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364 水魔法は愛


 ゆうゆうと歩いてくるココさん。


 しかしよく見ればその髪は少しだけ乱れており、服には汚れがついている。


 それでも歩くココさんの姿はどこか堂々とした美しさのあるものだった。


「榎本シンク、キミにはがっかりだよ」


 いきなりダメ出しされた。


「すいません」と、とりあえず謝っておく。


「四天王くらい全部潰しておいてくれよ、おかげでひと手間増えた」


 つまり、そういうことか?


 俺は一瞬で察した、ココさんはカーディフを倒してここに入ってきたのだ。


「ココ、お前が裏切ることは分かってたぞ」


 金山はすでに俺たちではなく、ココさんの方に意識を向けている。


 当然といえば当然だ、満身創痍でいつ死ぬかも分からない俺と、攻撃手段を持たないシャネルより、いまにも魔法をぶっ放しそうなココさんの方が脅威だろう。


「へえ、そうなのかい魔王様。それでも私を隣に置いてたなんて、そうとう入れ込んでるのね」


「まさかお前と同じガングーの血を引く人間が生きているとはな。わざと生かしたんだろう、最初から裏切っていたのか」


「べつに裏切っちゃいないさ、キンサン」


 ココさんは金山のことをキンサンと、そう呼んだ。それは親しさの現れだろうか。


 それにしてもひどい名前だ。金山だからキン、に、サンだ。金の山。水口のやっていたウォーターゲート商会とどっこいのセンス。


「ではなぜこの女を生き残らせた」


「ただの気まぐれさ」


「ふざけるなよ、ココ・カブリオレ!」


 金山が剣を地面に突き刺して、魔法の詠唱を開始しようとする。


 だがその前にすでにココさんは構えをとっていた。


「この世の全ては我が手中。世界を愛し、世界をとらえ、世界を保存し、なにも無く。過不足いっさいないこの世には、いま時間さえも停まってみせる――『クローズド・ワールド』」


 ココさんが呪文を唱えると、なにもなかった場所から巨大なアイアン・メイデンが出現した。


 鉄の処女と呼ばれるそれは、内部の空間に無数の針がしきつめられた拷問器具だ。


「バカな、五行魔法だと!」


 前面にある左右のドアはいま現在開いている。が、金山を飲み込むようにして手早くドアがしまっていく。


 金山の断末魔のような叫び声をあげながら閉まるドアを抑えようと必死になるが、無駄だった。


 無慈悲にドアは閉まり、あとには物言わぬ鉄の人形だけが残った。


「や、やったのか?」


 俺は思わず、そんな三下のセリフを言ってしまう。


「まさか、こんなのはただの時間かせぎさ。なんだい、シャネル? すごい顔してるよ」


「お兄ちゃん……どうしてここに」


「どうしてでもいいだろう。それよりほら、キミの杖だ」


 ココさんはシャネルに杖を放り投げる。


 シャネルは慌ててそれをキャッチした。


「ココさん……あんた、五行魔法は使えないはずじゃ?」


「おや、なんで知っているんだい?」


「そりゃあ……」


 だって、かつての記憶の中でココさんは金山にスキルを奪われていたのだから。


「お兄ちゃん!」


 シャネルが金切り声をあげて、杖をココさんに向けた。


「ふむ……」


 ココさんは冷静にその杖を見つめる。


「なんでいまさら出てくるのよ、私に殺されに来たの!?」


「言っておくがね、シャネル。そんなことをしている場合じゃないよ。さっさと魔法でそっちの彼を治してあげるんだね。そうしないと――」


 ココさんはティアさんの死体に一瞬だけ視線をやった。


「――そっちのエルフの女王様みたいに、キミの大事な人も死ぬ」


「私が治すの、シンクこんなに怪我してるのに。意地悪しないでよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんがやってよ。私には無理よ」


「なんだい、まだ水魔法が苦手なのかい? あんなに教えてやったのに、ダメだなあ」


「お兄ちゃん!」


 シャネルは自分でもどうすればいいのか分からないのだろう、ココさんに向けた杖を下ろすことはしない。けれどその目には復讐の色は浮かんでいなく、むしろ尊敬する兄に頼ろうとしてるようだった。


「シャネル、甘えるなよ。自分の好きな人くらい自分で守るんだね」


 俺はなんとか立っていたのだが、ふとした拍子に倒れてしまう。そのまま立ち上がれない。


「シンク、しっかりして!」


「まずい……限界だ」


「早く治すんだ、シャネル。さもなくば――」


 言葉を言い終わらない内にアイアン・メイデンが爆発した。


 中から傷だらけの金山が出てくる。


 しかしその傷はすぐさまふさがっていく。


 金山は俺たちを見て下品に笑う。


「さもなくば、どうなるんだ。ココ・カブリオレ?」


「ったく、もう出てきたかい。シャネル、早くするんだ。私が時間をかせぐうちに。そして逃げろ!」


「やるわよ、お兄ちゃん! やればいいんでしょ!」


 シャネルはやけくそ気味で杖を振るう。


「その意気だ。あ、でもお兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんと呼んでおくれ」


「いまさらそんなことを!」


「シャネル……頼むぞ」


 金山が仰々しい詠唱を始める。それに対してココさんも同じような詠唱をする。


 それらと比べたら、シャネルのものは優しいものだった。


「晩夏立ち込めし陽炎のような愛情で、我が愛しき人を癒やしたまえ――『ヒール』」


 それで俺の体の傷が少しだけ塞がる。


 シャネルが俺の目を覗き込む。どう? と、視線で聞いている。


「……ぜんぜんだ」


 けれど少しだけ喋れそうだった。


「もう1回かけるわよ」


「早くするんだ!」


 ココさんは俺たちの盾になって金山の猛攻をしのいでいる。


 五行魔法とはすごいものだ。なにもない場所から無尽蔵に物質が飛び出してくる。矢でも鉄砲でも自由自在。一度の詠唱で無数の武器が飛び出してくる。


 しかしそれに気を取られている暇はない。


 シャネルは必死で俺の傷をふさごうとしている。


「ダメ……治らない」


「落ち着け、シャネル」


 少しだけ楽になっている。それはたしかなのだ。


「シャネル、よく聞け!」


 ココさんが五行魔法を放ちながら、こちらにアドバイスをくれる。


「うん、お兄ちゃん!」


「いいかい、水魔法は愛で唱えるんだよ!」


 あ、この人あれだ。感覚で人にものを教えるタイプだ。


「分かったわ!」


 分かったのかよ……。


 やれやれ、変な兄と妹だな。


 でも嫌いじゃない。


 これはあれだな、次のシャネルの魔法が失敗しても、意地で立ち上がってやらなくちゃな。


「いくわよシンク――」


 けれど、それは杞憂だった。


 シャネルの唱える水魔法は俺を包み込み、一瞬にして俺の傷を全て治した。


「やった、やったわ!」


 これに驚いたのは、俺ではなくてむしろシャネル本人だっただろう。


 シャネルは喜びをココさんに伝えようとするが――。


 その瞬間、ココさんの右半身が吹き飛んだ。


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