366 エピローグ
俺たちは船に乗っていた。
グレート・ルーテシア号。来る時に乗った船と同じ、ドレンスとグリースを結ぶ定期船だった。
大地ははるか水平線のかなただ。
「ねえ、シンク。私には分からないの。お兄ちゃんはどうして私たちのことを逃したのかしら?」
「それはシャネル……あの人はお前のことが好きだったんだよ」
「それって恋愛感情?」
「分かっててそういうこと言うなよ。家族愛ってやつさ」
「……そうね」
シャネルはつまらなさそうに海を見ている。そんなふうに見つめられたら、海の方だって困ってしまうだろう。
「あの人はさ、退屈だったんだよ」
夢の中で見た記憶の中で、そんなことを言っていた。
「退屈……?」
「なんでもできるのが、逆に辛かったんだと思うよ。そういうのって俺は分からないけどさ」
「たしかにね、お兄ちゃんはそういう人だったわ。小さな頃からなんでもできて。村を飛び出して行ったときだってね。村の人たちはみんな反対したのに、たった1人で大立ち回りを演じて。それでね……それで……」
思い出がこぼれ落ちるように、シャネルの目から涙がこぼれた。
しずくは海に混じって、見分けなどつかなくなった。
「でもシャネル、これだけは確かだ。あの人はお前のことを大切に思っていたんだ」
「お兄ちゃんに教えてもらったことはたくさんあるわ」
「ああ」
「お兄ちゃんはときどき村に帰ってきて、外の話しをしてくれたわ。外の世界の話しを」
「うん」
俺にはただ、相槌をうつことしかできなかった。
「魔法だってお兄ちゃんに教えてもらったの」
「そうかい」
「この杖ね、お兄ちゃんにもらったのよ」
「思い出の品だ」
「初めて読んだ本を読んだとき、分からないことは全部お兄ちゃんに聞いた」
「本を読むってのは良いことさ」
「でもね、恋については……うまく教えてくれなかったの。ただそういう素晴らしいものがあるってだけ。異性を見てドキドキするってことが恋だって言ってたけど、それがどんなものかお兄ちゃんにも分からなかったみたい」
「うん」
「それを教えてくれたのはね、シンク。貴方よ」
俺はちょっと照れた。
照れて、視線をそらした。
そういうことをはっきり言われると、なんだ。むず痒い。
「そろそろ中に入ろうか。陽が落ちてきたぞ」
「……ごめんなさい、もう少しだけ」
「良いともさ」
シャネルがこうやって俺の言うことに反対するのも珍しい。
「でもね、私にいろいろ与えてくれたお兄ちゃんは、同時に私からいろいろなものを奪っていったわ。村の人たちを皆殺しにして……」
「それはたしかに擁護できることじゃないけど……けど、あの人はある意味お前を守るために村人を殺したんだと思う」
もしもあそこで金山が村を破壊していれば、シャネルも殺されていただろう。
それをされないために、ココさんは自分で村人を殺したのだ。シャネルを残して。
もちろんシャネルにとってそんなことは関係ないのだが。シャネルからしてみれば、ココさんはいきなり村の人たちを殺した憎き復讐相手だ。
「どうしてそんなことを言えるの?」
「なんとなく。勘ってやつさ」
本当は見たのだけど。それを言うのはなんだか嫌な気がした。
「勘、だってさ」
「俺の勘はよく当たるんだぞ?」
「ええ、知ってるわ」
「だからさ、シャネル。こんな言い方酷いかもしれないけどさ。許してやれよ。ココさんのこと」
「私の復讐は終わっていないのに、許せって言うの?」
「それは……」
シャネルは力なく微笑んだ。
「お兄ちゃんは卑怯だわ。最後の最後であんなふうに。これじゃあ、私はもう一生あの人のことを恨めない。許すしかないって、そう思っちゃう……」
シャネルの復讐心は不完全燃焼なのだ。
彼女の中でなにも解決しないまま、全てが終わってしまったのだ。
人は目的をはせなかったとき、さてどうするか。
それは簡単だ。
代償行動である。
なにかの代わりに、他のものを探す。そしてその何かを俺は提示してやらなければならない。
「シャネル、俺に力を貸してくれ」
「えっ?」
「お前の兄貴、ココさんを殺したのは金山だ。つまりあいつはシャネル、お前の復讐相手を殺した相手だ。つまりさ……どうだよ。あいつさえ殺せばお前の復讐は果たされるんじゃないか?」
「そういうの、なんて言うか知ってる? おためごかしって言うのよ」
「なにそれ?」
おためごかし?
「自分のために言ってるくせに、あなたのためですよって言い訳すること。でもまあ、それでもいいわ。シンクのためになるなら、それが私のためにもなるわ。だからね、シンク。次こそちゃんと殺しましょうね。あの男を――」
シャネルの目に光が宿った。
人はなにか目的がなければ生きていけない。
その目的がいま、うまれたのだ。
「絶対に次は勝つさ、当然だ」
「それにあの男は私のお友達のカタキでもあるんだから」
そうだ、ティアさんのこともある。
もしかしたら、と俺は思った。この復讐はもう俺だけのものではないのかもしれない。俺とシャネルの復讐だ。
陽が沈んでいく。
俺たちを乗せた船はドレンスへの帰路を進む。
シャネルがそっと俺の手を握った。俺もそれを握り返すのだった。
第五章、これにて終了です
本当に長いお話でした、読んでいただきありがとうございます
明日はオマケのステータスで、その後は第六章【魔王】の更新に入ります
気長に読んでいただければ幸いです




