003 森の中
目を覚ますとそこは森の中だった。
「おいおい」
と、独り言を漏らす。
あたりに人の姿はない。クラスメイトたちがいるかと思ったがそんなこともないようだ。ここはあの女神が言うには異世界で、俺はそこに飛ばされたのだ。
目標としては俺をイジメていた五人への復讐なのだが。
「この状況、なにから始めれば良いのやら」
そもそもここは一体どこなんだか。
目下の目標として、復讐だとかなによりもまず町を目指さなければならない。
空を仰ぎ見る。太陽が元気に浮かんでいる。まだ陽は高いようだ。
周りの木々は見たこともないもばかり、杉に似ている気もするし違う気もする。
「さすが異世界」
だなんて言ってみるが、実際のところはどうか分からない。もしかしたらあちらの世界にも普通にあった木なのかもしれない。
服装は着の身着のまま、夏用のブレザーだ。持ち物はなにもない。アイラルンは俺にもギフトをくれたようだが、それがどのようなものかも分からない。
「いきなりゲームオーバーとか、洒落にならねえぞ」
どうしたものか。
どちらに向かって歩き出せば良いのかもわからない。そもそもこの森はどれほどの広大さなのだろうか。たしか遭難したときはその場を動かないのが良いのだったか? 山なら山頂を目指すのが良いと聞いたこともある。いや、それよりも川沿いを下る……。
どうやら俺は混乱しているようだ。この場所にいても誰も助けになんて来ない。
ならばもう適当にでも歩きだすしかない。
「でもクマとか出てきたら怖いから手頃な武器は持っておこっと」
一人だと独り言が増える。家で引きこもっていた時もそうだった。テレビに話しかけたり、ネットの掲示板に書かれた文字にツッコミを入れたり、ユーチューバーの動画を見ながら友達にそうするように合いの手を入れたりしていた。
「我ながらなんて悲しい日々だったんだ!」
やけくそになって叫ぶ。
舗装もされていない森の中をズカズカと歩いてく。そこら辺にあった木の棒を幼い頃にそうしたように、剣に見立てて振り回す。そして口からは独り言。
体力を温存しなくてはいけないというのは分かっているのだが、ぶっちゃけ心細くて騒いでしまう。
ああ、現世に残した父母よ。真紅はこうして異世界にいます。どうか探さないでください。
なんて、別に思ってないけど。
それからどれほど歩いただろうか、やっぱり町はない。時間も分からずに森の中を歩き回るというのはとにかく不安になるものだ。
どうしたものか、と木陰に腰をおろして小休止。
「あの女神め、こんど会ったら絶対文句言ってやる」
そもそも再会するのかは怪しいが。
ふと、森のどこか遠くの方から音が聞こえた。
「おや?」
最初、何かの間違いかと思った。ひとりぼっちで寂しい俺の脳が作り出した幻聴。とかく遭難中は幻聴をよく聞くそうな。
けれど違った、その音は確実にこちらに近づいてきている。
俺は警戒して立ち上がる。音がしたからといって、俺に有益ななにかが近づいてきているとは限らないのだから。もしも人間ならば嬉しいが、獣だったら困ったことになるかもしれない。
緊張の時。
音は次第に近づいてきている。そして、
「しつこいわね、あいつらまだ追ってくるわ」
女性の声が聞こえた。
人間だ! それに日本語! いや、日本語かは分からないけど、とにかく言葉は通じそうだ。
茂みから、一人の女が現れた。その女は俺を見ると一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに目を吊り上げた。
「待ち伏せね、卑怯なやつらめ!」
女は今にも掴みかからなんばかりだ。
しかし確実に言える。
「誤解だ」
どうやらこの女には追手がかかっているようだが。というか異世界、いきなり剣呑だぞ。もっとこう、スローライフとかさせてくれよ。
「誤解なものですか! 貴方もあの盗人どもの仲間でしょ!」
「いや、俺はただの遭難者」
「遭難?」
「そうなんです」
背中が寒くなるほどにつまらない返事! とはいえ女はその言葉に深く思案しているようだ。
が、すぐに顔をあげる。
「いけない、逃げなくちゃ!」
「どこへ?」
走り出す女についてく。こちとら知らない森の中に一人残された身だ。どんな厄介事を抱えていたとしても、初めて出会った他人に頼りたいというもの。
というかこの女の人……すっげえ好みだな。
走りながらマジマジと見つめてしまう。
なんせ髪なんて銀髪だ。こんな奇麗な銀髪、日本じゃちょっとお目にかかれないぞ。そして白い肌に鼻筋がまっすぐ通ったお顔。唇なんていまリップを塗ったのかってくらい赤くてプルプルだ。なにより素敵なのはこの勝ち気な瞳だ!
別にマゾってわけじゃないけど。
「なによ、なんであんたついてくるのよ!」
「あてがないからな」
「……本当にあいつらの仲間じゃないのね」
「違うな、仲間っていうならむしろキミの仲間だ」
なに言ってんだこいつ、みたいな顔をされた。
「助けてくれるってことで良いのね」
「助けられるか分からないけど手は貸すよ」
それにしても不思議だ、これだけ走り回っているのに息ひとつきれない。それどころかこのままフルマラソンでも走ってやれる気がする。そういえばアイラルンが身体能力を底上げしてくれたとか言ってたな。どうせなら知力とか魅力とか上げてほしかったぜ。
舗装なんてまったくされていない森の中を俺たちは走っていく。
こんな俺たちを追ってくる相手なんているのだろうか?
「なあ、ここまで逃げれば十分なんじゃないのか?」
と、俺は聞いてみる。
「ダメよ、相手には風属性の魔法が使えるやつがいたの!」
それが答えだ、ということだが意味が分からない。風属性の魔法ってなに? というかそうなのね、ここは魔法とかある世界なのね。
それにしてもこの女、ちょっと疲れてきたのか足が重たそうだ。
「どうせ逃げてもジリ貧じゃないか?」
「じゃあどうするのよ」
「迎え撃つ、っていうのも一つだろう」
たぶん、あちらの世界にいたころの俺だったらこういう思考には至らなかっただろう。だけど俺は異世界に来る前にアイラルンからギフトをもらっている。たぶん戦いくらいへっちゃらだろう。
「あなた、戦えるのね」
「やってみなくちゃ分からない」
睨まれた。
「期待するわよ!」
というか、俺もあの女神に期待する。さすがに戦える……よな?
女はその場で立ち止まると、深呼吸をした。そしてしゃがみ込むとスカートの裾をたくし上げ、そこから杖を取り出した。
なんでもいいけどこの人、どうして森の中でこんなドレスみたいな服を着ているんだろうか。
「そういえば名前、聞いてなかったわね」
「榎本真紅だ。そっちは?」
「シャネル・カブリオレ。ふふ、あなた変な名前ね」
「そっちこそ」
シャネルは杖を構える。
本当に追っ手なんて来ているのか、という疑問はすぐに解ける。たしかに何者かがこちらに向かってきている。それが分かるということは、異世界に来て聴力も強化されているのだろうか。
「一応確認するけど、あなた前衛職よね?」
「自称剣士ということにしておこう」
ソードマスターとかの方が良いかも。
「よろしい。じゃあ、敵が見えたら私が一発大きいのぶっ放すわ。そしたらあなたが突撃しなさい」
「なんだよ、俺に危険な仕事やらせるのかよ」
「だって私、魔法士だもの。それに言っておくけど二発目は期待しないでね。連発はできないわ」
「承知」
足音が近づいてくる。敵は何人だ? 何人だとしてもやるしかない。
シャネルが杖をかかげる。
「晩夏たちこめし陽炎のような火、我が敵を灰燼とかせ――ファイア・ボール!」
詠唱が終わった瞬間、人一人分くらいは余裕で飲み込めそうなほどの巨大な火の玉が杖先から射出された。
ファイア・ボールと呼ばれたその魔法は、最初直進しながら森を焼く。その先でおそらく人を捉えたのだろう、断末魔の叫び声があがる。
かと思えばシャネルはまるで楽団の指揮者のように杖を降る。そうすると火の玉はゆっくりと上空へ登った。
「爆ぜなさい!」
シャネルが叫んだ刹那、火球は爆発し、勢いを持った火が矢のように森へ降り注いだ。
俺は呆然と見とれてしまう。
「すげえな、魔法って」
「感心してないで、さっさと行ってよ! 次はあなたの番なんだから!」
シャネルは疲れたようにその場に片膝をつく。
なるほど、魔法を唱えるとこうなるのか。たぶん精神力みたいなもんを使うんだろうな。それか体力か。なんにせよ一撃しか使えないわけだ。
こんな可愛い子がこの状態って、なにをされるか分かったもんじゃない。これは本気でやらないとな。
相手もよっぽどシャネルのことを追っていたのだろう。今ので何人かやられただろうに、果敢にもその姿を森の中から表してきた。
その数四人。どいつもこいつもいかにも悪でございますって顔をしている。
四人は口汚い言葉で俺たちを罵るが、興奮しているのかなんと言っているのか定かではない。
たぶん、
「殺す」
とか、
「死ね!」
とか、そんな感じのことを言っているのだろう。
一人が剣を振り上げ襲いかかってきた。
面白いくらいに相手の動きがスローに見える。
俺はゆうゆうと剣の一撃を避けて、相手の顔面に回し蹴りをくらわす。往年のブルース・リーもかくやというくらいの、素晴らしい回し蹴り。
なんて言うかこれ、決まった瞬間かなり気持ちいいぞ。
吹き飛んだ男――シャネルの言い分だと盗人だ。まあこれくらい痛い目にあってもらうべきだろう。
「す、すごい」
シャネルが感嘆の声を漏らした。
それには俺も同意だった。今ならオリンピックにだって出られそうだ。
俺は倒した男の剣をすばやく拾い上げると、それを構えた。自分でも堂に入った構えだと思う。別にこれまで剣道なんてやったことないけれど、なぜだから見よう見まねがしっくりきた。まるで無手のときのように、剣が手足として俺に追随している。
敵は残り三人。
「死にたいやつからかかって来い!」
と、イキってみたものの、本音としては殺したくない。そもそも人間、他人を殺すことなんてよっぽどの覚悟が必要だ。
けれどもし――向かってくるならば。
その時は分からない。いうなれば正当防衛だ。
頭に血が上っている男どもはそのまま向かってきた。今度は二人同時にだ。
俺は向かってくる一人に急接近し、その体に当身をくらわす。それとほぼ同時にもう一人の剣をいなし、袈裟懸けに切り捨てる。
――ああ、死んだな。
まるで道路を歩いている虫でも踏みつぶすような感覚。
何一つ悪いとは思えない。そんな自分が恐ろしいが、殺人自体になんの感慨もない。まるでその感情そのものが欠落したように。
「ぎゃあっ!」と、凄まじい叫び声。
吹き上がる血は赤。カッと目を見開いて盗人は倒れる。倒れたあともしばらくつらそうに動いて、でも俺は何も感じない。こいつはここで死ぬ運命だったのだと、そう思うことにする。
残り二人。
の、うちの一人を無造作に切り捨てる。
あと一人。
そいつは逃げ出していく。別段、逃げるものを追うつもりはない。だが逃げていくその盗人に、シェネルが後ろから襲い掛かった。その手には鈍く光る短剣が握られている。
完全に隙きをついた形だった。
刺され男はあまりの痛みにその場に倒れのたうち回る。その男にシャネルはさらに短剣を突き立ててめった刺しにする。
――この女、怖すぎるだろ。
それが俺の正直な感想だった。
血だらけになったシャネルは疲れたようなため息を吐いてみせた。その顔には殺人に対する悪感情はまったく浮かんでいない。それよりも服が汚れたことを気にしているようだ。
「まったく、逃しそうだったじゃない」
「すまん」
とりあえず謝っておく。あの短剣がいつこちらに向くとも限らないのだから。
「でも貴方すごいのね、剣術のスキルでも持ってるの?」
「さあ、どうだろう」
「謙遜しちゃってさ、嫌なやつ」
別に本当に知らないのだが、あまり嫌われたくないので愛想笑いを浮かべておいた。
シャネルが死体をその場に捨てて、立ち上がろうとする。
手をかそうと思い、俺は手を伸ばす。
その刹那――
視界の隅でなにかが揺れた。
急速に時間が引き伸ばされる感覚。例えば人はとっさの事故の時などに、脳内の処理速度を限界まで高めるという話がある。それとまったく同じことが俺にも起こった。
空間を切り裂くように、透明な刃が飛来する。それはまっすぐにシャネルを狙っている。
「危ないっ!」
俺はとっさにシャネルを突き飛ばし、同時に空気の刃が飛んできた方に向かって持っていた剣を投げた。剣は円を描くように高速に回転し森の中へ消えていく。が、
「あギャッ!」
という無様な声が聞こえたところを思うに、敵に命中したようだ。
「まだ残ってたのか」
「そ、そうみたいね」シャネルは驚いたのか声を上ずらせている。「たぶんさっきの風魔法を使ったやつだわ。今のウインドブレイドの魔法よ」
「隙を狙ってたんだろうな。一応、俺が見てくるよ」
「うん……」
剣を飛ばした方向へ歩いていく。まだ敵に戦う気力があるかもしれないので慎重にだ。
しかし、すぐにそれは杞憂だったことが分かった。
俺たちに攻撃をしかけて来た男は、俺の投げた剣によって木に貼り付けにされていた。見れば上半身と下半身が別れている。上半身からはまるでくす玉を引っ張るための紐のように、長い腸が垂れていた。
いったいどんな力で剣を飛ばされれば人体はこういうふうに割れるのか。あまりにおぞましい光景だったのでシャネルには見せないようにしようと心がける。
だが、
「あら、もうやったんじゃない」
シャネルはケロッとした表情で俺の後ろからついてきた。
やった、という言葉はたぶん「殺った」という意味なのだろう。なんてバイオレンスな女だろうか、だがここまで美しいと血すらも化粧のように似合うものだ。
「これで全員かな?」
「わからないわ。けどさすがにここまでやられたら残りも逃げたでしょう」
まさに死屍累々である。
視界のそこかしこには黒焦げの死体もある。
いやだなあ、こういう異世界。俺としてはもっとスローライフ系が良かったのだが……。