355 ココの思い、哀れなシャネル
目を覚ました瞬間、視界のすみを銀色の髪がかすめた。
「ううっ……」
どうやら俺は牢屋に入れられていたらしい、石畳のような地面に横になっていた。
少し遠くに見える鉄格子は開いており、その先には赤い目をした男――あるいは男の娘――がこちらにを睨んで仁王立ちしていた。
「自分で起きたのなら上々だ。もっとも、そうしなければ殺していたかもしれないがね」
「ココ……さん?」
やっぱり来ていたのか、グリースに。
俺は警戒しながら立ち上がる。この人が敵か味方かまったく判別がつかない。一つ分かるのは、魔王にもっとも近い位置にいる人間であることはたしかだが……。
「キミにはまったく失望したよ。やるなと言ったことをやって、その挙げ句に罠にはまってこんな場所でおねんねかい?」
「俺は……いったいどれくらい寝ていたんですか?」
「さあ、詳しくは知らないよ。けれど半日くらいだろうね」
「くそ……」
とはいえ、あれだけたくさん魔王の記憶を見て半日ならば、思ったよりも時間はたっていなかったと思うべきか。
シャネルはどこだ? 見あたらない。
それに俺は丸腰だ。刀もモーゼルもない。寝ている間に没収されたのだろう。
「お探しはこれかい?」
ココさんの両手には、いつの間にか俺の刀とモーゼルが握られていた。
「俺の武器!」
「シンク、キミのことはここから出してやろう。武器も持っていくがよいさ。そしてさっさと尻尾を巻いて逃げるんだね」
「なに?」
「分かっただろう、キミごときじゃ魔王には勝てない。たかが四天王にしてやられる程度のキミではね」
「だから逃げろっていうのかよ!」
俺はココさんに歩み寄ろうとする。
けれど、見えない何か空気のカタマリのようなものを腹部にうけて、吹き飛ばされた。
壁に激突する俺。まったく痛みはない、それよりも頭に血がのぼっている。痛いだのなんだの言っている暇はないのだ。
「そうだ。いまなら脱出できるかもしれないよ」
「シャネルはどうなる!」
「諦めるんだね」
「ふざけるな!」
「一つ聞こう、なぜそこまでしてシャネルにこだわる?」
「好きだからだ!」
そんなの当たり前だ。
好きな女の子を守りたい。男なら誰だってそう思う。俺はそのために力を持っているんだ。
「たとえ相手に勝てないとしても?」
「やってみなくちゃ分からねえ!」
もしもこれでもうだうだ言うなら、ぶん殴ってでも武器を取り返してもらう。そういうつもりだった。
けれど俺の言葉を聞いて、いままで俺を睨んでいたココさんは微笑んだ。
「合格だよ。試して悪かったね。武器はかえす」
「あんた、俺のことを本気で殺す気だったろう?」
「あら、どうしてそう思う?」
「モーゼルの銃身を向けながら、武器をかえすなんて言ってる人間だろ」
「ふふん、まあそうだね。もしもキミがシャネルのことを助けないなんて言ったら、の場合だけど」
首の皮一枚、か。
もっとも、俺からしてもシャネルを助けないなんて選択肢はないのだが。
俺はココさんから武器を受け取る。どこにも異常はない。モーゼルの弾もちゃんと入っている。いますぐ戦えそうだ。
「さて、私はもう行くよ」
「行くってどこへ?」
「べつにキミと一緒に行動する義理はない。私はキミのママじゃないんだからね」
やっぱりココさんは怒っているのだろう、言葉がつんけんしている。
そりゃあそうか、シャネルを守るなんて言いながらみすみす俺はシャネルを奪われたんだ。変なことされてないだろうな、シャネル。
「なあ、一つだけ聞かせてくれ」
「なんだい」
「あんたはどうして魔王と一緒に行動しているんだ。俺の口から言うのも説得力がないかもしれないが、あいつは最低な野郎だぞ」
「それでもね……暇はしなかったよ」
「暇だって?」
「私はね、産まれたときからなんでもできた。誇張でも自慢でも思い込みでもない。本当になんだってできたんだ。魔法だって剣術だって、人に教わらなくても全てが扱えた」
「羨ましい限りだよ、俺にはそういう才能みたいなのはなかったからな」
だからイジメられて引きこもりなんてやっていたんだろうさ。
「才能? いいや、違うね。私はもともとそういう存在だったんだよ。才能とかスキルとかそういうのじゃない。ただそういう存在として生まれた。けれどね、私はこの世界で目立つわけにはいかなかった」
「ガングーの子孫だからか?」
「しかり。だから偽名を名乗って冒険者なんてやったけど、これがまたつまらない」
「それで、魔王とこの世界を無茶苦茶にする理由になるのか?」
「なるさ――私はね、飽き飽きしていたんだよ。この世界に。この心の中に、空虚な風が吹いていた、ずっとだ! シンク、キミには分からないだろうね。シャネルにも分からないだろうさ」
「勝手なやつ」
と、言ってから俺は気づいた。
似ているのだ、ココさんは。魔王と……あの男と。
「話はこれで終わりだ」
「まってくれ、ココさん!」
「なんだよ、一つだけ聞くと言っただろう」
「じゃあ、シャネルはどうなんだ」
その瞬間、ココさんの顔が歪んだ。
美しいお面のようだった顔に、ありありと感情が浮かぶ。しかしその感情の複雑なこと。
――怒り?
――愛情?
――憐憫?
複雑な感情が混じり合って、ココさんは苦々しい顔をする。
「シャネルは……私の妹だ」
「それは知ってる」
「それだけさ」
「それだけじゃないはずだ。あんたはシャネルのことだけは生きて逃した。なにか理由があるんだろう。いまだって! 俺にシャネルを助け出させようとしている!」
「調子に乗るなよ、シンク。キミがシャネルを助けだせるなんて思っちゃいないさ」
「じゃあどうして!?」
「私はね、昔からずっとシャネルのことを哀れに思っていたんだよ」
「哀れだって?」
「あの子にはなにもない。私のように力があるわけでもなければ、自ら外の世界に出ようとする意思もなかった。ただあの村で一緒を終えるだけの人生を歩もうとしていた」
そうだろうか?
シャネルに意思がないなんてことあるだろうか。
いいや、違う。そうか。それは全てココさんを殺すために生まれたものなのか。彼女があの村を出たのも、ココさんを殺すため……。
「あの村はね、ひどい村さ。ガングーの血を引き継がせるだけのただの揺りかご。それでもね、シャネルは満足しているようだった……それが私には哀れで。可哀想で。なにも知らないで死んでいく人生なんて」
「ココさん、あんたじつはシャネルのことを愛してたんだろう? 兄妹として」
「さあ、どうだかね」
「いまのシャネルは哀れかよ?」
「知らないよ、会ってないもの。でもキミを見ていると……そうね。きっと楽しくやっていたんだろうね、キミたちは」
「あんたと魔王はどうだったんだよ」
「さあ、お喋りはもう終わりだ」
ココさんは俺の質問に返事をしなかった。
そして牢屋を出ていく。俺はそれを追いかける気にもいなれず、少しだけその場にいた。
牢屋には俺以外に人はいない。けれど牢はいくつもある。中には血まみれの場所もあって。いったいここでなにがおこなわれていたのだろうかと考えをめぐらせてしまう。
「おや? 扉が開いている」
声が聞こえた。
どこかで聞いた声だ。
牢屋は地下にあるようで、入り口の方には階段がある。外からの光は入り口から入っており、そこに影がうまれている。誰かが降りてきているのだ。
「まったくさ、魔王様も人使いがあらいよな。わざわざ魔法で眠らせるって。さっさと殺しちゃえばいいのにあんなやつ」
金色の髪が見えた。まだ子供のようだ。
あれはそう……魔王軍の四天王が1人。名前はたしかロンドン。
この宮殿に入ったときに俺を眠らせた張本人だ。
隠れる場所などない。このまま戦おう。どうせ魔王を殺すんだ、ついでに四天王も倒してしまえばいい。
俺は暗闇の中でモゼールを構えて、打ち出した。
次の瞬間にはロンドンの小柄な体が弾け飛ぶ。
――やったか?
階段を転げ落ちるロンドン。そのまま死んだかと思ったが、すぐに起き上がった。
「な、なんでお前! 目を覚ましているんだ!」
見かけによらずタフなのだろう。
「ガキと違って大人は夜ふかしもできるんだよ」
てきとうに言う。
ロンドンは階段を駆け上がり逃げた。
俺もそれを追う。
シャネルの居場所を吐かせなければならない。
そういう考えだった。
だが、階段を登りきって外に出た俺を待ってたのは――魔法の一撃だった。




