300 変な女、みたび
船出まではあと1週間。
もちろんパリィは内陸の首都であるから、船出の街まで自分たちで行かなければならない。パリィから馬車で2、3日かかるというオンルフールという街だ。
なのでパリィにいられるのはあと少しの間である。
俺はパリィの街を歩いていた。
「シャネルはまた買い物」
独り言ではない。
「あら、そおぅ?」
隣に変な女がいる。
いや、これは女じゃない。男だ。
「あんたも久しぶりですね、ビビサンさん。いや、ココ・カブリオレ」
俺は重大な秘密をさらりと明かす。
これで少しは動揺でもするかと思ったが、そんなことはなかった。
「あれ、私、キミに名前を教えたかな?」
ビビアン――もといココさんは平気な顔をしている。
「あなたからは聞いてないですよ。ただシャネルに聞いたんです」
「ふむ、シャネルにね」
「会ってやったらどうですか?」
ふふん、とココさんは鼻で笑った。
そりゃあそうだろうな、ココさんからすればシャネルは妹でありながら、自分のことを恨んでいる相手だ。そんなやつの前にのこのこと顔を出せるやつなんていない。
いないよな?
あ、いたわ。金山だ。
「それよりもキミ、今日はどこで飲む?」
「……はい?」
「だってキミ、私に会いに来たということはそういうことだろう?」
……はい?
あれれ、記憶がおかしいな。
俺はべつにこの女――じゃない、男に会いに来たわけじゃないぞ。ただ暇だから道を歩いてたらいきなり絡まれたんだぞ。
『やあやあ、キミ。キミだよ、キミ! 久しぶり、前世以来だね!』
なんて、いかにも胡散臭い感じの挨拶で。
そりゃあもう、いやいや振り返ったね。
だって嫌な予感がしたから。たぶん振り返らなかったら魔法をぶっ放されたらよ。だってこいつはシャネルの兄貴だ、それくらい平気でするはずだ。
「とりあえずこの前の酒場にでも行くかい?」
「……はぁ。俺、忙しいんですけど」
嘘ですけどね。
俺ちゃん、忙しいことなんてないから。マジでだいたい暇しているから。
「そうかいそうかい、忙しいのかい。その忙しい時間を私のためにつかってくれるだなんて。あ、まさかキミ、そんなに私のことが好きなのかい?」
「あんたもう無敵だよ」
ああ言えばこういう。
「美人というのは本当に罪づくりだなぁ」
「あんた男だろ!?」
「キミ、なにを言っているんだい? よしんば私が男だとしよう」
「仮定みたいに言わないで、男だからね」
「そうだとして、美人という事実と矛盾はしないのでは?」
「男という事実がそもそも矛盾しまくってるんですよ!」
「だからキミも分からないやつだな、男であることと美人であることのどこに矛盾があるというんだ!」
「意味が分からない!」
ダメだ、話がごちゃごちゃしてきた。
もう面倒なのでこの会話はやめましょう。
べつに気にしないでおこう。ココはたしかに男だということに目をつぶれば美人だ。
シャネルみたいに銀髪の長い髪も、意志の強そうな赤い瞳も、スレンダーな体も好きな人にはたまらないだろう。
「それにしてもそうかい、私の正体がバレてしまったか。まったく、シャネルは昔から勘が良いからね」
「俺にコンタクトをとったのは、シャネルのことを知ってですか?」
「いいや、それは違うよ。ただ因業そうな人間がいるなと気になって声をかけただけさ。そしたらキミ、シャネルのパートナーだって言うじゃないか。いやはや、世間は狭い」
この人は悪い人なのだろうか、と俺は迷った。
話している限り、そう不快感はない。変な人ではあるけれど。
ただ、人をたくさん殺すような極悪人には思えなかった。
ココさんは俺のことをじっと見つめた。
「なんですか?」
「いや、こうして見るとまあまあイイ男だなって。シャネルが好きになるのも頷ける」
「まあまあは余計ですよ」
「そうかい? 人間、まあまあくらいが一番さ」
ふと思う。
どうしてシャネルは俺のことを好きなのだろう。
それはいままで何度も抱いてきた疑問。しかし答えのでない難問だ。
「そういうもんなんですかねえ?」
「あたりまえさ、アルコールを飲むときだってほどほどが一番だろう? それと同じ」
うーん、そう言われたらそうかもしれない。
「そうだぜ、それと同じだ!」
いきなり肩を組まれた。
酒臭かった。
横を見れば、赤ら顔の男が。会ったことのある男だ、しかし名前は忘れた。ココさんの行きつけの酒場にいた――
「やあ、フェルメーラ。今日も景気が良さそうだね」
「もちろんだとも、我が麗しの天使よ。なにせグリースで魔王が復活したんだ。これを期にことをい起こそうとしてるやつらは大騒ぎさ」
ああ、そうそう。フェルメーラさんだ。
革命をしようとしてる酔っぱらい。ココさんのことがそれなりに好きみたいだけど、えーっと。男って知ってるのかな?
いや、それよりも――。
「魔王が復活したって知ってるんですか?」
あれはまだ、新聞なんかに隠されてるはずだけど。
「もちろんさ。むしろキミも知ってるのかい、えー、シンクくんだったか?」
あれ、俺この人に名前を言っただろうか。
「まあ、いちおう。冒険者なんで」
「ほう、冒険者か! 僕も昔は冒険者に憧れたものさ、雄々しい冒険、きらめく財宝、そして素敵な仲間たち! すばらしい職業だ」
「酔っぱらいよりはね」と、ココさんが茶化す。
「まさしく! それでね、僕たち革命家はそこらへんの情報が早いんだ。もっとも、そんなものはその筋の人間ならばみんな知っているがね」
その筋ってどの筋だ?
「でも新聞なんかじゃ発表されてないって」
「新聞かい? キミ、いまどきあんなもの信じているのか。おめでたいやつだね」
ココさんがいきなり文句を言ってくる。
「ダメですか? シャネルもよく読んでますよ」
というか俺は文字が読めないから、ときどきシャネルに面白い話をピックアップしてもらっているのだ。
「あんなものはガングー時代から信用できないよ。キミ、ガングーの百日天下の時に新聞社が作成した記事は知っているか? ちょっとした寓話なんだけども」
「知りませんよ」
「ならば教えてやろう!」
なんかイキイキしてるな。ココさんもシャネルと同じでガングーが好きなのだろうか。
「かつてガングーは、自らの流刑地であるエルベル島から愛する人を守るために脱出した。そしてドレンスの首都であるパリィを目指し、行軍を始めた。そのときに新聞社はこのような記事をだした――」
ココさんは、歌うように記事の内容を説明した。
――人食いがねぐらから這い出た。
――タルパ島の鬼がジュリアン湾に上陸。
――虎はギャプランに到着。
――化け物がグレープルで宿泊。
――暴君がリアンを通過。
――簒奪者がパリィから300キロメートル以内に姿を見せる。
――カブリオレがパリィへ大きく前進したが、決して戻ってくることはないだろう。
――ガングー氏は明日、我らの城壁下にやってくる。
――皇帝がフォンテーヌホーロに到着。
――皇帝陛下は昨日、忠実な臣民を伴い、住民の歓喜、歓迎、喝采、を受け宮殿に入城された!
どうだい、とココさんは笑う。
「これは……ちょっと。手のひら返しってやつですか?」
「だから私は新聞など信じていないのだよ!」
「そしてアルコールだけを信じる!」
なんだ、こいつら……。
周りの人がじろじろこちらを見ている。なにせここは天下の往来なのだ。
やめて、俺も同じ人種だと思わないで。俺はただ絡まれただけだからね。
でも肩を組まれたまま歩き出されたら、振り払うのも面倒だ。
どうせ暇は暇だし……。
それにココさんのこともある。
俺は大人しくついていくことにする。
「シャネルの話を聞かせてくれたまえ」
ココさんが小さな声で俺に言う。
なんだか恥ずかしがるように。
わけが分からない……この兄と妹はどういう関係なんだろうか? 気になった。




