275 ビビアンの行きつけの酒場
2階への階段を上がっていく。
「なんだい、キミ。もう少し早く上がりたまえ」
「いや、分かってるんですけどね」
いちおう刀に手をかけておく。なにが起こるか分からないからな。
階段を上りきって、ひらけた場所へ。
ここも普通の酒場に見える。テーブルがあって、酒を飲んでいる人がいて。なにやら大声で話をしている。
特筆すべきは……窓ガラスだよね。
まあ、なんということでしょうか! 匠の技によって窓ガラスが割れて、なんとも開放的な空間を演出しています。
「さて、そこにでも座りたまえ」
俺はビビアンに案内されて、あいている席に座る。
割れた窓ガラスからは遠い席だ。
「けっこう賑わってますね」
1、2、3とこの一室にいる人数を数える。14人。俺とビビアンを入れれば16人だ。
その人数がゆったりすごせているのだから、この酒場はけっこう広いのである。
それにしてもみんないったいなんの話をしているのか。喧々諤々(けんけんがくがく)?
あ、いや。これは言葉として間違ってるんだったか?
なんにせよいろいろな人が口角泡を飛ばして半ば言い争いのように話をしている。
「ときにシンク」
「なんですか?」
「キミ、いつまで敬語なんだい?」
「さあ?」
べつに意識してたわけじゃないけれど、ビビアンのことは少し苦手だから敬語になってしまうのだ。
「キミと私の中じゃないか。敬語なんてやめてもっと砕けた話し方をしてくれたまえ」
「分かりましたよ、お姫様」
「う、うん。それこそばゆいからやめてくれたまえ」
ふと俺は不思議に思う。
ビビアンはこんなにも美人なのに、どうして俺はキョドることもなく普通に話せているのだろうか。
友達、というのとも少し違うけど。話しやすいっちゃあ話やすい。苦手だ苦手だと言っているのに、なんだか矛盾しているのは自分でも分かっている。
「えーっと、ビビアン」
「なんだい?」
うん、とりあえず呼んでみただけだ。いざ敬語をやめるっていうのは、それはそれでなんだか緊張するな。
あ、いけない。童貞が雰囲気からにじみ出てきそうだ。
「そういえばさ、ビビアンってなんの仕事してるんだ?」
とりあえず話のネタとして鉄板なものを。
「キミ、女性というのは美しいことそれじたいが仕事なのだよ」
そういやこの前もそんなこと言ってたな。
「つまりニートね」
「ニート?」
おや、通じなかったか。俺の言葉はどういうふうに翻訳されてるのか知らないけど、ときどきこういうことがある。
「仕事をしてない人のこと、ニート」
厳密には違うらしいけどね。
「ふん、仕事くらいはしているさ。いちおうは冒険者ということになっている」
「そうなんですか?」
「キミはどうなんだね?」
「あ、一緒です」
「ほう、冒険者。シャネルさんも?」
どうしてシャネルのことなんて気になるのだろうか。
「2人で一緒にやってますよ」
まあでも世間話の範囲か。
「ほう、シャネルさんも?」
「そうですけど、なにか」
「また敬語になってるぞ、キミ」
「あ、本当だ」
もしかしたらビビアンがときどき言う『お姉さん』というのもあながち間違いではないのかもしれない。
たしかにこの人、ちょっとだけ年上っぽいしな。そのせいで敬語になっちゃうのかも。
店の女の子がアルコールを持ってきてくれる。ビビアンはビールが好きなのだろうか、今日も麦芽酒だった。
けれど昨日のことをかんがみるに、たぶん酔ってくるとどんどん強い度数のものを飲んでいくタイプだ。昨晩なんて最終的にウイスキーをストレートで飲んでいた。
――大丈夫なのか、この人?
と思ったけど誘われるままに俺も飲んだのでたぶんお互い大丈夫じゃない。
その結果として二日酔いになったんだけどね。
「よし、とりあえず乾杯だ」
「はいはい」
俺はコップをかかげる。
コツン、とコップがぶつかるのだが……。
はて?
2つのはずのコップが3つある。
横を見る。すると、そこに赤ら顔の男がいた。
「なあ、キミ。この世には2種類の恋がある。どういう恋か分かるかい?」
「さあ?」
え、誰この人。
「いいかい、この世には酒で忘れられる恋と忘れられない恋があるんだ」
「そうっすか」
あちゃー、この人あれだ。絡み酒ってやつ。
酔うと誰かれ構わず話しかけたりする、酒場ではもっとも困るタイプの酔っぱらいだ。
「だいたいの人間の恋は酒で忘れられるものだ」
「へー」
さっさとどっか行ってくれないかな。
俺はどちらかと言えば――べつにいまさら言うまでもなくか、コミュ障なのだ。
初対面の人といきなり仲良くなんてできない。
困った気分をごまかすためにビールを一口飲んだ。
「そして、酒で忘れられた恋は次の恋によってきれいサッパリ上書きされる。分かるね?」
「なんとなく」
この人、かなり飲んでるな。
顔が真っ赤だ。特徴的な鷲鼻なのだが、そのサキッチョまで染まっている。
結構ガタイが良く、また顔立ちも整っているのだが、いかんせん表情がだらけきっている。そのせいで不思議と愛嬌のある顔に見えた。
「しかし僕の恋は上書きなどできない! つまりは酒で忘れらない恋なのだ!」
「そうですか、大変ですね」
俺は助けてくれよ、とビビアンを見る。
ビビアンは困りきった俺をさも面白そうに眺めていた。それをサカナにしてビールを飲んでいる。なんて酷い性格の女!
「ときに、キミの恋はどちらだね?」
「はいっ?」
「だから、酒で忘れられる恋か。それとも忘れれない恋か」
「知らんがな」
敬語をやめて適当に答える。俺は適当な男だよ。
「そうか、前者ならば酒をおごったのだがね」
「なんでだよ」
もう敬語で喋るのも面倒くさい。
なんだよこの人。いまだに名乗りもしないで。勘弁してくれよ。
「そこらへんにしてやりたまえ、フェルメーラ」
ビビアンが言う。
どうやら2人は知り合いだったようだ。
フェルメーラと呼ばれた男はやれやれというように肩をすくめてみせた。
「どういうことか説明してくれよ、ビビアン。久しぶりに僕の女神が来てくれたと思ったら、隣に男を連れているんだからね」
なんだよそれ、と俺は笑う。
けれどその笑いは一瞬で凍りついた。
視線だ、視線を感じるのだ。周りの議論はいまだ熱がさめていない。しかしチラチラとこちらを盗み見ているようだ。
どうやらこのフェラメーラが偵察としてこちらに絡んできたらしい。
あれあれ、もしかして俺って完全にアウェーな感じ?
なんだか悪目立ちしてるぞ。
「彼と私はそれはそれは親密な関係さ」
ビビアンが爆弾発言をぶちかます。
視線に殺気がこもった。
「違うよ、違うからね。この人と俺はそんな変な関係じゃないからね」
「なにを言うか。私とキミは将来的に家族になる予定だよ」
「そんな予定聞いてねえよ!」
「まあ、飲めよ。僕のおごりだ」
なぜかフェルメーラはワインを差し出してくるし。ま、せっかくもらえるからもらっておくけど。
「違いますからね、俺にはシャネルって彼女がいるんですから」
いや、まあ彼女のなのかはよく分からないけどさ。なんかそういう関係性とはちょっと違うよね、俺とシャネルって。
「ほう。じゃあ僕がビビアンくんのことを狙っても良いんだね?」
「どうぞどうぞ」
「うふふ、私はそんな安い女じゃないからね」
それさっきも聞いたからね。
というかなんだ、この店。みんなビビアンのことを好きなのか?
はっ! もしかしてこれってあれか? オタサーの姫というやつか!?
やべえ、初めて見ちゃったよ。そもそも俺、不登校だったからな。オタサーの姫を知識としてしか知らないんだよな。
へえ、これがそうかぁ。
でもまあ、たしかにビビアンは美人だしな。モテない男たちからすれば、少し優しくされるだけでころっとなびいちゃうよな。
「いちおう確認するが、本当に変な関係じゃないんだろうね」
フェルメーラの目は笑っていない。
あ、これマジのやつだ。
「当たり前じゃないですか」
「頼むよ、彼女は我々の女神なんだ。そう、革命のね」
革命?
はて、いったいなんの話だろうか。
不覚にもちょっと面白しろそうだなって思った。




