290 アイラルンのサムズアップ
――朋輩、朋輩!
どこかから声が聞こえる。
アイラルンの声だ。
「なんだよ、お前久しぶりじゃねえか」
俺たちは真っ暗な空間で向き合っていた。
俺はあぐらをかいて座っているし、アイラルンも膝をかかえて座っている。
「朋輩、良い知らせと悪い知らせがありますわ」
「すげえ、そのセリフ初めて聞いた」
めっちゃアメリカ映画っぽい。
「はあ……茶化さないでくださいまし」
「はいはい。とりあえず悪い知らせからどうぞ」
「朋輩は死にました」
「えー」
なんて悪い知らせ。
あれ、でも死んだわりには俺はまだここにいるぞ? 意識もしっかりたもっているし。エッチなことだって考えられる。
――妄想中。
はい、妄想終わり。いやあ、シャネルの裸は何度か見たことがあるけど、何度見ても良いものだね。見るたびに妄想の精度が上がる。
というかやっぱり俺、死んでねえだろ。
だってこうやって考えることができるんだ。
ほら、偉い哲学家も言っただろ?
コギト・エルゴ・スム。
我思う故に我在りってね。
それで考えてるのがエロい妄想って、俺もしかして生きてる意味なくないか?
軽く自己嫌悪におちいる。
「朋輩、バカなことを考えておられませんか?」
「考えてます」
「はあ。それで朋輩、良い知らせのほうを言ってもよろしいですか?」
「よろしいですよ」
それにしてもなんだ、この真っ暗な空間。そのくせアイラルンのことはちゃんと見えてるし。
いわゆる精神世界みたいなもんだろうか。
それとも省エネ作画?
「良い知らせは簡単、朋輩はまだ死んでおりません」
「はい、矛盾を発見しました! アイラルンさあ、適当なこと言うのやめてくれない? 死んだのか死んでないのかはっきしてくれよ」
久しぶりに出てきたと思ったらこいつは。
まったく、自分の言葉に責任をもってほしいものですね。
「朋輩はいま現在、かぎりなく死んでおります。魔力を使いすぎて生命力がからっぽになっております」
「ふーん、ちなみにここはどこ?」
さっきまで俺はダンジョンの奥深くにいたんだけど。
「ここはわたくしの世界ですわ」
「なんだお前、いつもこんな殺風景なところに住んでるのか?」
さびしいやつ。
というか殺風景をとおりこしてなにもないけどね。
「べつになにかほしければ簡単に出せますわよ? とりあえず椅子でも出しましょうか」
アイラルンが指をパチンと鳴らす。
すると2人がけのソファが出現した。アイラルンはそこに寝転がるように座る。
「なあ、俺の分は?」
「はいどうぞ」
パチン、と音がなった。
なんでもいいけど指パッチン上手ね。
それで出てきたのはまさかの王座だった。
「なんだ、これ?」
「あら、男の子はみんな王座に座りたいものではないのですか?」
「まさか。そんな男として生まれたからには誰でも一生に一度は『地上最強』を夢見るみたいなさ。べつに俺は王様になんてなりたくねえぞ」
でも座ってみる。
なんだかなあ、見た目が派手なだけで座り心地はいまいちだ。
「さて、椅子に腰を下ろしたところで――」
「お前は寝そべってるけどな」
「話の腰を折らないでくださいまし、さっきも言いましたわ」
アイラルンはぷりぷりと頬をふくらませるが、まあ怖くないな。むしろ可愛らしい。いちおうこいつだって女神だしな、美人じゃないわけがない。
「はいはい。それで、俺はいま死んでるの? 死んでないの?」
「ぶっちゃけますわ」
しょうじき言いたかった。
女神の口からぶっちゃけって言葉が出てくるとなんかおかしいって。
でも言えばまた話の邪魔をするなと言われそうなのでこらえた。
「ぶっちゃけ、朋輩はいま現在死んでおりますが生き返ります」
「なんだそれ?」
生き返る?
もしかしてドラ○ンボールでも集めて来てくれたのかな。
「魔力がないだけですので、それが補給されれば目を覚ましますわ。もっとも、時間がかかればそれも無理になりますが」
「なんだよ、ポーションでも無理やり飲ませるのか?」
「そこは起きてからのお楽しみ」
「ふう……」
ま、とりあえず首の皮一枚はつながってるってことか。
なんだか大丈夫って言われたら、逆にドキドキしてきた。
俺、マジで死んじまってるんだよな。
「どうですか、一度死ねば生命の大切さが伝わりますか?」
「どうだろうな、むしろなんだろうか……命ってなんだって思うけどな」
俺はこうしてアイラルンにひいきされているから笑っていられるけど、他の人間ならば死ねばそれまでだろう。
もし生き返るとしても、いきなり生き返るのか?
眠るように死んで、それで起きるように生き返る。
たぶんそんな感じなんだろうな。
ふと頭上を見上げた。
真っ黒の常闇の中に、ぽつんと寂しそうに剣がぶら下がっている。
「なんかあるんだけど?」
あー、なんだったかな。あれ。
「ああ、それはダモクレスの剣ですわ」
「それ、シャネルに聞いたな」
なんだったかな、たしか王様以外が王座に座ったらあれが落ちるんだったかな?
でも俺、大丈夫だぞ。
「あれは飾りですので」
「飾りねえ」
……つうかナチュラルに俺の思考をよむなよ。思考盗聴は犯罪だぞ。なんてね。
「ねえ、朋輩。本当に王様にはなりたくないのですか?」
「くどいなあ、そんなこと思うわけないだろ」
なんでそんなこと聞くんだ?
「では朋輩はなにを望むのですか?」
「そうだな、まずは復讐だ」
それもあと1人だが。
「それが終われば?」
「そうだな、月なみだけど普通の生活とか? なんというかほら、平和な毎日。可愛い奥さんがいて、子供は3人くらいかな」
「朋輩、それ童貞なのに言ってたらキモいですわよ」
「ダヨネー」
俺も言ってて思ったもん。
でもまあ、人間そういう普通なのが一番なのでは? 高望みなんてしすぎないに限る。
「でも朋輩はその夢を叶えたいのですね?」
「べつに夢ってほど大層なもんじゃねえさ」
でもそうだね、俺はしょうじき普通に憧れているところがあった。
だってそうだろ。
俺は元いた世界じゃ、イジメられっ子で、引きこもりで、童貞で、なに一つ良いところなんてなくて。将来は絶対にろくなもんじゃなくて。
だからこそ、普通の人間が普通に手に入れる幸せに憧れた。
そして、俺がそれを手に入れるには過去を清算する必要があったのだ。
「朋輩、頑張ってくださいまし」
「うん?」
なんだよ、いきなり。
茶化してやろうかと思ったら、アイラルンは意外なほどに真面目な顔をしていた。
いつの間にかソファにも座り直している。
「頑張ってくださいまし、誰にも負けないでくださいまし。そして必ず幸せを手にしてくださいまし」
「怖いよ、どうしたんだ?」
「もう朋輩は起きる時間ですわ」
「ああ、そういうことか」
別れの挨拶ね。それにしてはなんだか、今生の別れみたいで気持ちが悪いが。
「朋輩――」
「なんだよ?」
俺は立ち上がる。
目の前に光が見えた。
あの光が俺を包む時、俺は生き返るのだろう。
「わたくしは、朋輩が大好きです。ですのでこれでもかと応援しております。覚えておいてくださいまし、わたくしの本命は榎本シンク。貴方です!」
何いってんだよ、と俺は笑う。
本当にひどいよな、女神様ってのは抽象的なことばっかり言って。
もっとはっきり言ってほしいもんだ。
けれど、アイラルンのエールは伝わった。彼女が俺のことを応援してくれているのだということは。
俺は片手を上げる。
任せろ、と指をたてた。
サムズアップ。
アイラルンは少し恥ずかしそうに同じように指をたてた。
そして――俺の視界を光がつつみこむのだった。




