知らないのだろう。
ココさんが死んだ、ということを。
「そちらの美女は? シンクくんの彼女かな?」
「ごきげんよう」
シャネルは適当に挨拶した。
「お会いできて光栄です、アルピーヌ・フェルメーラです。以後お見知りおきを」
それに対して、フェルメーラは酔っぱらいにしては驚くほどに丁寧な挨拶を返した。
その仕草はちょっとだけ優雅さすら感じられるもので、この人はたぶんシラフだったらそうとうモテるだろうなと思った。
「アルピーヌ?」
シャネルが首を傾げた。
「はい、アルピーヌです」
「これは失礼したわ。私はシャネル・カブリオレ」
「ほう、カブリオレですか。お手をいただいても?」
「お断りするわ」
なんかよく分からないなあ、会話の意味が。
「そうですか。じゃあシンクくん、代わりに手をいただいてもいいかい?」
「どうぞ?」
よく分からないので手を差し出した。
握手でもするのかなと思ったのだ。
しかしフェルメーラはひざまずいて、俺の手をとり甲の部分にキスをした。
あ、なんかこの挨拶見たことある!
っていうか……酔っ払いめ。
俺はとっさにフェルメーラを蹴り上げる。蹴りを受けて地面を転がっていくフェルメーラはゲラゲラと笑っている。
「気はすみましたか?」
と、シャネル。
「いやはや、手厳しい対応。もとい足厳しいかな?」
「ぜんぜん上手いこと言えてねえからな」
俺は蹴ってしまったことにたいする謝罪として、倒れているフェルメーラに手を差し出した。今度はキスなどされずに、普通に手をとって立ち上がってくれた。
「まったく、ちょっと外にワインを買いに来たらつまらないものを見てしまったよ」
「そうですか? なかなか面白い見世物じゃないですか」
「そうかい。僕からすればこんな練度の低い兵隊、見るのもおぞましいね」
練度、低いのか?
ぜんぜん分からない。みんなきちんと整列していて、たしかに顔は緩んでいるけど強そうっちゃ強そうだ。
「兵隊だったことがあるんですか?」と、俺は聞いてみる。
「まあ、そんな感じかな」
この人は何歳くらいなんだろうか?
アラサー? アラフォー? 人懐っこい顔をしているから年齢が定かではないが、まあ俺たちよりは歳をとっていることは確実だ。
「シンク、この人とはどこで知り合ったの?」
「ああ、シャネルは知らなかったな。あの、この人はあれだ……ココさんの」
「兄さんの? なに?」
「知り合いというか。あの……なんて説明すりゃあ良いんだ?」
「兄?」と、フェルメーラもキョトンとしている。
ああ、面倒くせえ!
この人あれか、ココさんが男ってのも知らなかったのか。
説明が、説明が面倒だ!
「あの、つまり、その。とにかく俺たちは共通の知り合いがいるんだよ。ココさんっていうね」
「ふうん、お兄ちゃんの知り合い。あの人、この国で何をやっていたの?」
「なあ、シンクくん。ちょっと――」
「なんっすか?」
俺はフェルメーラさんに少しだけ離れた場所に連れて行かれた。
「彼女は先程からいったい何を言っているんだい?」
「え?」
「だからさ、お兄ちゃんとかって」
「だから、あの、つまり……ココさんって男なんですよ」
「あっはっは、キミは冗談が上手い。それにしてもそうかい、彼女はビビアンの妹なのか。通りで似ているわけだ。ビビアンは美しいしね」
あ、この人信じてないな。
いやまあ、いきなりココさんが男って言われても信じられないのは無理もないことか。
「シンク、そろそろ行きましょうよ」
シャネルが呼んでいる。
「せっかくだ、飲みに行かないかい?」
「どうしよう。シャネル、一緒に飲みに行こうってさ」
「申し訳ないけど私は用事があるわ。シンク、行きたければどうぞ?」
「いや、俺もついていくよ。というわけでごめんなさい、フェルメーラさん」
「まあ良いさ。ビビアンに会ったら僕が寂しがっていたと伝えておいてくれ」
「分かりましたよ」と、俺は答えた。
けれどそれが不可能であることも、俺は知っていた。
俺は嘘をついたのだ。
だってココさんはもう……。
フェルメーラさんは手を振ってくれた。
俺たちは行進して行く兵隊に背を向けて、それとは逆方向に歩いていく。
「用事なんてあったのか?」と、俺はシャネルに聞いた。
シャネルはおごそかに頷いた。
「いまできたのよ、用事が」
つぶやくのだった。




