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333 雨に唄えば


 傘をさしているシャネルは、優しげな笑顔で微笑んでいる。


「雨の日は魔力が下に行くのね、逆に霧がないなんて意外だわ」


 小雨が降っていた。


 そのおかげなのか俺にはよく分からないが、今日は霧がなかった。


 だから色気のないガスマスクもつける必要がなかった。とはいえ、またいつ霧が出てくるか分からない。俺たちは腰回りにマスクをくくりつけていた。


 古いミュージカル映画の曲を、下手くそな口笛で吹く。


「上手よ」と、シャネルはお世辞を言ってくれた。


「なあシャネル、若いってどういうことか知ってるか?」


「さあ、知らないわ」


 俺はシャネルが差し出してくる傘を手を横に降って断った。


「雨の日に、濡れて歩けることさ」


 ――雨にうたえば、はずむ心、よみがえる幸せ。


 そんな歌詞がよぎる。


 俺は傘もささずに外に出た。雨のしずくが俺の黒い髪をそっとなでるように濡らした。


 シャネルは黄緑色の傘を持っている。そして俺の横を歩く。


「傘に入らないの」


「うん?」


「素敵ってどういうものを言うか、知っていて?」


 シャネルは少しだけ芝居めかして言う。


「さあ、どうも無粋な男なもんでね」


「じゃあ教えてあげる。1つの傘に2人で入ることよ」


 シャネルは俺に傘を差し向けた。俺はその傘下に入る。シャネルの甘い匂いがした。


 どちらからともなく笑う。


 なにをしているのだろうか、とバカバカしく思う。素敵というのはバカップルのことだとしたら、まあ俺たちは素敵な関係なのだろうな。


 俺たちが向かっているのは駅だ。


 そこから列車に乗る。


 いや、なにもこのロッドンから逃げるわけじゃない。ただシャネルが行きたい場所があるというので、観光に行くだけだ。


 駅前にはもしかしたら俺たち以外の冒険者の死体がさらされているかと思った。けれど、まだそれは開始されていないようだった。


 人の死体なんて見たくもない。俺はちょっとホッとしながら駅に入った。


 駅のプラットホームではガスマスクをつける必要もない。


「ぜんぜん人いないじゃないの」


「そうだな」


「列車なんてこれ、走るのかしら?」


 走るとは思う、たぶん。


 田舎のワンマン電車なんか客がほとんど乗ってないのに走ってるのよく見るし。


「大丈夫だろうさ。それよりも問題があるとすれば――」


「問題?」


「シャネル、そのスイ、スイ……水晶宮? そこに行く方法、わかるのか?」


「ええ、宿のお母さんに聞いてきたわ。えーっと、4番の列車に乗るのよ」


「まずチケット買って、だな」


「そうね」


 そうねって……。


 え、チケットってどこで買うんだ?


 そういやここに来るまでのチケットは金山が買ってきてくれたからな。どこで買うのかよく知らねえんだよな。というかあの時の金山、駅に行く前にチケット持ってたよな?


 ……なんでだ?


 先に用意してくれてた? 用意が良いことで、きっと「チケ○トぴあ」みたいなのつかって買ってくれたんだろうね。


「あっちじゃない、販売所?」


「え、どっち」


「買ってくるわ」


 シャネルは歩き出した。


 俺はなんだかついていく気になれなかった。それよりも気になったことがあったのだ。


 子供が近づいてきた。


「あんちゃん、新聞いるか?」


「もらおうかな。でもお金がないから、少し待ってくれよ」


「いいよ」


 子供は何部か新聞を持っている。いったいどれくらい売れたのだろうか、駅にはあまり人もいないけれど。


 俺はしゃがんで、子供と視線を合わせた。


「親は?」と、聞く。


「いない」


 やっぱり、という思いがあった。そして同時に悲しさがこみ上げてくる。


「どうして?」


「国に奉仕してる、っておじいちゃんが言ってた」


「そっか。キミは1人で仕事を?」


「うん、これやったらお金もらえるんだ。売れた分だけね。お金があればいろいろ買えるから」


「配給があるだろ?」


「それだけじゃ足りないよ。だからこうして新聞売りをしてるのさ」


「そうか、偉いな」


「えへへ。お兄ちゃんは? なにしてる人?」


「見ての通りさ」


 シャネルが少しだけ離れた場所でチケットを買っている。販売所がちゃんとあるのだ。


 後ろ姿を見ているとやっぱりシャネルはよく目立つなと実感した。


「なにしてる人か分からないよ」


「そうか?」


 刀も持ってるしすぐに分かるかと思ったのだが。


 シャネルが戻ってきた。


「あらシンク、なにしてるの?」


「いや。この子が新聞を売ってくれるって言うから」


「あら、そうなの? いくら?」


「500ポンドだよ」


「相場なのかしら? いいわ、1ついただくわ」


 新聞売りの少年は嬉しそうに笑うと、俺たちに新聞を差し出した。


 シャネルは受け取り、代わりにコインを渡す。


「お兄ちゃん、何してる人か分かったよ!」


「お、そうか?」


「こっちのお姉ちゃんの護衛さんでしょ!」


 ……ま、そうなるわな。


 どこからどう見ても俺はシャネルとつりあわないわけで。


 俺は苦笑いして少年の頭を軽くコツンと叩いた。


「はずれ。こっちの人はな――俺のいい人さ」


「え、本当に?」


「マジだよ、マジ。お前も大きくなったらこんないい人みつけな」


 少年は悲しそうな顔をした。


「大きくなんて、なれるかな?」


「どうして?」と、シャネルは聞く。


「きっと大きくなる前に死んじまうよ。それに大きくなっても兵隊に行かなくちゃならないんだから。みんなそうさ、兵隊に行って魔王様のために戦うんだよ」


 俺とシャネルは顔を見合わせた。お互いなにも言えなかった。


 列車が来たのでそれに乗り込む。


 少年はどこか名残惜しそうにホームに立って、俺たちに手を降っていた。


 俺は席に座ると、すぐに窓を開けた。そして外にいる少年に声をかける。


「大丈夫、大人になれるさ!」


 少年はそれを根拠のないなぐさめだと思ったのだろう。子供らしからぬ諦めたような笑顔でこちらを見た。


「ありがとう、お兄ちゃん」


「俺に任せとけよ! 魔王なんて倒してやるからさ!」


 シャネルが俺の手を引っ張る。


 あんまり変なこと言わないで、と目が物語っていた。


 けれど俺はそう言いたい気分だった。


 この国の問題はとても多い、それはきっと魔王を討伐すればすべてが解決するようなものではない。そして、その解決までの道――魔王を殺すというものは、じつのところあの列車の中で戦ったテロリストたちと同じものだ。


 だからこそ俺はずっと迷っていたのかもしれない。


 魔王を殺してなんになる?


 そんなことをしてなんの解決になる?


 わからない、けれど――。


 それが誰かのためだというのならば、俺はこの刀を振るうこともやぶさかではないのかもしれなかった。



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