306 出発と占い
朝の光に目を細めて、俺はベッドの上に座っている。
――朝、だ。
今日は出発の日だ。パリィの街を出てオンルフールへ行く。その港町からグリース行きの船が出るのだ。
「男の子だからね、ケガして帰ってくるのも良いのだけどね」
シャネルが呆れたように言ってくる。
鏡の前で髪にクシをいれている。
どうしてかは分からないけど、俺はシャネルが髪をいじっているのを見るのが好きだ。なんだかエッチな気分になってくる。
「ケガしたのは謝るよ、今日からクエストなのにさ」
いちおうは謝るが、ちょっと不服である。
誰にケガさせられたと思ってんだ、お前の兄貴だぞ。
まあ、悪いのは俺なんだけどね。
「負けたの?」
「なんで?」
「ずっとぶすっとしてるいるから。珍しいわね、ケンカしてきてもたいてい勝ってくるのに」
「まあな」
「ふうん、聞いても良い? 誰とケンカしてきたの?」
たぶんシャネルのやつ、半分くらいは気づいているのだろう。
だから俺は嘘をつかないことにした。
「ココさん」
「……そう」
シャネルは顔色ひとつかえない。
きっと心の中ではいろいろなことを思っているだろうに、すごいポーカーフェイスだ。
「やめようか、この話」
「ううん、教えてよお兄ちゃんのこと。ちゃんと生きてた? ご飯は食べてそうだった?」
「メシは知らねえけど、酒はよく飲んでたよ」
「そう……昔から変わらないのね」
「あと、あの人すげえ強いのな。杖剣って言ったか? レイピアと杖が一緒になった武器つかってたよ。こてんぱんにされた」
「そう」
「あ、でも次やれば絶対に勝つぜ!」
あんまり褒めるのもなにかと思って、そう付け加える。
「ふふ、そうしてね」
とはいえ本当にやり合うとしたらどうするか、考えるが答えはでない。
インファイトでは勝てないとなると、間合いの外から攻撃するべきか? それこそ最初からモーゼルを抜いてそちらをメインに攻めるか? いや、しかしモーゼルの弾でココさんに有効なダメージを与えられる気がしないし……。
いや、そもそも戦わないか。
そんなこと、俺の考えることじゃないな。むしろシャネルはどうなるだろうか、シャネルがココさんを殺す場合は魔法をぶっ放すしかないだろうが。
でも詠唱に時間がかかるよな、その間に攻められたら接近戦で負けるだろうし。
あ、そうか。その間は俺が時間を稼げば良いんだ!
「シャネル」
「なあに?」
「お前、ココさんとやり合うとき俺にも言えよ。ちゃんと手伝うからさ」
「あら? そうなの?」
「ん?」
シャネルはどっちかというとびっくりしているようだった。
俺はどっちかと言えばそのびっくりしたシャネルに驚きだった。
「変なの」
「変、か?」
「だってシンク、いままで自分の復讐を私に手伝わせたことなんてなかったじゃない」
「そうだったか?」
「だからそういう主義だと思ってたのよ、復讐くらいは自分でやり遂げろってね。違って?」
べつにそういう主義としてやってきたわけではない。
ただ俺はこれまで、シャネル見せたくなかったのだ。榎本シンクという人間が復讐心から人を殺すところを。
復讐は俺が望んだことだ。
けれど、それははたから見れば格好悪いことだと思っているのだ。
過去にとらわれて未来に進めない無様な人間。そんな人間があがくところなど醜いだけだ。
「まあ、シャネルが手伝ってほしくないなら良いけどさ」
「わからないわ」
シャネルは鏡の前にクシをおいた。
「そうか」
「実際にココ兄さんに会って、私はあの人を殺せるのかしら? 本当のところ、いまでも分からないの。殺すということは決定事項なのよ?」
「うん」
「けれど、私の手は、口は、意思は、そのように動けるかしら」
「どうだろうな、でもお前を混乱させるつもりじゃないけどさ。あの人、悪い人には見えなかったよ」
今回の一件だってそうだ、あの人が俺と戦ったのは俺たちを引き止めるため。
グリースに行かせないためだ。
それは結局の所、シャネルのことを思ってだ。
「さて、準備終わり。出ましょうか」
「ん」
俺はベッドから立ち上がる。
ジャケットを着て、腰に刀を指して、それで準備完了だ。
シャネルはいつもの通りのゴシック・アンド・ロリィタのスタイルだ。じつはこの異世界でもあんまり見られないこの格好、けれど探せば愛好者はいるようで、服屋でも仕立ててもらえるらしい。
「どうかしら、新しい服よ」
「良いと思う。サイコウダヨ!」
ちょっと棒読み。
だって前に着てた服と違いがあんまり分からないもん。
「そう、ありがとう」
けれどシャネルはご満悦そうだった。
俺たちはアパートの部屋を出る。ここにはしばらく帰らない。
外に出ると、道でタイタイ婆さんが占いのためのテーブルを広げていた。
「タイタイ婆さん、それじゃあ俺たち行ってくるからな」
グリース行きのことはすでに伝えてある。もちろん何をしに行くかまでは言っていないが。
「はいよ、お主たち気をつけるのじゃな」
タイタイ婆さんは占いにつかう水晶を覗き込みながらそう言う。
「あんまり聞いちゃダメよ、シンク。占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦なんだから」
「まあまあ、そういうなよシャネル。それで、何に気をつけるんだ?」
「お主たちはこれから、辛い別れを経験することになるぞ」
「別れ……? まさかシャネルとか?」
それは困る。
「いいや、そうではないようじゃ」
それなら安心だ。
「別に良いよ、シャネルがいてくれるなら」
「まあっ、シンクったら」
うわ、思わず変なことを言っちゃった。
なんか恥ずかしいぞ、顔が真っ赤になる。
「まあよい、さっさと行ってくるのじゃ。そして早く帰ってこい」
「なんだよタイタイ婆さん、心配してくれてるのか?」
「そうじゃな」
そこで肯定されるとこっちとしても言葉を続けられないのだが……。そこはせめて否定してくれよな。
「ま、なんでもいいや。じゃあ行くから」
「うむ」
俺たちは馬車を任せている広場に向かう。
ちなみに港町へ行くまでは金山たちとは別行動だ。いちおう船の中からは同じパーティーということで一緒に行動するのだが。いやだなあ……。
「それにしてもあのお婆さん、いつも言うだけ言ってお金も請求しないわよね」
「言われてみれば、たしかに」
いちおうは占い師だからな、ああいう助言には対価が発生すると思うのだけど。
まあアパートの大屋さん? もやってるみたいだし、そっちの収入があって占い師は道楽なのかもね。
実際、まだ朝で人通りも少ないのにああやって露店――占い師が座り込んでるのも露店というのだろうか?――を出しているし。
「ああいう老後も良いのかもね」と、シャネル。
「ああ、やだやだ。歳を取ることは考えたくないよ」
とはいえ、復讐をした先のことは考えなければならないのだが。
でもいまは、とりあえずグリース行きを考えなければな。
辛い別れ……。いったいなんのことだろうか?
考えてもしかたないので頭の片隅にでも置いておこう。ま、だいたいそうしてたら忘れるんだけどね。




