312 慰め
さて、船はとうとうグリースに到着した!
錨が降りるのを俺は持ち前の好奇心――悪い言い方ならば野次馬根性――で眺める。
シャネルはいない、部屋で準備をしている。荷物の整理とかだ。俺はそこらへん、ぜんぶシャネルにおまかせだ。
「榎本――」
呼ばれて振り返る。金山がいた。
「おう、お前もティアさんにお任せのタイプか?」
「え、なんのこと?」
金山は俺の隣にくる。
「準備とかねえのかよ?」
「あー、それはもう終わらせてるよ」
「そういやティアさん、あんまり見ねえな。もしかして船酔いか?」
一瞬、金山は動きを止めた。
それから、いかにも俺の嫌いな笑顔を浮かべる。
「そんな感じ」
「あっそ」
それ以上は何も聞かなかった。
ただ、金山とティアさんの関係ってどうなってるんだろうか。だってあの人、エルフだろう? どこで出会ったんだろうか。
「とうとうグリースだね。ここまで来た……」
金山はしみじみ言う。
「ここまで来たってよ……ま、いいけど」
俺からすれば異世界に来た時点でここまで来た、だけど。
「緊張してないの、榎本?」
「なんで?」
「だ、だってさ! いまから魔王を倒しに行くんだよ、俺たち」
「って言われてもなあ……」
べつに俺、魔王を倒しに行くのは楽しそうだから来ただけだしな。
それにどこか本気じゃない部分がある。だって俺、べつにどうしても魔王を倒さなくちゃいけないわけじゃないし。
どっちかというと金山を殺したいだけだ。
……あ、良い事おもいついたぞ!
ニヤニヤ。
「なんで笑ってるの?」
「いや、まあね」
えへへ、マジで良いこと思いついちゃった。
魔王、倒そう。
そしたら金山のやつ喜ぶだろうな、すっごい喜ぶだろうな。
そこで、俺が金山を殺すんだ。
そしたらこいつ――すっげえショックだろうな!
「いやあ、なんかやる気でてきたわ」
「え、どうしたのさいきなり?」
「金山。魔王、倒そうぜ!」
「え? あ、うん」
「おいおい、元気ねえぞ。お前だって魔王を倒したいんだろ?」
「そうだけど、え、なに、怖い。なんか昔に戻ったみたいだね」
むっ……。
それを言われるのはちょっと嫌だった。
「べつに――」
いきなり気分が盛り下がる。
イキるのはやめた。
「あ、でも俺はそういう自信満々の榎本の方が好きだよ!」
「うるせえよ」
それっていつのことだよ。もうずいぶんと昔のことに思える。
俺がまだ小さくて、世界に対してなんの疑問もいだかず、世界からなんの悪意も受けていなかったころだ。
あの頃の俺は自信に満ちていた。
いまではそれが過信だったのではないかと思うが。
船はすでに停泊したようだ。タラップが降りる。
「行こうよ、榎本」
「お前、さっきに行け。俺はシャネルと降りる」
「じゃあ俺はティアを呼んでくるよ」
そう言って金山は去っていく。
俺は甲板の手すりに背中を預けて、ため息を付いた。
――嫌なこと思い出させやがって。
誰にだって幼い頃の忘れたい思い出くらいはあるもんだ。思い出すたびに叫びたくなるような思い出が……。俺にとってそれは、かつて自分がみんなの中心的人物だったことだ。
もっともそれは小学生の頃だが――。
「よく考えりゃあ、あの頃って陽キャも陰キャも関係なかったよな」と、独り言。
そもそもそういう存在というか、概念すらなかったと思う。
だからみんな、あの頃は輪の中心だったのかもしれない。
わかんないけどね。
シャネルのところに戻ろう、と俺は甲板から船内へと戻る。
自分たちの部屋へ向かう、水夫さんたちとすれ違うたびに「もうつきましたよ」などと言われる。「分かってますよ」
部屋に戻るとシャネルは準備を完了していた。
ベッドに座っていた。この部屋には椅子もないのだ。
「シャネル――」
「あら、どうしたのシンク」
「……なにが?」
「少しだけ元気がないわよ、なにか嫌なことでもあった?」
「ただ少しね、昔のことを思い出しただけ」
「あらそう」
シャネルはこっちに来て、とでもいうように自分の膝を叩いた。
「膝まくら?」
「そうよ、少しだけね」
俺はいかにも不承不承といった感じでシャネルに近づく。
べつに膝まくらなんて興味はないんですけど、まあお前がそういうなら頭をのっけるくらいはしてやっても良いんだぞという感じでだ。
まず、ベッドに膝をつく。それからゆっくりと頭を下げた。
けれどそれがじれったかったのか、シャネルは俺の頭を抱き寄せた。
柔らかい、それでいてサラサラのシャネルの肌。俺が頭を乗せた分だけシャネルの膝は沈み込んで、包み込むように弾力をもって跳ね返ってくる。
「どうかしら?」
「…………」
なにも言えない。
甘い匂いがして脳みそがとろけそうになる。
「ねえ、あんまり?」
「……良い」
とりあえずはそれだけ言えた。
「そう、良かったわ。じゃあこういうのもどう?」
シャネルはそのまま俺の頭に胸をのっける。
胸と膝に挟まれた!!!
心臓がバクバク鳴り出す、もしかしたらシャネルにも聞こえてるかもしれない。
「あばばば!」
なにか言おうとして変な言葉が出た。
「少しは慰めになるかしら?」
「なる、なる、なります」
ああ、すごい。一瞬で嫌な気持ちが吹き飛んだ。
膝まくらって、おっぱいって、女の子ってすごい……。
「うふふ、なら良かったわ。本当はね、こういうこともシンクにしてあげたかったの。けど嫌がられるかと思って。少し、ワガママかと思って」
「まさか!」
なんなら毎日やってくれても良いくらいだ。
ふと、俺は気づいた。
俺の心臓だけではなく、シャネルの心臓も早鐘を打っていることを。
2人の鼓動は祭ばやしのように激しく早く、そして楽しげだった。
このまま一生こうしていたい――。
けれどその甘美な時間はすぐに終わりを告げた。
――ドンドン。
部屋の扉がノックされた。
「いますかー? 起きてますかー?」
水夫さんの声だ。
「はい、いま出ますわ」
シャネルが少しだけ慌てたように答える。
俺は残念に思いながらもシャネルの膝から自分の頭を起き上がらせた。
そして旅行カバンを持つ。シャネルの服やらなにやらの荷物一式はすべてこの中に入っていた。持ってくれるの? と、シャネルが目で聞いてくる。それに対して笑顔で返事した。
「行くか」
「そうね」
部屋の前で待っていた水夫さんは、この前俺たちに航海のしかた――つまりは海図やコンパスがあると教えてくれた人だった。
「ああ、坊主の部屋かい」
むっ、とちょっと鼻白む。
たしかに俺はまだ若いけど、坊主だなんて呼ばれる歳ではないはずだ。
なんて思っていると、なぜか頭をガシガシと撫でられた。
「ちょっと!」
せっかく今のいままでシャネルの胸がのってたのに!
「坊主、グリースについたぞ」
「知ってますって、いま出ますから」
「そうかい。だけど気をつけろよ、最近グリースじゃちょっと変な話があるんだ」
「変な話?」
「ただの噂程度の話だけどな。女がな、いないんだとよ」
「どういうことっすか?」
「さあ、詳しくは分からねえよ。でも坊主のお姉ちゃんみたいな美人さんはさらわれちまうかもな」
坊主のお姉さん、と言われて顔が真っ赤になった。
恥ずかしさと怒りがゴチャゴチャになる。
「恋人! シャネルは姉じゃない!」
「おう、そうかい。これは失礼」
水夫さんは豪快に笑うと、廊下を去っていく。そして隣の部屋、隣の部屋と中を確認していく。誰か残っていないのか見て回っているんだろう。
「ったく、失礼だよな」
「そうね」
俺はシャネルと並んで船を出る。
中にはもうほとんど人は残っていないようだった。
タラップを降りときに、また手をつないだ。なんだか俺たちはこの船に乗る前よりも少しだけ仲が深まったような気がした。たぶん気のせいだけど。
タラップの先、グリースの地では金山とティアさんが待っている。
「遅いってば、榎本」
「うるせえ」
こいつ相手には意地でも謝らないからな。
「ああぅ……」
ティアさんは顔色が悪い。やっぱり船酔いだろうか、なんだか血液すら流れてないんじゃないかってほどに生気のない顔をしていた。危ないな、と俺は感覚的に思った。
「よし、じゃあ列車まで行こうか」
金山が仕切る。
ので、ちょっと舌打ち。
「はり合わないの」
と、シャネルが忠告してくる。
俺は分かってるよ、と微笑んだ。




