287 VSオーガ
「なっ……これってもしかして」
放心状態の金山を傍目に、俺は刀を抜く。
「どう見たって敵だ、モンスターだ! 行くぞ、金山!」
敵の身長はゆうに5メートルを超える。
二足歩行だが、シルエットは人間というよりもゴブリンに近いかもしれない。
でっぷりと筋肉の詰まった体つき。頭にはこれみよがしな角が2本はえていた。
「待って、榎本。これはダメだ、逃げなくちゃ!」
はっ?
俺は一瞬だけ気が抜けた。なにを言っているんだ、こいつはと金山を見たのだ。
だが、その一瞬が命取りだった。
モンスターはその巨体からは考えられないほどのスピードで動いた。そして俺のことを横薙ぎに吹き飛ばす。
壁にしたたかに打ち付けられる。
意識が飛びそうになるのを必死に堪える。
追撃がくる!
頭では分かっているが、動けない。
振り上げられた巨大な拳。なんだよあれ、シャベルカーのアームみたいに強そうだ。あんなの当たったら……死ぬかな?
ならば好都合――。
「くそっ! 詠唱破棄――『アース・ブレイク』!」
そこへ、横槍が入る。
振り上がる拳に、小さな石の塊がぶち当たり、弾け飛んだ。
だがモンスターの動きはそれでにぶる。
「榎本、早く!」
くそ、余計なことをしやがって。
俺はなんとか壁ぎわから動く。体中が悲鳴をあげている。たった一発でこれだ。
「余計なことしやがって」
「え?」
「こっちの話だ」
俺の予定では、あの拳を『5銭の力+』で押し返すつもりだったのだ。
しかも経験上、『5銭の力+』で出てくる魔法陣は、防いだ対象を消滅させる。たとえば魔法ならばその魔法を。物体のある槍ならばその槍先を。だからあのモンスターの拳も、消しされるはずだったのだ。
とはいえ、金山に俺のスキルを見られなかったのは良しとするか。
「とりあえずいまのうちに距離をとって――」
「くそ、あいつ追ってくるぞ。なんだよあのモンスター」
「あれはオーガ! でもまさか、本当にいるなんて。冒険者ギルドの長い歴史の中でも数回しか確認されてない、超々レア級のモンスター!」
「そして強い、と?」
「とんでもなく! もっとも幻創種なんてやり合おうとしたら全部そうだけど。人間なんかじゃ普通は相手にならない。あのオーガだってそれこそA級の冒険者が束になってもかなわないんだって!」
俺たちは走りながら話す。
それにしてもオーガとやら、あきらかに俺たちをなぶり殺すつもりだ。先程の動きはかなりの速さだった。それなのにいまは、追いつかず、しかし離れずという距離感を維持している。
金山のやつは余裕がなくてそのことに気づいていないのだろう、必死で走っている。
曲がりくねる道。
断崖に挟まれたこの場所ですら、迷路のように俺たちを迷わす。
それはオーガのほうも同じかと思いきや、しっかりとこちらについてくる。
やはり遊ばれている。
そして俺は気づいた。
そもそも俺たちは、逃げていながらも無意識に光るコケのある方を選んでいる?
これは逃げているのではなく、あるいは誘い込まれるような形になっているのではないか?
「やめだ」
俺は立ち止まる。
「榎本、ダメだよ! あんなのに勝てっこない!」
「だが逃げることもできないさ」
――やるしかない。
「ほ、本気?」
「マジもマジ、大マジだ。ちなみにあいつ、ドラゴンとどっちが強い?」
「そりゃあドラゴンのほうが強いはずだけど……も、もしかして榎本ドラゴンを倒したことが!?」
「さあな」
含みをもたせて笑う。
べつに俺自身はドラゴンを倒したことはない。しかしドラゴンを倒した勇者ならば、殺した。それにルオの国で龍とだって戦った。
「もし戦うなら、こんな狭いところじゃなくてせめて広いところが良いよ」
金山も覚悟を決めたようだ。
「それもそうだな」
俺たちは頷き合い、また走り出した。
もちろんオーガはそれなりの距離にいる。たぶん俺たちが立ち止まってとき、わざわざあちらもスピードをゆるめたのだろう。
「俺たち2人でオーガを倒したって言ったらさ、ギルドのやつらびっくりするよね!」
「そういうの、取らぬ狸の皮算用って言うんだぜ!」
うまい具合に広い場所に出た。
壁には光るコケがはえている。
俺たちはそこで立ち止まる。
というよりも、ここは袋小路だった。
「なんだよ、あっちもこの場所に案内してたのか」
「そ、そうみたいだね」
なにせこの広い空間の壁には、でかい武器が刺さっていたのだ。
半月刀のような形をした刀や、大木みたいな大きさの槍。原始的な棍棒。そして大ぶりの斧。
まったく、モンスターが使うには文明的すぎやしませんかね、この武器どもは。いったい誰が作ったのか、ディアタナか? バカじゃねえのか、その女神。会ったことないけど。
オーガが笑っていた。
逃げて逃げて、逃げた先で行き止まり。普通だったら絶望するようなところだろうが――。
しかし俺たちはやる気まんまんだった。
「前衛は俺がやるぞ」
金山に言う。
「こっちはいちおう魔法剣士だから、後ろから援護するよ」
「よし、じゃあそんな感じで。あとは流れで行くぞ」
なにせ俺たちは即席カップ麺みたいなコンビだからな。連携なんてあってないようなもんだ。
オーガは不思議そうな顔をした。俺たちの目に生気が宿っていることが信じられないのだろう。
「どうした、鬼さん? いままでこんな人間、見たことないか?」
俺は挑発するように言ってみる。
表情は豊かみたいだが、人間の言葉は分かるのだろうか。
オーガはずいぶんと楽しそうにどら声で笑った。そして、壁に突き刺さっていた半月刀と抜く。
右手で持った半月刀を振り回し、そして左手で俺の持つ刀を指差す。
――そのチンケな刀で、俺の刀とやり合うのか?
と、そんなことを言いたいのだろう。
「やってみなくちゃ、分からねえだろ?」
オーガが動く。
やはり速い。半月刀が振り上げられたと思った次の瞬間には、すでに振り下ろされている。
だが――。
俺はそれをよけた。
いや、よけたというのはこの場合正しくないんだ。振り下ろされたときには俺はその場所にいない。驚異的な先読み能力。水の教え――ただ水のように流れるように。
俺は半月刀のみねの部位を駆け上がる。
狙うは急所である首。そこさえ斬ればこちらの勝ちだ。
だが、がら空きの左手がこちらに伸びてくる。掴まれれば握りつぶされるのは必定。
俺は飛び去る。
着地。
その瞬間にはすでに走り出す。とにかく動き回って相手を翻弄する作戦だ。
「とにかくあの速さは厄介だ!」
俺は金山の方を見ないで言う。
これで察してくれよ、頼むぜ。
「任せて、榎本! 足止めするから!」
……バカか?
それをさとられないように回りくどい言い方をしたんだろ。
ええい、もう言ってしまったものはしょうがない!
「じゃあそれで行くぞ!」
金山の詠唱。
石のつぶてが無数に飛ぶ。しかしそれはたいした威力ではない。こういうのを豆鉄砲という。
オーガは関係ないとばかりにこちらに突っ込んでくる。
ぜんぜん足止めになってねえぞ!
と、思ったらオーガがつんのめった。そのまま体勢を崩してこちらに倒れ込んでくる。
見れば足の先に巨大な岩がある。それに足を取られたのだ。さきほどまではなかった岩。金山が出したのだろう。
つまり豆鉄砲はオトリだったわけだ。
――やるじゃないか!
ならばこちらもその頑張りに答えなければな。
俺は飛び上がり、縦方向に回転しながらオーガの肩を斬りつける。
だが、硬い。
まるで岩でも斬りつけるみたいに刃が途中で停まった。
一瞬で理解する――このままでは刃が通らない。
ならば、と魔力を込める。
「隠者一閃――『グローリィ・スラッシュ』!」
刀身が赤く輝き出す。
そしてドス黒い光があふれだす。そのままオーガの肩を斬り裂いた。
俺が自由落下するのと同時に、オーガどぶっとい腕も落ちた。
地面が揺れ、砂埃がたちのぼる。
天井からも砂粒が落ちてきて、あたりは土煙に包まれた。
「すごい、本当に使えたんだ! グローリィ・スラッシュ!」
「なんだよ、本当に使えたんだって」
失礼なやつめ。
「いや、さっきちらっと言ってたからさ。冗談かと思って」
金山がこちらに駆け寄ってくる。
まったくよ、人懐っこい犬みたいな顔しやがって。
「あんまり近づくな、離れるぞ。なんせあのオーガの腕はあと一本残ってるんだから」
それに武器はまだ壁に3つ、刺さっている。
3つ――?
俺はその瞬間、異常な違和感を覚えた。
俺たちの視界は悪い。
オーガの姿は見えない。
だが、俺はその瞬間に察した。
「右に飛べ!」
俺は叫ぶ。
金山はその声で右へ。
そして俺は左へ飛ぶ。
俺たちが元いた場所に棍棒が振り下ろされた。
――クッ、バカか俺は!
ちょっと自己嫌悪。認識が甘かった。相手はモンスター、それも幻創種とやらだ。こちらの常識、尺度で考えるべきではなかったのだ。
もし壁に武器が4つ用意してあるならば、可能性としてこう思うべきだった。
――腕も4本あるのではないか?
霧のように立ち上る埃の奥から、槍の先が俺を貫くために伸びてくる。
それを避けることはできない。
なので俺は刀をたて、槍の起動をそらしていく。
飛び散る火花。
ギイイッ、と甲高い音。
それでも勢いを殺しきれず、俺は弾き飛ばされた。
壁にぶち当たる。
「がはっ!」
内臓が全部口から飛び出したんじゃないかと思った。
それでもまだ、死んじゃいない!
いや、むしろ死ぬほどの衝撃だったら『5銭の力+』が発動したのか?
ったく、つくずく運がねえな。
「もっと強く打ち込めよ、このクソモンスター!」
俺はやけくそ気味に叫ぶ。
煙が晴れていく。
その先には、3本の腕それぞれに武器を持ち、まるで破壊の神のような堂々たる姿で立つオーガの姿があった。
その顔はもう笑っていない。
俺のことをたしかに手強い敵として認識した、真剣さがあった。
――ここからが本番ってことかい。
俺は覚悟を決めて、刀を鞘に戻すのだった。




