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337 水晶宮での戦い1


 飛び出したシャネルは怒りに任せたままに杖を振る。


「晩夏立ち込めし陽炎のごとき虚しさで、我が怨敵おんてき灰燼かいじんとかせ!」


 地面から噴き上がるように出現した炎の渦がエディンバラの周りにまとわりついた。


 床に散らばっていたガラスの破片が舞い上がる。その破片たちは高熱により溶けていく。


 ――これは、やったか?


 そう思った次の瞬間、炎の渦の中から黒い魔力のカタマリが溢れ出た。一瞬にしてシャネルの魔法が打ち破られた。


「美しい……」


 エディンバラがシャネルを見て、口を開く。


 両肩の後ろから、まるで羽のように黒い手が出ている。もっとも、それは手というには指の部分が禍々しく、また長いのだが。


 アンバランスな手、それは干からびたミイラのものに似ている。


「美しいものは必ずしも正義ではないわ、醜いものそれ自体が悪ではないように――」


 シャネルは杖を真正面に構えた。


「この前の魔法使いの女だな、覚えているぞ」


 シャネルは何も答えない。


 代わりに、まるで詩を口ずさむように言葉をつむいだ。


美醜びしゅうには善悪などない。けれどね、美しいものを壊す。これは間違いなく悪よ」


 シャネルの杖から魔法の火球が飛び出す。


 そんなもの、もちろんエディンバラのダメージにはならない。黒い魔力の手が一瞬で火球を消滅させる。


 だが、それはあくまで牽制けんせいだ。俺はエディンバラの隠し腕が両方ふさがっているタイミングで飛び出した。


 ここだ――。


 振り上げられた刀。


 それはエディンバラの肩を切り裂くはずだった。


 そして、それを止めることはエディンバラにもできないはずだった。


 驚愕に見開かれる目。それが次の瞬間には恐怖で閉じる。


 ――とった!


 俺はそう確信した。


 だが。


 急速に嫌な予感が近づいてきた。


 急ブレーキ、慣性の乗った体を無理矢理止めるには、それ以上の力がいる。それでも良かった、どれだけの力をつかってもここは止まらなくてはならない。


「隠者一閃――『グローリィ・スラッシュ!』」


 俺は慌てて叫ぶ。


 拡散された魔力はジェット機の逆噴射のように俺の体の勢いを殺した。


 なんとか止まることができた。


 そして、俺の目の前には深々と大剣が突き刺さっている。その剣は人間が振ることをまったく想定していないほどの大剣だ。


 俺が前に持っていた剣だって大剣と呼ばれるような大きさのものだった。けれどこれはケタが違う。目算で幅は50センチ以上、剣の長さは2メートルはある。厚さだってかなりのもの。これならばドラゴンの首だって落とせるかもしれない。


 こんなものを人間が振れるのか?


 いや、それよりも。あのまま進んでいれば俺はこの肉厚の剣に自ら体を突っ込ませて真っ二つになっていただろう。


 ふう、なんとかなった。今日も俺のスキルは絶好調だ。


「カーディフ! 手を出すな!」


 エディンバラが吠える。しかし内心でホッとしているのは明白だった。


 俺は下がる。足元には老人の死体があった。シャネルも一旦距離をとる。仕切り直しだ。


 兵隊たちの中から、いかにも武人といった感じの男が出てきた。左目には大きな傷がある、おそらくそちらの目は見えていないだろう。


「ふむ、エディンバラ。自分にはお前が敗北しそうになっていたように見えたがな」


 おそらくは50歳くらいだろう、こと戦うという分野に関しては高齢と言っても差し支えない。しかしカーディフと呼ばれた男の体には一切のすきがない。確実に現役だ。


 この男も知っている。


 魔王軍の四天王の1人だ、新聞に載った写真で見た。


「こんな少年1人、俺だけでやれる!」


「そうか、では手を出さぬようにしよう。邪魔をした、悪かったな」


 カーディフは地面に深々と突き刺さった剣を抜いて、それを肩に担いだ。


 まったく嫌になる、あんな大剣を軽々と抱えやがったんだ。強い、おそらくエディンバラよりも。そういう雰囲気があった。


 いやだな、と俺は思った。あんなことを言っていざとなればエディンバラに手を貸すはずだ。エディンバラ1人ならばなんとでもなる――実際この前もなった。


 だがあの男が参戦するとなれば、あるいはまずい戦いになるかもしれない。


 カーディフは後ろにいる無数の兵士たちに、待てと手でしめした。


 一騎打ちでもさせてくれるつもりらしい。


「シンク、ダメ。もう死んでるわ」


 シャネルは老人のもとに駆け寄って、脈をとっている。


 見ればわかることだが、いざ言葉に出して言われると辛かった。


 間に合わなかった、自分の無力さが憎い。


「少年! お前には貸しがある!」


 エディンバラが声を大にして叫ぶ。


 いかにも興奮したような声。


 俺はその声を、冷たい気持ちで聞いた。怒りがあった、けれどその怒りは俺の気持ちを熱くはさせなかった。むしろその逆。氷のように冷たく冷静になる心。


 俺の心は波紋一つ浮かばぬ水面のように静かな怒りを感じていた。


「シャネル、俺が前に出る。援護できるな?」


「まかせて」


 シャネルは立ち上がり、杖を構えた。


「もし邪魔するやつがいれば、優先的にそっちを狙え。あのロン毛は――たぶん俺だけで大丈夫だ」


 俺は刀を下段に構えた。戦闘開始だ。


 先制攻撃はエディンバラ。背中から4本の腕が突き出てきて、そのうちの上2本が俺の方へ伸びてくる。


 ――見える。


 というよりも遅いとすら感じる。


 下段から刀を切り上げて、魔力の腕を斬り裂いた。


 腕には人体を斬ったときと変わらない感触が残る。嫌な感じだ。


「くそっ!」


 エディンバラがその端正な顔を歪める。やたらめったらに魔力の腕を振り回し始めた。


 焦ると無茶苦茶な行動をするのが、こいつのクセなのだろうか?


 ぎょしやすい。


 エディンバラはすぐさま斬られた腕を再生させる。今度は4本全てで俺を叩き潰すつもりなのだろう。いっきに攻めてきた。


 俺とエディンバラの距離はおおよそ30メートル。


 俺はゆっくりと歩き出した。


 エディンバラの攻撃を避けることはしない。ただ――相手の攻撃は俺には当たらない。


 魔力の腕が空振りして、地面に深々と穴をあける。しかし俺は無傷だ。


「ほうっ」


 カーディフの感心したような声が聞こえた。


「なんで当たらねえんだよ!」


 ゆっくりと、しかし確実にエディンバラに近づいていく。


 もしも水に手を入れても、水は痛みを感じない。水はこちらの手を避けたわけでもない。水とはただそこにあるものであり、柔軟なものである。


 どのような形にもなれる――。


 そして流れる水は時として、長い年月をかけて岩をも砕くことがある。


 間合いに入った。


 俺は構えらしい構えもとらずに刀を持っている。


「あんたのことは許さねえ」


 刀を振りかぶり、そのまま突き刺す。


 エディンバラの魔力の腕が4本、総動員で俺の刀を止めに入った。しかしその魔力を断ち切っていく。


 1つめの腕を切り裂く。


 2つめの腕もだ。


 3つめの腕は一瞬で千切れて。


 4つめの腕は怯えるように逃げ出し、近くにあった柱をつかんだ。そのままエディンバラはすごい勢いで後ろに飛び去った。


 逃した。


 ならば追撃を――。


 俺は剣を振り上げ、足に力を入れ――跳躍しようとする。


 だが、やはりというべきか。間に割って入る男がいた。


「エディンバラでは力不足、か」


 大剣が振り下ろされる。


 俺はすでに当たらない位置へと移動している。相手からすれば、まるで俺の体が勝手にすり抜けたようにすら感じるはずだ。


 普通ならば、それで相手は虚をつかれ動きが止まる。


 だが――。


「ふんっ!」


 カーディフは次の動きにすでにうつっている。


 横薙ぎの大剣。俺は一歩下がる。


「素晴らしい力だ――それはなんという流派の武術だ?」


 カーディフは嬉しそうに片目を細めた。


「名前はない。そう教わった」


「そうか――貴様の師匠はおそらくそうとうな実力者なのだろうな。1つ問う。貴様以外にその流派の伝承者はいるか?」


 俺は刀を中段に構えた。攻撃、防御、どちらにも対応できるバランスの良い構え。


「なぜそんなことを――?」


「ここで貴様を殺せば、その流派が断絶するのではないかと心配してな」


 ふんっ、と俺は鼻で笑ってやった。


「いらない心配さ」


 いちおう、俺には1人だけ兄弟子がいる。とはいえ、いまどこで何をしているのかは分からない。ルオで最後に戦った後、どこへともなく消えたのだ。


 そもそも俺はこんな場所で誰が死ぬつもりはない。


 お喋りは終わりだ。


 気合を入れろ、榎本シンク。一筋縄じゃいかない相手だぞ!


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