269 ダモクレスの剣
昨日の夜よりも眠った後の朝のほうが体調不良。
不思議なものだ、でもそれが二日酔いというもの。
「死ぬ……いや、死にたい。もういっそ殺してくれ」
グダグダと言いながらソファから転がり落ちる。
いま何時だろうか?
「うっぷ……」
吐き気が襲ってきた。
部屋には誰もいない。
「しょーがないな」
しょうがないのである。
俺は窓のほうに行き、ゲロを吐く。
「うえええっ……」
もう酒は飲まない。
一生だ!
絶対にアルコールなんて摂取しないからな。そもそもあれなんだよ、ただの毒だろ。なにが悲しくてあんなもんを飲まなくちゃならないんだ。
「ちょっと、シンク」
部屋のドアが開いた。
いままで気がついてなかったけど、シャネルのやつ外に出てたんだな。
「おかえり……」
「窓から吐いたでしょ? ダメなのよ、最近そういうの。一昔前まだならまだしも、いまはパリィの改革が進んで窓から汚物を捨てないようにしましょうってなってるんだから。バレたら罰金よ?」
「いや、待って。ちょっと前までならこれやって良かったの?」
「当たり前じゃない」
……マジかよ。
お前それマジでやばいやつじゃん。俺ちゃん知ってるよ、中世だとか近世の街はとにかく汚くて、衛生観念とかゼロに近かったんでしょ。
いやあ、このパリィは悪臭こそあるが街はキレイだと思ってたけど。誰かが清潔にしようと頑張ってるんだな。えらいえらい。
「とりあえず朝ごはん」
どうぞ、とパンを渡される。
いや食べられないから、食べても吐くからどうせ。
「風邪、治ったのか?」
気持ち悪さを我慢してベッドに座る。シャネルの甘い匂いがした。
「ええ、すっかり良くなったわ。ありがとう、シンク」
「べつになにもしてないぞ」
「長ネギくれたでしょ」
「ま、あれもビビアンが買ってくれたんだけどな」
というか俺、もしかしてダメ男なのか?
あれだよな、あんまり自分でお金とか払わないような。はいはい、どうせ俺はゴミですよ。ゴミでクズで二日酔いで童貞のクソ野郎ですよ。
――自分で自分を卑下しないで!
と、シンクくんの心の中の天使がなにか言ってる気がするけど。いや、これアイラルンの声か? 最近こっちに来ないから声も忘れちゃったよ。
シャネルはソファに座ると、新聞を開く。
今日のお洋服は涼しげなワンピースだ。あまりフリフリ要素は多くない。ゴスロリというよりも夏のお嬢さんって感じだ。
やっぱりこういう服もあまりこの異世界では見ないけど。でもシャネルの好みってあれだよな、異世界の人とちょっと違うよな。サブカル寄りというか。
もしかしてこの娘、異世界基準で言えばセンスがないんではないのか!?
「ふんふむ。なんだかパリィの街は日に日に悪くなっていく気がするわ」
「お前、新聞好きね」
「そうね、田舎にいたうちはこれしか娯楽がなかったから」
「面白いニュースある?」
「待って、いま連載小説読んでるから」
「へえ、そんなもんもあるのか」
俺はぐったりとベッドに横になる。これは昼くらいまで治らないかもな。
「でも毎日いいところで続きはまた明日になっちゃうのよね」
「はは、そういうもんさ」
「本って高いから、市民にはこっちのほうが好まれるのだけど……でも最近は週間での小説販売もできてるのよ」
「俺よく知らないけどさ、本ってどれくらいの値段なんだ?」
「だいたい10万フランね」
マジで?
高すぎだろ。
10万円くらいってこと?
うそーん。
日本じゃ新書で1000円くらい。ハードカバーの単行本で1600円くらい。ライトノベルなら700円くらいか?
すっげえどうでもいいけど最近ライトノベル高くなったよね。どうでもいいけど。
「シャネル、そういやお前、本も買ってるよな?」
「べつに飽きたら売るわよ」
服と同じでね、とシャネルは笑う。
新聞から目を離そうとはしない。俺は新聞に少しだけ嫉妬した。
「俺のことも飽きたら売ったりしないよな?」
すこし意地悪な質問をする。
「あら、人身売買は法律違反よ」
「マジレスかよ」
「ガングー法典にもそう書かれてるわ。知ってる? ガングー法典」
「知ってるさ、ガングーさんが作ったんじゃなくて主導しただけなんだろ? ドレンスの現法だ」
昨日ビビアンに教えてもらった。覚えようと思ったわけじゃないけど記憶に残っていたのだ。
「あら、よくご存知で」
「偉いだろ?」
「そうね」
小説のコーナーが終わったのか、シャネルはパラパラとページを捲っていく。面白いニュースから読む、というのがシャネル流の新聞の楽しみ方らしい。
「どう、なんか良いトピックはあったか?」
「そうね、面白そうなニュースがあったわ」
「へえ」
「ダモクレスの剣が盗まれたらしいわ」
「なに、それ?」
なんだか格好いい名前の剣だな。
エクスカリバーとか、アロンダイトみたいな。
え、アロンダイト知らない? デスティニーガ○ダムの武器ですよ。あのデカイ剣。対艦刀というやつだね。とまあ、冗談だが。
「ダモクレスの剣ってのはね、宮殿に飾られていた剣よ」
「なんでそんなものが?」
「それには理由があってね。王座の間の上にくくりつけられた剣で、一節には王の器を持たぬものが王座に座れば、その剣が落ちてきてその者を串刺しにするそうよ」
「へえ」
まあ有名な剣ってことだ。それが盗まれたって、けっこうやばくないか?
「ちなみにガングーが王座に座ったときは落ちたらしいわよ、ダモクレスの剣」
「えー」
おいおい、それってダメなんじゃないか。
「もっともガングーの場合は落ちてくる剣を掴み取って、そのまま地面に突き刺したらしいけどね。べつに良いのよ、ガングーの王権は神様に認められたものじゃなくて人民が認めたものだからね」
「ふうん、そういうことか」
もしかしてその剣、マジックアイテムかなんかなのか?
よく分からないけど。
「で、その剣が昨晩盗まれたらしくてね。いま警察が捜査してるんですって。もしかしたらギルドにも依頼が来てるかもしれないわね」
「ギルドねえ。そうだシャネル、ギルドに行くか?」
たまには仕事しなくちゃね。
「良いけれど、体調は大丈夫?」
「もうちょっと休憩したら行けるよ」
「そう、なら準備しましょうか」
シャネルは新聞を畳んだ。
俺はその新聞を手に取る。もちろん文字は読めないのだが。
「あら、シンク。新聞に興味が?」
「いや、べつに」
一枚だけページをとって、それを折る。
できたのは紙鉄砲だ。
昔よく作った。振ると「パンッ!」という音がするだけのオモチャだ。オモチャというか、折り紙というかだけど。
「なあに、それ?」
「これな――」
俺は三角に折られた紙を振り抜いた。
甲高い音がして、シャネルが跳び上がる。
「きゃっ!」
「と、いうふうに音が出るので人を驚かせることができる。ただこれだけだ」
「ぜんぜん面白くないのだけど?」
「でしょうな」
俺は新聞紙を放り出して、立ち上がる。
シャネルは俺の捨てた紙鉄砲を懐に入れた。
「で、二日酔いは?」
「まあ大丈夫でしょうよ」
にしてもキツイな。これどうなってるんだよ。
一緒に飲んでいたビビアンは大丈夫だったのだろうか? もしかしたら、いまから昨日の酒場けん宿に行けば会えるかもな。
いや、あの人にはもう会いたくないけど。
「シンク、もしかして他の女のこと考えてない?」
「ぜんぜん考えてないぞ」
変なところで鋭いなぁ。
それにしてもダモクレスの剣か。
いったいどこの誰がそんな骨董品を盗んだんだろうな。俺は壁にかけられた刀、クリムゾン・レッドを見つめる。
ぜったいこっちのほうが格好いいよな?
やっぱり日本刀って最高だぜ!
俺はそれを腰に差す。
「行きますか、シャネル」
「ええ、そうね」
でもその前に――。
「おえええっ!」
もう一回だけ窓から吐いておく。
「やれやれ、酔っぱらいなんて嫌いよ」
「ごめん」
「シンクってお兄ちゃんと相性良さそうね」
「知らねえ人のこと言われてもなあ……」
じつは新聞だけではなく、シャネルの兄にも嫉妬している俺。
むうっ……。
でもよく考えたらシャネルはその兄を殺すために旅をしているんだよな。殺せるのか? こんなふうに兄を慕っているのに。本当は、いまでもそうなんだろう?
でも俺は何も言わなかった。
俺だって同じなのだから。
俺は殺せるのだろうか、最後の1人を。
金山を。
吐き気をこらえながら、俺は外に出た。




