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334 水晶宮に行こう!



 ロッドンの駅から南へ30分ほど列車に揺られた。


 俺たち以外に乗客はいるのか、いないのか。俺たちは1等車のコンパートメント(部屋状の周囲が区切られた座席)の中でずっと他愛もない話しをしていた。


 シャネルいわく――。


「いまから行く水晶宮はね、昔は他の場所にあったらしいわ」


「ほえー」


「見たらきっとびっくりするわよ」


 それは楽しみだ。


 駅で降りる。俺は先に出た。列車とホームの間には少しの隙間があった。


 どうしようかな、と迷った。


 でも勇気をだしてシャネルに手を差し出す。


 シャネルは気が利くわね、とにっこり笑ってその手をとり、スキップするように列車から出てきた。ふわり、と大きなスカートがゆれた。


 駅の前すぐに、巨大な建物があった。


 四角く構成された凸型の建物。その頂点にだけはアーチ状の屋根がある。水晶宮の名の由来はすぐに見て分かった。


 ガラスがたっぷり使われた建物だ。きれいに磨かれたガラスは、雨の水滴を粒上に弾いて少しの日差しで水晶のようにキラキラと輝いていた。


「ああ……夢のクリスタル・パレス」


「ここに行きたかったのか?」


「ええ、そうよ」


 駅前の広場がすぐに水晶宮の敷地になっているようだ。


 たしかにここならばそうとうな観光地になるだろう。外から見ているだけで、なんというか圧迫される。美しい、という思いよりも先に恐怖のようなものを感じた。


 なんだかシャネルに似ている、と思った。


 キラキラしていて、おめかししていて、そのくせ俺にだけ優しげで。


「入りましょうよ。たった100ポンドで安いわ」


「100?」


 そうか、ここの入場料は新聞の5分の1か。こっちが安いのか、それとも新聞が高いのか。


 誰でもウエルカム。


「ここでね、昔あれがあったのよ。バンパク」


 シャネルはくるくると回転しながら言う。


 ずいぶんとご機嫌に見えるが、違う。無理しているのだ。


 ココさんのことがあってからこっち、シャネルは無理に楽しそうな様子をしている。


 久しぶりに見た復讐したい相手、兄は魔王軍の幹部でしかも新聞に写真まで載っていた。それはシャネルにとって衝撃的な経験だったはずだ。


 強い子だ。いつもながらそう思う。


 自分が落ち込んでも、俺にはさとられないようにしているんだ。


 でもさ、俺だって付き合い長いんだぜ?


 少しくらい落ち込んでくれてもいいじゃないか。


「万博ねえ……」


「知ってる?」


「もちろん」


 あれだよね、万国博覧会。


「バンパクってね、いろんな国のいろんなものが見られるのよ。私たちが生まれる前にあったらしいから、本とか新聞とかの知識でしか知らないのよ。でもね――」


「憧れた?」


「そうなの。1度で良いから見てみたかったの。バンパクは……とうぜんもう終わっちゃってるけど。でもきっと楽しいわよ」


 シャネルの万博の言い方は、なんだか不思議な印象があった。


 バンパク……。


 なんだか昨日見た夢の話しをしているように。いや、昨日見た夢が正夢まさゆめになったように。


「なあ、シャネル。そんなに行きたかったの?」


「まあね。ほら行くわよ」


 シャネルが手を引いた。


 ……そうか、万博か。


 なんでもいいけど、この異世界でもあったんだな。不思議なもんだ。


 水晶宮の入り口に行く。ガラスの門はしまっている。けれど俺たちが来たことを見てか、奥から小柄な老人が出てきた。鼻眼鏡をかけた白髪のおじいさんだ。


「これはこれは、珍しい」


 老人は温和に笑う。


「いま、入れますの?」


「もちろんですよ」


 シャネルは100ポンドコインを2枚、老人に渡そうとする。


 しかし老人は首を横にふった。


「いいえ、いまさらそんなもの。こいつもそんなものは望んでおりませんよ」


 こいつ、というのが何を指すのか一瞬、分からなかった。


 けれどすぐにそれが水晶宮そのものであると察した。


「良いんですの?」


「こいつも、きれいな姿を最後に見てもらえて嬉しいでしょう」


 なんだか妙な言い方だな。


不穏当ふおんとうね」


 シャネルもそう思ったのか、耳打ちしてくる。


「ふおんとうって?」


「なんだか妙で、おだやかじゃないってこと」


 うむ、なるほど。


 たしかに老人の言い方には変なものがあった。こういうの、奥歯にものが挟まったとかも言うよね。言うよね?


 さて、夢の水晶宮の中である。


 驚いた、中に入ったというのにいきなり広場のようなものがあるのだ。


 公園、というべきか。


 中央には、おいおい。噴水まである。


「……外に広場もあったよな?」


「あったわね」


 なんで中にもあるの? 水は出てないけれど。


 マトリョーシカみたいだな。


 というか金閣寺だろうか? 昔読んだ小説には、金閣寺の中にミニチュアの金閣寺があると書いてあった。それはすなわち宇宙である、と。


 西洋、東洋で美的センスは少し違うかもしれない。けれど、人間の根本的な感覚は同じなのかもしれないな。それは異世界であっても。


「もしよろしければ、中のご案内をしましょうか?」


 老人が申し出てくれる。


「どうする、シャネル」


「そりゃあ案内もなしにこう広い場所を回るのは大変だけど。でも良いんですか、おじいさん」


「ええ、どうせ私も仕事はもうありませんし。ここの……最後の掃除も終わりました。あとはこいつと余生を過ごすだけのつもりでしたが、こうしてお客様が来てくれた」


「なにか、あったんですか?」


 俺は聞いた。


 老人は答えなくないのか首を横にふる。諦めたような目をしていた。


「とりあえず、案内をよろしくおねがいしますわ」


「はい。まずはそこに見えるのがガラス噴水。高さは10メートルにも達します」


 ふと、変なことが気になった。


「メートル?」


 この世界でもメートルなのか。


「はい、この水晶宮は世界技術のすいをあまねく人々に知らせるために建てられたものです。ですからこの水晶宮にあるものはほとんどが世界標準企画であるメートル法で作られております」


 いや、そうじゃなくて……。


 あるの、メートル? いままであんまり気にしなかったけど。


「そもそもメートルってなんぞ?」


 哲学的な質問をシャネルになげかける。


「知らないの? ガングーの政治的顧問であるティヨール・タイユランが作った国際規格。みんなつかってるわよ」


「ほえー」


 初めて聞いたわ。もう忘れたけど。メートル法についてのお勉強でした。


「その奥に見える木は『生命の樹』と呼ばれるものです。手前に見える噴水よりもさらに大きいのですが、もともとはなかったものですよ」


「もともと、ない?」


 よく分からないな、まさか一夜にしてあそこまで成長したということだろうか。


「この水晶宮は1度移転しているのです。もとはロッドンにあったのですが、万博の終了とともに取り壊されたんです」


「でもいま、こうして再建されておりますよね? おかげで私たちはこうして美しい水晶宮を見ることができる。良い事ですわ」


「当時最新のプレハブ建築のおかげです」


「プレハブ!」


 聞いたことあるぞ! プレハブ小屋とかよく言うもんね!


 なんかすごいぞ、水晶宮。さすがは科学技術の粋を展示したってだけがある。俺の住んでいた世界――科学の進んだ世界にも通じる技術が盛りだくさんだ。


「プレハブってなんですの?」


「建築材をもともと工場で作ってから、こちらに運んで組み立てる工法のことです」


 ふんふむ、プラモデルみたいなもん?


「そうですの。つまり工業製品」


「ははは、そういう言い方もありますが。しかし良いところもたくさんあります。たくさんの材料を一度に作りますから、値段も安くすみます。1度分解しても他で組み直すこともできます。それになにより――」


「なにより?」と、俺は水を向ける。


「――なによりも、こうして均一に作られた企画のものは美しさがある。バロックでもゴシックでもない、新しい時代の建築。こいつはそういう新時代の幕開けを飾るものでした」


 けれど、と老人はうつむいた。


「せっかくですので、どんどん見ていきましょう」


 シャネルは気を使って、そう言った。


 老人は顔をあげる。


「どうぞこちらへ。まずはイッドの方から周りましょうか」


 俺たちは3人、並んで歩き出した。


 噴水からは水が出ていなかった。けれど俺たちが隣を通ると、いきなり噴水から水が出た。それはまるで久々の客をもてなすようだった。



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