347 ガングーの演説
また真っ暗な空間にきた。
記憶の光景から戻ってきたのだ。
「なんで人様の童貞卒業の瞬間を見なくちゃなねえんだよ、クソ」
あんまりにも嫌だったので見ていないけど。
それにしてもまあ、ひどい話だ。
昔のドレンス人は野蛮だったのだな。戦場だから何でもしていいわけじゃないだろうに。
「とはいえ、記憶の光景はさっきより時間がたっていたな」
少年期から青年期へ。
もしかしたらこのまま進んでいけば、この空間から出られるのでは? それは希望的観測だろう。そうなるといった確証はなに一つないのだ。
「とはいえ、とはいえ。いまはやるしかない」
また遠くに光が見えた。
覚悟を決めてそちらに行く。
「変なもん見せるなよ、クソ野郎が」
キンサン・ブルアットルと名乗っていた男。その男がいま現在はこの国をおさめる魔王なのだ。俺が殺さなければならない相手。
その相手の記憶を、俺はいまから覗き見る。
光に触れた――。
一瞬にして目の前にはかつての光景が広がった。
いま、ブルアットルは兵士として整列している。
全員が同じ方向を向いている。視線の先には1人の男がいた。
まるで学校でやる全校集会みたいだ。兵士たちはみんな静かに校長先生の言葉を待っていた。
「あの人……」
俺の視線はその男に釘付けになった。
長身で、痩せ型。強そうか弱そうかという尺度で見れば、あきらかに後者である。だというのに目だけは異様にギラついていて、いかにも好戦的、野心的だ。
表情には確固たる自信がみなぎっており、まるで自分こそがこの場を支配しているのだとでも言いたげだった。しかしその自信は気分の悪いものではなく、その男を眺めている兵士たちはみな一様にこう思っている。
――この人にならばついて行ける、地獄へだって!
男は地面すれすれまで裾の伸びた、超ロングコートを着ている。それは俺が現在着ているコートとよく似ていた。悔しいが、男の方が俺よりもそのコートが似合っているようだった。
美男子。
というよりも、匂い立つような色気のある顔をした男だ。
決してひ弱なわけでも、逆に獣臭いわけでもない。どこか超然的な雰囲気をかもすその男の名は――。
「ガングー」
俺は一目見た瞬間に察した。
あの男こそ、ガングー・カブリオレ。
シャネルが尊敬してやまない偉人であり、ドレンスの皇帝となる男。
このときはまだ違うのだろうか、将軍の軍服にロングコートを羽織っている。どう見ても皇帝の装いではない。しいて言えば、洒落者な指揮官。というよりもそれそのものだ。
「諸君、今回のヘスタリア戦線。我々へスタリア方面軍はまずまずの成果をあげた」
最初、その演説は静かな口調ではじまった。
「我々は数度の勝利をおさめた。これは誇っていいことである」
兵隊たちから歓声があがった。
だがガングーはなにも答えない。逆に黙ってしまった。
兵たちの熱が引いていく。ざわざわとした声がする。しかしそれでもガングーはなにも言わない。やがて、兵士たちは全員黙りこくった。
そこで、ガングーはまた口を開く。
「――お前たち、これで満足か?」
誰も、なにも言わない。言えない。
ガングーは笑った。それはこの場にいる兵士全員を、この俺が認めてやるというような尊大な笑顔だった。
「俺は、まだ満足をしていない。ルーテシア!」
いきなり呼ばれたルーテシアは、なんだよと面倒そうに顔をあげる。
「お前は満足か?」
「いいや、総司令。まだ略奪したりねえな」
「馬鹿者! 俺たちがいまからするのは略奪ではない、併合だ。分かるか、全てが俺たちの手の中に入るのだ。問おう、栄光あるドレンス陸軍の諸君よ! 我々は、強いか?」
その瞬間、誰かが叫んだ。
「強い!」っと。
それはおそらく最初から仕込まれたものだった。
ガングーは満足そうに頷くと、さらに言う。
「そうだ、我々は強い。だが覚悟しろ、相手も強い。だが戦えば我々が勝つ。どうだ、そう思うか、我々が勝つと思うか?」
二極化された質問。「はい」か「いいえ」で答えられる、単純なもの。
誰かが「勝つ!」と叫ぶ。最初は1人が、つぎにその隣の者たちも。そしてそのまた隣も。まるで津波が街を飲み込むように、熱狂が兵士たちを包み込む。
「そうだ、我々は勝つ! 勝って、へスタリアを併合する。そのためには力が必要だ、暴力的なまでに強い力が。我々にはそれがあるか!?」
「ある」という答えを、兵士たちは腹の底から叫んでいた。
「我々は強いか?」
「強い!」
「我々は勝つか?」
「勝つ!」
「我々はすでに満足したのか?」
「してない!」
やがて始まるシュプレヒコールは、大地を揺らすほどのものだった。
最初はそれを黙って見ていたブルアットルも、やがてその熱狂にあてられる。もともと流されやすい性格なのだ、一度叫びだせば楽しくて仕方がなくなったのだろう。まるでガングーに呼応して叫ぶことそれこそが最上の喜びであるかのように叫び続けた。
ガングーは身振り手振りも交えて兵士たちの意思を統一させる。
「我々ドレンス陸軍は、この世で最も強い! 史上、最強だ!」
最強、最強、最強と掛け声があがる。
「史上!」
と、ガングーが水を向ける。
「最強!」と、兵士たちは叫ぶ。
俺はその光景を、ある種精神的に離れた場所から見ていた。
――怖いな。
そう思う。
あのガングーという男、たしかに英雄だ。しかしそれはアジテーターとしての。
たとえばヒトラーやムッソリーニ、ナポレオンのように。民衆を扇動して世界を動かすような男だ。この苛烈なカリスマ性に、熱狂しない男はいない。だとしても、灼熱の太陽が人を焼き尽くすように、このガングーという男はこのドレンスを焼き尽くすだろう。
やがてシュプレヒコールは終わった。
ガングーが終わらせたのだ。
「よろしい。ならば我々は進むぞ、このさきに。約束しよう、諸君! このガングー・カブリオレが見せてやる。誰も見たことのない世界を、地平線のかたなを、宇宙のはてを! 諸君、行軍開始だ!」
ゆっくりと、兵士たちは一つの群れとして歩き出す。
その速度は鼓笛隊の鳴らす打楽器のリズムにより早くなっていく。
この集団はどこに行くのだろうか? 俺は不思議に思った。
ブルアットルはどこか陶酔したような表情で歩いていく。
なぜだか知らないが、俺はその後ろ姿がとても悲しく見えた。あの日、幼少期のブルアットルが木の棒を取りに戻ったときのようにも見えた。
いったい、ブルアットルはなにを得ようとして歩いているのだろうか?
「やめろよ」と、俺は言った。
けれどその声は当然、ブルアットルの耳には届かなかった。




