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274 またしてもビビアンと飲みに行く


 ビビアン(偽名)は、ニヤニヤと笑いながら透き通るような銀髪をいじくっている。


「嬉しいだろう?」


 いきなり訳のわからないことを言う女だ。


「なにが?」


 素で答える。


 敬語すらどこかへ行ってしまった。


「この私と会えて幸運だろう?」


 ビビアンは分かりやすく言い直してくれたけど。ごめん、なに言ってるかぜんぜん分からねえ。この人、日本語しゃべってる? いや、日本語はしゃべってないか。


「はあ……」


 ため息。


「まっ! キミ、ため息なんてつくと幸せが逃げるよ!」


「それ……シャネルにも言われましたよ」


 というかもう逃げてるよな。


 だってこの人に会っちゃったんだから。


「で、キミ。こんなところでなにを黄昏たそがれていたんだい?」


「べつに。なんでもないです」


 構わないでくれよ、という雰囲気を出すのだが。ビビアンは当然のように俺の隣を陣取った。


 どっか行ってくれないかなぁ……。


「わあ、見なよほら! ゴンドラだよ!」


「そうっすね」


 ビビアンは川に浮かんでいるゴンドラをまるで初めて見るかのようにキャッキャと喜んでいる。


 このまま落ちてしまえ。と、まではさすがに思わないが。


「いやあ、良いねえゴンドラ。ロマンチックだ。キミ、シャネルさんと乗ったことあるかい?」


「ないですよ」


 別にどうでもいいでしょ、そんなの。


「はは、ツバを落としてやろう」


「あんた下品だな」


「なに言ってるんだい。キミがやるんだよ」


「やらないっすよ」


 マジでなんだよこの人。


「あれ、とういうかキミ……」


「なんですか」


「なんて名前だったっけか?」


「あんた最低だな!」


 人の名前を忘れるだなんて。というか忘れたとしてももっと上手い聞きかたがあるだろ。


「そんなこと言って、キミだって私の名前を知らないだろ?」


「ビビアンでしょ」


 こんな存在感ありありな女のこと忘れるかよ。


「ブー。違いまーす! 私の名前はビビアンじゃありませ~ん!」


 イラッ。


 やべえ、こいつマジで腹がたつぞ。


「ねえ、知りたい? 私の本当の名前、知りたい?」


「知りたくないです」


 頼むからどっかに行ってくれ。


 いや、俺がどこかへ行けばいいのか。


 歩き出す俺。しかしビビアンは当然のごとくついてくる。


「本当は知りたいんでしょ? 遠慮しないでさ」


「うるさいなー。もうどっか行ってくれよ!」


「あ、そっちじゃないよ」


 曲がり角でいきなり手をひかれる。


「うわっ!」


 転けそうになる。


 クソ、またしても馬鹿力だ。なんでこの人、こんなに華奢に見えるのに力が強いんだ、なんか魔法でも使ってるのかよ。


「ほらほら、こっちこっち」


「引っ張らないでくれ!」


「まあまあ、今日も飲みに行こうよ」


「昨日も行ったでしょ!」


「ここで会ったが百年目さ」


「他に友達いないのかよ!」


「うん、いないよ」


「あ、そうなんっすか」


 いや……まあ俺もいないけど。


「なあ、良いだろう? 一緒に行こうよ」


「とりあえず離してくださいよ」


 なんて言うか、このままじゃあ恋人同士で歩いてるみたいで恥ずかしい。


「うん、いいよ」


 まったく、なんなんだよこの人。でもまあ、1人で寂しいのだろうか。


 友達もいないらしいし、家族もいないらしい。この様子じゃもちろん恋人だっていないだろう。


 なんでビビアンがパリィにいるのかは知らないが、この広い街に1人じゃ嫌になるのも分かる。


「やれやれ。とりあえず俺の名前、榎本シンクです。これ言うの2回目なんだからさ。ちゃんと覚えてくださいよ」


「そうかい。榎本シンクね。私の名前はビビアンだよ」


「嘘なんでしょ、それ」


「まあ半分はね」


「半分?」


「いや、4分の1くらいかな? 本当はココって名前さ。覚えても覚えなくても良いよ。いちおう界隈じゃビビアン・ココで通ってる」


 界隈ってなんの?


 まあ質問するのも面倒だから、聞かないでおくか。


 ふと、ビビアンが首にチョーカーをつけているのに気がついた。首元にキラキラした宝石のようなものがはめ込まれたチョーカー。


 なにか褒めたほうが良いかな、と俺は思った。


 女の子を喜ばせるコツはとにかく褒めることらしい。どこかで聞いた。どこで聞いたのかは忘れたが。


「なんだい、シンク」


「べつに」


 やめた。


 なんで俺がビビアンのことを喜ばせなくちゃならないんだ。褒めるのもしゃくだぜ。


「それで、今日はどこで飲むんですか」


 昨日と同じ場所だろうか。


「まあ行きつけの場所さ。ワインは安いんだけど料理は微妙。でもまあ、メインはそちらじゃないんだよ」


「メインはそちらじゃない?」


 アルコールを飲みに行く居酒屋で、飲み物と食べ物以外にメインをはれるものがあるのだろうか?


 俺はちょっとだけ興味が出てきた。


 でも昨日のことがあるからな、今日はほどほどにしよう。


 ビビアンに連れられて、通りから少し離れた店に行く。


 2階建ての店だった。


「ここだよ」


 ビビアンがそう言った瞬間、急速に嫌な予感がした。


 俺のスキル、『女神の寵愛~シックス・センス~』が危険を察知したのだ。


「――ッ!」


 とっさにビビアンを引き寄せてかばう。


 次の瞬間、2階の窓ガラスが割れてそこから椅子が振ってきた。


 パラパラとガラス片が雨のように降り注ぐ。街灯に照らされて、キラキラと雪のように光ってみせた。


「今日も絶好調みたいだね」


「なにが!?」


 え、なに? いつもこんなこと起こってるの、この店。


 言われてみれば、外壁とかもボロボロだし、2階の窓ガラスなんてところどころ継ぎ接ぎみたいな直し方をされている。


「それよりもシンク。私のことを抱きしめていたいのは分かるが、そろそろ離してくれたまえ。しょうじき、少しだけ恥ずかしい」


「あっ。す、すいません」


 いくらかばうためとはいえ、いきなり抱き寄せたのだ。そりゃあこっちだって驚きますよ。ドキドキだってしますよ。


 なんかビビアン、甘ったるい匂いがしたな、香水だろうか。


「やれやれ。私はそんなに安い女じゃないからね」


 ビビアンは俺から離れると、ブルブルと雨に濡れた子犬のように震えた。すると髪の間にでもはさまっていたのだろう、ガラスの破片が地面に落ちた。


「それで、ここで飲むんですか?」


「そうだよ」


 中から人が出てくる。メガネをかけた若い男だ。


「あれ、お客さん? 大丈夫だった、当たらなかった?」


「平気だよ」と、ビビアン。


 ま、俺が助けなかったらたぶん当たってたけどね。


「そっか、なら良かった」


 その男は落ちてきた椅子を回収して、また中へ入っていった。


「もう一回聞きますけど、ここで飲むんですか?」


 嫌だな、ぶっちゃけ。


「そうだよ。ほらほら、中へ入ろうじゃないか」


「大丈夫ですか、からまれたりしませんか?」


「なんだよ、シンク。キミは心配しょうだなあ。もしなにかあってもお姉ちゃんが守ってあげるさ」


「お姉ちゃんって……」


 いや、別にお姉ちゃんキャラは嫌いじゃないけどね。


 どちらかといえば妹萌えよりも姉萌ですし。


 どうでもいいけど最近、もえってあんまり聞かないな。死語なのか、萌ってもう死語なのか?


 なんて疑問はさておき、ビビアンに連れられて中に入る。


 店内はいたって普通の酒場だ。ならず者がたくさんいるわけではなく、どちらかといえば線の細い若者が多いように思えた。


「店主、2階のほう。席は開いてるかい?」


 ビビアンは小太りの男に話しかける。酒場の主人なのだろう。男はビビアンに話しかけれれて、嬉しそうにコップを拭いていた手をとめた。


「ああ、ビビアンさんか。どうぞどうぞ。そっちのツレは?」


「私の良い人さ」


「なにっ!」


 店主の目がくわっと見開かれる。


「いや、違いますから。誤解ですって」


「誤解だなんてひどい! あんなに激しい夜を過ごしたのに!」


「過ごしてないですよね?」


 はあ……嫌になってきた。帰ろうかな。


「ああ、間違えた。これから過ごすんだったね」


「あいにくと相手は選びたいんで」


「まっ! 贅沢なやつめ。そんなんだから童貞なんだぞ」


「童貞ちゃうわ!」


 いや、童貞だけど……。


「怪しいなあ。そんなムキになっちゃって。キミ、本当に童貞だろ?」


 クソ、一瞬に見透かされた。


「ぐぬぬ」


 これぞまさにぐうの音も出ないというやつである。


「なあに、そう悲観するなよ。男なんて全員、生まれたときは童貞さ」


「それ全然慰めになってませんからね」


「あら、そうかい。なんにせよ店主、上の席に行くよ。とりあえず飲み物を運んでくれたまえ」


「あいよ」


 上、ねえ……。


 さっきも椅子が飛んできたし怖いんだよな。


 にしてもこの酒場、本当にビビアンはいきつけなのだな。


「ちなみにこの店、なんて名前ですか?」


 べつに興味ないけど聞いておこう。


「ワーティライていだよ」


 ふうん、と俺は頷いた。


 明日には忘れていそうな名前だった。



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