323 落ちた金山
爆破された橋までの距離はおおよそ何メートルだろうか?
まだ遠いとは思うのだが、しかし列車の速度ではすぐだろう。
逃げるべきだ、本能はそう言っている。しかし理性が俺を引き止める。
――お前が逃げることはできるだろう、シャネルも連れていけるだろう。けれど他の乗客はどうなる? せっかく守った人の命は。
そんなこと、理性に引き止められなくても理解している!
だがしかし、妙案が浮かばないのだ!
ガラリ、と車両の方の扉が開いた。そこからシャネルが顔を出す。
「あら、シンク。上にいたの?」
シャネルの声は風に流されることなくよく通る。
「おい、シャネル。まずいことになったぞ!」
「まずいこと? いま、大きな音がしたけど」
俺はシャネルにどいてくれ、と手でしめす。窓際から下がったシャネル。
鉄棒で後ろ周りをするように、列車の外から窓をくぐって中へもどった。
「このさきの橋が破壊された!」
あたりを見る。乗客たちの混乱はないようだ。
「あら、そう。それで、そうなるとどうなるの?」
「列車が谷底に落ちるんだよ!」
「あら、大変」
本当に大変だと思っているのか、この女は。
「とりあえず敵は全員どうにかした。けどまずい状況にはかわりない」
むしろ、ピンチという意味では最初よりも状況は悪い。
金山も外から戻ってきた。俺がやったよりも不格好なやり方だったが。
「とにかくさ、榎本! 列車をとめなくちゃ!」
「おう!」
俺たちは機関室に向かって走る。
3等車にもなにがあったのかは伝わっているのか、俺たちに感謝をこめたような視線を向けてくる。けれどいまはいちいち構っている暇もない。
魔石の貯蔵されている部屋の、分厚い扉をあける。
そこからすぐに機関室へと続く扉を開けた。
「列車、停められるか!」
俺は叫んだ。
パワードスーツのような鎧を着込んだ――着ているのか?――機関士たちは魔石を入れていたおそらく炉の中を覗き込んでいた。
小さなスコップのようなものをつかって、そこからなにかドロドロしたものを取り出そうとしている。
「イマ、出力ヲサゲテオリマス」
「そ、そうか!」
良かった。
「シカシ無理デス、マニアイマセン」
間に合いませんだって!?
「運転手ハ、ブレーキガ壊レテイルト」
おいおいおい、おいおいおい。どうするんだよ、おい!
たぶんテロリストたちはブレーキを壊したのだ、準備はちゃんとしているってことかよ。
「榎本――」
「なんだ?」
金山が深刻な顔をしている。
「俺に考えがある」
「考え?」
「任せてもらえないか、ここは」
「任せる? お前に、か?」
「うん」
分かった、と俺は頷いた。
こちらに案がない以上、ここは金山に任せるしかない。
もしもダメだったら――諦めるしかない。
「分かった、やってみろ」
「ここの魔石、使いますよ!」
「ヒジョウジデス、ドウゾ」
榎本も持って、と言われて俺は魔石を両手いっぱいにかかえた。
「どうするつもりだ?」
「橋をかけるんだよ、魔法で!」
「橋を? そんなことができるのかよ?」
「やるしかないでしょ、このさい!」
たしかにその通りだ。
シャネルとティアさんも3号車に来ていた。
「どうするの、シンク?」
「俺もよく分からん。どうするんだよ、橋をかけるって具体的に」
「もう一回外に出るよ、魔石持って。ティア、そっちの部屋から魔石を外に運んでほしんだ!」
「あ」
こくり、とティアさんは頷く。
「シャネル、頼めるか?」
「本当はやなのよ? 服が汚れるから、でも特別ね」
俺は金山ともう一度、外に出る。天井にあがり、魔石を転がす。
「よし、ちょっと長い詠唱するから。その間に魔石をたくさん持ってきて」
「いけるのか?」
「分からない。1回で橋をかけることは無理かもしれない。でもそれなら2回目をやる。それでもダメなら3回目だ。ここで座して待つことはできないよ。……そうだろ、榎本?」
「ああ」
金山の目には、俺に対する懺悔のような気持ちが込められていた。
こいつは言葉にこそ出さないが、まだレストランでのことを気に病んでいるんだろう。その汚名返上のためにここで頑張るつもりなのだ。
「シンク、これ受け取ってちょうだいな」
シャネルが窓から手をのばす。そこには魔石が握られている。それを受け取る。ティアさんもいて、バケツリレー方式での運搬だ。
金山はそれを見て目を細めていた。
「じゃ、いくよ」
「はやくやれよ」
落ちた橋は確実に近づいている。その速度がゆっくりに見えるのはまだ少しだけ距離があるからだ。本当はそう時間もない。すぐに橋まで到達する。
「いくぞ! 空よりうまれし混沌の神はすでに隠れ、人のみが残り、大地讃頌、万機は万象を統括し天と地をつなぐ。我が力は万物をつくり、それが流転することはなく、この世に固定される――」
金山は剣を抜き、天に向かってかかげる。
置かれた魔石がものすごい光を発しだす。その光は収束していき、魔法陣ともすこしだけ違う幾何学的な模様をうみだす。
剣を自分の前方に突き刺した金山は、鋭い眼光で落ちた橋を睨んでいた。
不思議な感じがした。普通の魔法とも少し違う、なにか強烈な力を感じた。
あたりの魔石は一瞬にして石ころに変わっていく。
「いま現在、天に星はなく、地に文明はなく、人に意思もない。ただつくりだされた世界が存在するのみ!」
その詠唱は、どこかにいるだけかに向かっての文句に聞こえた。
誰にだろうか。
たぶんは神だ。
金山は突き刺した剣の柄を強く握りしめた。
「なればその世界を革新してみせよう――五行詠唱、『天地開闢』!」
世界中を光が包んだ。
まばゆい光。
それに目を閉じた。
その光は苛烈で、人の目を平気で焼くようなものだ。肌がビリビリと痛みを感じる、熱をもつ。
その光が収まって俺は目をあけた。
するとどうだろうか、かかっているのだ。立派な橋が。
最初にあったものよりも丈夫そうなアーチ状の橋が、しっかりとあちらとこちらを渡していた。
「すげえ……」
思わずつぶやく。
人がこんなものを作れるのか?
いくら魔法とはいえ、一瞬にして。
素直に感嘆した、金山はすごいとすら思った。言葉には出さなかったが。
俺には……いや、他の誰にもできないことをやってのけたのだ。
俺はせいぜい剣を振るって、なにかを壊すことしかできない。あるいは誰かを守ることくらいはできるかもしれない。けれどこうやって何かを作り出すということは……できないのだ。
「金山、お前なかなかやるじゃねえか!」
金山は剣を杖のようにして、弱々しく微笑んだ。
「……うん」
言葉がうまくでないようだ。
それもそうだな、こんな魔法をつかったんだ。魔力だってそうとうつかっただろう、魔石があったとしても。
「これなら大丈夫だな!」
列車は橋にさしかかった。
ガタゴト、ガタゴトと流れていく。
俺は川を見た。かなり深い位置にある。こんな場所から落ちれば一巻の終わりだったろう。
「……よかった」
「ああ、本当に」
俺はそう言って、金山に微笑んだ。
――だが、そのときにはもう金山は体勢を崩していた。
峡谷に吹く谷間風は突風だ。ある地方ではそれを『おろし』と呼ぶ。山から降りてくる風の意味である。
これは体験してみれば分かる、大の大人であっても平気で体のバランスを崩すほどの風なのだ。
それがいま、俺たちに吹いたのだ。
「あっ……」
金山が間の抜けた声をだした。
とっさに剣を掴んだが、それは金山の体重にまけてすぐに突き刺さっていた場所から抜けた。
「金山!」
俺は手をのばす。
しかし、金山の体を掴むことはできなかった。
すべてがスローモーションに見えて、金山のまばたきすらも確認できた。
そして……窓から誰かが飛び出した。
長いキレイな金髪。流行りのエナン帽子が風にのって飛ぶ。……ティアさんだ。
2人は空中で絡み合うと、そのまま川に落ちていく――。
それを俺は最後まで確認できなかった。
列車はすごいスピードで橋梁を通り過ぎていく。
そして最後には、俺だけが列車の屋根の上に取り残されたのだった。




