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313 グリース到着


 この港町の名前を俺は知らなかった。


「榎本、列車のチケットなんだけどね」


「なんだ、金がないなんて言うなよ」


「そうじゃなくてさ、二等車のしかとれなかったんだよ。つまり良い方の席はダメだったんだ、いっぱいで」


「べつに構わないさ、そうだろシャネル?」


「私もどっちでも良いわ。列車に乗るということが大切なのよ、だって私たちそんな経験ないもの」


「それな!」


 俺はシャネルと笑い合った。


 なんだか異国の地に降り立ったときというのは気分が良くなるものだ。


 旅行気分ではいけないと分かりつつも、ついついふわふわした気持ちになってしまう。


「な、なんか変だよ榎本。もしかして酔っぱらってる?」


「まさか、シラフさ」


「そうそう、シラフ」


「あう……?」


 ティアさんも不思議そうにしている。


 いや、本当に飲んでないよ。マジで。


「榎本ってさ、もしかしてこっちに来てから酔いどれになってない、大丈夫?」


「だまらっしゃい」


 たしかにアルコールの味を覚えたのは異世界に来てからだけど、合法、合法です! この世界には未成年の飲酒を止める法律なんてありません!


 え、問題はそこじゃないって?


「あんまり飲みすぎないほうが……」


「いいか、金山。飲んだくれが飲んだくれになるのは、1人で酒を飲むからだ」


 どの作品か忘れたけど、たしかヘミングウェイの短編小説にそんな一文があったはずだ。


「え、つまり?」


「俺は大丈夫だ、アル中じゃない。そうだろ、シャネル」


「そのとおりよ。もっとも、アルコールに依存する人間は初期段階ではたいてい自分は依存していないって否定するらしいけれど」


「そうそう」


 ん? いまの援護射撃か?


 どっちかというと後ろから刺されたような気もするぞ……。


 なんでもいっか。


「まあ、冒険者だもんね。酒くらい飲むか」


「そういうこと、チケットいくらだった?」


 先に買っていてくれたなんて、なかなか気が利くところもあるじゃないか。


「1人で9000ポンドだよ」


「それってフランだといくらだよ」


 シャネルが何枚かの紙幣を出す。それを俺は受け取ってから、金山に渡した。


「1フランで1ポンドだよ、分かりやすいだろ」


「たしかにな」


 基本的に1フランが1円くらいの価値だからな。日本から来た俺たちにとってはかなりありがたいお金の単位だ。


 9000円の列車賃というのが安いのか高いのか、それは俺には分からない。けれどここから首都のロッドンまでどれくらいの距離が離れているのかは知らない。


「そういや、グリースは連合王国なのか? 4つの国が一緒になったさ」


「あー、『グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国』? どうだろう、でも魔王が全部統合したんだと思うよ。もし4つの国があったとしても、やっぱり中心は1つの国だと思うし」


「ま、なんでも良いことか」


 ただ、もし俺たちのもといた世界のように4つの国の連合国だったなら、魔王を暗殺してもそうそう社会的な混乱はおこらないのかなと思っただけだ。


 他の国が助けてくれる感じで。


 もっとも、4つの国が仲が良いとは思わないけど。


「列車の時間はいつかしら?」


 シャネルが独り言のように呟く。


「あ、まだ時間ありますよ」


 金山は答えるが、シャネルは無視する。


 どうもここ最近、シャネルは金山とティアさんのことを避けているようだ、嫌いというよりも関わりたくないといった方が正しいかも知れない。


「じゃあ、少し町でも見て回るか」


 俺は場の空気をなんとかするためにそう言う。


 まったく、こういう気をつかったりするのは嫌いだ。


「そうね、シンク」


 港町というのはべつに国が変わっても様子が変わるわけではない。


 潮風のせいで家も石造りのものばかりだ。木造なんかでつくったらすぐに風化するのだ。

ただ観光地としての賑わいが少しだけあるようで、港からは町の中央に向かって屋台が出ていた。


 お腹がどれくらいすいているかといえば、これがまた難しい。食べようと思えばたぶん腹に入るけれど、べつにそこまで空腹でもない、みたいな。屋台の食事に興味がわかないのは確かなのだが。


「サカナの丸焼き……貝の酒蒸し……そんなのばっかりね、船の上でさんざん食べたわ」


 シャネルも同じ気分らしい。


「どうする、レストランにでも入るか?」


「いいえ、微妙なところね」


「同感だ」


 道の先にはシグーくんがいた。その横には大男と老人が。


 大男の方はイマニモ。


 老人の方は名前を聞いてなかったな。いきなり俺を襲ってきた人だ。二つ名も忘れてしまったが、まあ好戦的な性格の爺さんだった。


 A級冒険者3人が揃っているということだ。


「おや、これはこれは。『金枝篇』どのに、榎本どの!」


 イマニモが大声で呼ぶ。


 けれどその頬はどこかげっそり気味だ。船酔いがひどかった、というのは本当なのだろう。


「あれ、3人はどういう関係で?」


 金山が聞く。


「我々もパーティーを組むことになりましてな!」


ほえー、シグーくんはこの前、パーティーなんて組まないみたいなことを言ってたはずなのに。なにか心変わりをするようなことがあったのだろうか?


「異国の地で冒険者としてソロで活動するのは得策ではないからのう」


 老人――思い出した、たしか二つ名は『獅子王』だ――が小難しい顔をして言う。


「へっ、こいつらがどうしても俺の力を借りたいって言うからよ。ま、しょうがなくな」


「とか言って、嬉しいんじゃないの?」


 俺はシグーくんを茶化す。


 すると、予備動作なく爪が伸びてきた。


 すれすれでかわす。首を狙った攻撃だ、殺す気か?


「お前らよりも先に魔王を倒す!」


 シグーくんはカンカンに怒っているけど、なんでそんなに怒るのか正直わからない。


「あっ、そう」


 なんども言うようだけど、べつにどーしても俺は魔王を倒さなくちゃいけないわけじゃないんだ。できれば金山と一緒に魔王を倒して、金山が喜んでいるところで引導を渡したい。その程度のモチベーション。


「分かったか、お前らの出番はねえからな!」


「はいはい、分かりましたよー」


 冒険者たち3人はそのまま去っていく。いったいあの3人はどういうルートで魔王がいるという首都へ向かうのだろうか。


 あ、そうそう。


 俺たちが首都のロッドンへと向かう理由はそれね、魔王がいるから。


 いやー、分かりやすくて良いね。首都にいるって教えてもらえば、暗殺にいくのも簡単だ。


「ライバルはたくさんいるね」


 金山が真剣な顔をしている。


「そーですねー」と、俺はふざけて答えた。


 なんだろう、やっぱり今ひとつ魔王討伐にノれていない俺である。


 例えるならばあれだ、学校の文化祭。ああいうのって陰キャにとっちゃ全然楽しくない――と思いきや、陰キャ同士で楽しんだりもできる不思議なイベントなのだ。


 けれど準備段階ではまったく楽しくない、騒いでいるのはいつも陽キャ。いっそのこと当日は休もうかと思うくらい。


 いま現在、俺はそんな感覚だ。


 そりゃあ心の底ではやらなくちゃいけないとは分かっているんだけど、とにかく乗り気じゃない、みたいな?


「あうあう……」


 ティアさんが屋台の方へと歩き出す。


「あれ、ティアお腹へってるの? どうしよう、シンク」


「ならどっかで食べるか?」


 シャネルはお好きにどうぞ、という顔をしている。


 まあ時間もあるし。それにせっかく違う国に来たんだ、その国の料理を食べるというのも悪くはないかもしれない。


「そう? ごめんね、こっちの都合で」


 べつに、と俺はなにも答えなかった。しょうじきなんでもよかったんだ、楽しく時間がつぶせるならば。



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