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273 アイラルンの「行けたら行きますわ!」


 金山とはそのあと別れた。


 後日ギルドで待ち合わせをする約束をして。


 金山が受けていた依頼はパリィから少し離れた場所にある洞窟の探索らしい。


 なんでもその洞窟の中にお宝があるらしく、どこぞの資産家がそれを欲しがっているそうな。それで冒険者にお宝をとってきてほしいと頼んだ。


 報酬は50万フラン。もしもお宝をとってこられたら、それに応じてさらに報酬をもらえる。前金はなしなので洞窟の中で命を落とすようなことがあれば報酬はゼロだ。


 わりと冒険者っぽいクエスト。それはなかなかに楽しそうなのだが、一緒にパーティを組むのがあいつじゃあな。


「はあ……」


 俺は思わずため息をついてしまう。


「ため息をつくと幸せが逃げると言うけれど、幸せって何かしら?」


 シャネルはロウソクの明かりで本を読んでいる。


「さあ、考えたことないな。お前は分かるのかよ?」


「分かるわよ」


「教えてくれよ、幸せってなにか」


「大好きな人とこうして一緒にいられることよ」


「はあ……」


 シャネルに聞いた俺がバカでした。まったくこの子ったら、いつもこうなんだから。もうフルスロットルで俺のことスキスキって迫ってくる。


 逆にあれじゃないか? グイグイ来られるせいで俺が引いちゃってるんだよ。


 だから俺、まだ童貞なんだよ(人のせいにするクズ)。


 やっぱり俺、迫られるの苦手なのかも。


「なあ、シャネル」


「なあに?」


「いや、なんでもない」


 言えないよな、あんまりグイグイ来ないでなんて。だってこっちからだっていけないんだから。これくらいの距離感が俺たちにはちょうど良いのかもしれないな。


 シャネルが俺をスキスキ言う。


 俺がキョドって童貞力を発揮する。


 うんうん、これぞ青春。これぞ幸せ。って、そんなわけあるか。


「シャネル、俺ちょっと外に出てくる」


「あら、どうしたの?」


「1人になりたいんだ」


「それはつまり?」


「男にはそういうときがある」


 シャネルは分かったような、分からなような顔をする。そして、


「飲み過ぎちゃダメよ」


 と、よく分からないことを言ってくる。


 つまり外でアルコールを飲んでくると勘違いされたわけだ。


「べつに酒を飲みに行くわけじゃないぞ」


「あら、そう」


「ちょっと散歩してくるだけだ」


「私が一緒じゃダメなのね?」


「ごめん」


「そう、なら行ってらっしゃい」


 ワガママを言ってしまった。


 でも1人になりたいというのは本当なのだ。


 俺は金山のことで悩んでいるのだ。


 どうして殺せないんだ? 分からない。あんなにイジメられていたのに。


 少なくとも、友達だった期間はあった。でもその後でイジメられた。


 でもあいつは謝ってくれたんだ。


 ああ、ダメだ。考えると頭がごちゃごちゃする。


 どうしてもっと気持ちよく、俺に復讐をさせてくれないんだ。


 これが最後なのに。あいつさえ殺せれば全てが終わるのに……。


 外に出て、あてもなくパリィの街を歩く。


 夕方だった。セーヌ川に夕日が落ちている。そこを通る遊覧船、ゴンドラにオレンジ色の光が落ちている。


 俺は橋の上から川を見つめた。


「はあ……」


 また、ため息だ。


「どうしたものか」


 べつに金山を殺すことは簡単だろう。


「それでどうなるっていうんだよ?」


 そんなことをしたところで、俺は満足できるだろうか?


 いや、できない。


 俺の中にはナイーブな感情があって、それを解消しなければ復讐を果たしたとは言えないのだ。


 ゆらゆらと揺れる川を見ている。


 1人でいる俺。


 誰にも相談はできない。


 相談相手はいない。


 あ、でも1人だけいたな。相談できる相手。


「なあ、アイラルン――」


 因業の女神様の名前を呼んでみる。


 するとすぐに返事が来た。俺の脳内に直接声が響く。


(どうなさいました、朋輩)


「お前いま暇?」


 とりあえずこっちに顔見せろよ、とそういうつもりで言う。


(暇といえば暇ですし、忙しいと言えば忙しいですわ)


「なんだよ、忙しいのかよ。こっちこられない? 相談したいことがあるんだけど」


(このままではいけませんか?)


 まあいいけどさ、と俺は声を小さくする。


「あのさ、金山――俺の最後の復讐相手に会ったんだ」


(それは重畳ちょうじょうですわね)


「ごめん、『ちょうじょう』ってなに?」


(とっても満足って意味ですわ)


「ああ、そうなの。そうね、満足なんだけど」


(なにか不満がありそうなご様子で)


「そうなんだよな~」


 他の人からは俺が橋の欄干らんかんに手を付けてブツブツと独り言を言っているように見えるのだろう。変な目で見られる。けれど気にしない。


「なんだろうか……殺せないんだ」


(殺せない、ですか?)


「そう。うまく言えないんだけどさ。ためらってるんだ」


(はて、どうしてでしょうね。わたくし、朋輩にはそういったためらいを感じさせないようにする認識にロックをかけたはずなのですが……。あ、待ってくださいまし)


「なんだ?」


(そういえば朋輩のロック、この前はずれておりましたね。あの火西さんとかいう教皇に)


「そういやそうだったな……」


 俺はつい数ヶ月前、精神的なバランスをひどく崩していた。


 それはメンヘラというよりももはや精神が崩壊したような状態だった。


 人を殺すことに一切のためらいのいない状態。人間として異常な状態。


(たぶんそのせいですわ)


「もう一回そのロックとやらはかけられないのか?」


(申し訳ありません。無理ですわ。わたくしはいま現在、ほとんどの魔力を失っております。こうして朋輩の前に姿を見せることができないのもそのためですわ)


「そっか。お前もなんか知らんがいろいろ大変なんだな」


(分かっていただけたようで)


「はあ……どうしたものか」


(簡単ですわ、朋輩。もう一度そのかたを憎めば良いのです。それこそ殺したほどに)


「やっぱりそうなるか」


 そうと決まれば、まあやつと一緒にクエストを受けるのも悪いことではない。


 その間に金山を憎めば良いのだから。


(朋輩、頑張ってくださいまし)


「ああ、ありがとうな」


 こんなこと、シャネルには相談できないからな。


 なんというか、俺はシャネルの前で自分の弱みを見せたくないのだ。


 それが恋というものかもしれない。好きな女の子の前で格好つけるのは、男の悪い癖。


「というかアイラルン、お前もうこっちに来られないの?」


 いったいいつも、どこにアイラルンがいるのか知らないが。


(行けたら行きますわ!)


 それ来ないやつだろ……。


 まあいいや。こんなこと言いながらもどうせ要所要所で顔を見せてくれるんだろうし。


(では朋輩、またなにかありましたらお呼びくださいまし。あなたのアイラルンはいつでもどこでも都合よく待機しておりますわ)


「デリヘルかよ」


(呼んだこともないくせに)


 はいはい、どうせ童貞ですよ。俺も言ってみたかっただけだし。


 じゃあな、とアイラルンに言う。


 それで、不思議な表現かもしれないがアイラルンの気配が頭の中から消えた。


「ふう……」


 俺は先程よりもスッキリしたため息をつく。


 やっぱりそうだよな、いま金山を殺せないなら殺せるようになれば良いのだ。それって簡単なことだぜ。


「待ってろよ、クソ野郎」


 俺は夕日に向かって、宣言する。


 さて、これで気は晴れた。シャネルのところに戻ろうと振り返るようにして後ろを向く。


「やあ――キミ、今日も会ったね」


 たぶんその瞬間、俺の表現はかなり複雑なものだっただろう。それこそ金山と会ったときよりも、だ。


 後ろに立っていた真っ白い髪のスレンダーな女。


「げえ、ビビアン」


 俺は思わず、そうつぶやいてしまった。



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