267 お姫様
そして連れて行かれたのはパリィでも有名な酒場だった。
酒場といっても宿と一緒になっているタイプだ。2階で寝泊まりできるのでヘベレケに酔っても問題ないのが素敵だ。
もちろんその場合、階段の上り下りは気をつけなければならないが。
「ふう、今日も頑張ったね! さあ、一杯やろうか」
美女はまたしてもわけのわからないことを言う。
「まだ昼間っすよ! あんたもう酒を飲むのかよ!」
俺は思わずつっこんでしまう。
「悪いかい?」
「良い悪いで言ったら、悪いほうじゃないですか?」
「キミに良いことを教えてあげよう。悪いことほど面白い。心のメモ帳に残しておきたまえ」
なんだこの人?
アルコール依存症か?
俺も異世界に来てからこっち、アルコールを飲むようになったけどここまでじゃないぞ。なにせシャネルはアルコールばかり飲んでいる人を嫌うからな。
俺はシャネルに嫌われたくないから昼間からは飲まないようにしているんだ。できるだけ。
とは言っても……。
「さあ、入ろう!」
美女に手を引かれていると、まあ良いかななんて気分になってしまう。
「少しだけですよ」
「やあやあ、ノリが良いね! 私そういう人のこと大好きだよ!」
うぐっ……!
「い、いきなり好きとか言わないでくださいよ」
ドキドキするから。
こちとら童貞だぞ?
「ああ、失敬。少々馴れ馴れしかったかな?」
「べ、べつに良いんっすけど」
それにしてもこの人、身長が女の人にしては高いほうかもしれないな。シャネルもスラッとして長身だけど、たぶんそれよりも高い。並んでいるとよく分かる。
「んー? なんだいマジマジと見ちゃって。もしかしてお姉ちゃんに惚れたかい?」
「お姉ちゃんって……あんた何歳ですか」
不思議な女性だ。若いのは確かだけど、20代の前半にも後半にも、なんなら10代くらいにも見える。
「まっ! レディに年齢を尋ねるとはキミも失礼な人間だね!」
「べつにそういうつもりじゃ……」
「いくつだと思う?」
「いくつでもいいですよ」
どうでもいいよ、そんなの。
にしてもこの人、本当にずかずかと人との距離感をつめてくるな。俺は根っからのコミュ障だから初対面に近い人とはまともに話せないのに、この人とはなんだかんだで打ち解けている。
「さてさて、酒場の前で立ち話もなんだ! お大尽様のおなりだぞ!」
まったく、わけのわからないことばかり。
でも俺は、クスリと笑ってしまう。
いや、別に面白かったわけじゃないぞ。あんまりにもくだらないからさ。
「おや、やっと笑ってくれたね?」
ニヤリ、と美女も笑う。
それは昨日見た妖艶な笑い方ではなくて、どちらかといえば男友達に向けるような無邪気な笑い方だった。
「アルコールを飲みまくったらもっと面白くなりますよ」
「たしかに! キミは慧眼だね!」
というわけで、中へ。
俺としては隅っこの席に座りたかったのだが、美女は真ん中の席に堂々と陣取った。
「酒だぁ! 酒を持ってくるのだぁ!」
そしてその美しい顔からは想像もできないほどに豪快に――しかし可愛らしい声で宣言する。なんだかこの人の声はあれだ、俺が昔好きだった声優さんのものに似ていた。
「というか、なんで俺を誘ったんですか?」
「え、キミを誘った理由? 簡単だよ、こんな昼間から私みたいな美女がアルコールと愛し合っていたらどうなると思う?」
「酔っ払う?」
アルコールと愛し合うってひどい表現だね、どうでもいいけど。
「それもあるが――違う。こんな美人が一人じゃあ、酔っぱらい共が放っておかないってことさ」
「自分で美女って言うんっすか?」
いや、まあ異論はないのだけど。
「なにか問題でも?」
「まったくありません」
しいて言うならば俺の好みじゃないのだが。
もっとこう……慎みというものをだね。
まあ女友達、って言うとこんな感じなのかもしれないけど。俺はそんなリア充御用達の友達を持ったことないけれど。あ、そもそも男の友達もいなかったわ。
さて、アルコールが来た。麦芽酒――つまりはビールだ。
「我々の出会いに――ん、違うな? 友情に……これも違うな。そういえばキミ、シャネルさんは見つかったのかい?」
どうしてシャネルの名前を?
あ、いや。そういえば昨日教えたんだったな。俺はやれやれと首を振る。
「見つかりましたよ」
「それは良かった。ではシャネルさんに乾杯だ!」
コツンと木製のジョッキを打ち合わせる。
なんかこういうジョッキってあれだよね、バイキングとかが使ってそう。小型の樽みたいなやつだ。
美女はグビグビとビールを飲む。
見たくないなあ、女の子のこういう姿。
そう思いながらも俺も飲む。
「良い飲みっぷりだね」
褒めてもらえた。
「まあ」
「そういえばキミ」
「なんっすか?」
「まだ名前を聞いてなかったね!」
「いまさらっすか?」
俺はずっと気になってたけどね、この人の名前。
「キミには私に名前を教える権利があるよ。名乗りたまえ」
「なんでそんな尊大なんっすか。まあ名前くらいは教えますけど。えー、榎本シンクです」
なんだか美人に名前を教えるのって緊張するな。
「榎本シンク。ふーん。えのもとしんく」
美女は口の中で飴玉を転がすように俺の名前を反芻する。
「おかしな名前だ」
うふふ、と笑う。
「それで、そっちは?」
「なんて名前だと思う?」
「わかるかっ!」
「ビビアンさ」
「ビビアン?」
「嘘だ」
「はい?」
「だから嘘だよ。まったく、ジョークの通じない殿方だ」
「いやいや」
まったく意味が分からない。
「あ、店員さん。おかわりくださいな。それとなにか食べるものでも」
美女はそう言って店員を呼ぶ。
いやいや、名前を教えてくれよ。なんだよビビアンって誰だよ。
「それで名前は?」
「悪いが名前は言えないよ。どうしても呼びたかったらお姫様とでも呼んでくれたまえ」
「お姫様?」
「そうだ」
バカなのか、この人。
「なあ、お姫様」
「なんだい?」
本当に返事したし。
「お姫様、ここの支払いどうします? 割り勘にします?」
「私は払う気はさらさらないよ」
美人――もといお姫様は堂々と言ってのける。
「さ、さすがお姫様! 自慢気に言うことじゃねえぞ!」
いや、まあ良いんだけど。どうせシャネルに小遣いもらってるし。
「キミ、私はいまも仕事中なんだぞ!」
「なに言ってるんすか」
「あのね、美人というのは美人であると言うだけで大切な仕事をしているのだよ」
「なに言ってんだ、こいつ」
思わず心の声が口から出た。
「うふふ」
「酔ってるんですか、お姫様」
まだ一杯目だけど。
「さあ、どうだろうね。あるいはいつでも酔っているのかも知れない。そう、自分に!」
「それ、つまらないですから二度と言わないほうが良いですよ」
「そうかい」
二杯目が来た。
ついでに肉料理もだ。クズ肉のつめあわせ。街の酒場ではよく出てくる。とにかく味付けが濃いのでなんの肉かは不明というのが相場だ。
「それでは、榎本シンクに乾杯!」
「はいはい、お姫様に乾杯」
「なあキミ」
「なんっすか?」
「そのお姫様って言うの、やっぱやめない? けっこう恥ずかしい」
……でしょうね。




