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263 デウス・エクス・マキナ


「それで、あんた借金はいくらあるんだ?」


「40スーです」


「わるい、フランで言ってくれ」


「フランだと200万フランよ」と、シャネルが横から口を出す。


「200万! ひえ~。そりゃあすげえ借金だな。いったいなにを買ったんだ、クルマか?」


「いや、服です」


「服?」


 どうやらシンクはピンと来ていないようだ。それもそうだ、現代日本での価値観しかない男からすれば服が一着数百万円と言われても理解できない。


「シンクは知らないかもしれないけど、服って高いのよ」


「ちょっと待て、シャネル。お前はその高い服をあんなにポンポン買ってるのか」


「そうよ、でも飽きたらちゃんと古着屋に売ってるわ」


「いやいや、一着を大事に着ましょうよシャネルさん」


「ときどきケンカして服をボロボロにする人に言われたくないわね」


「……すいません」


 やっぱりこの2人はお金もちなのだな、と思った。


「それで、そのお金が返せないと。ふうん……人間、欲しいもの全部は手に入らないものね」


「なんでも好き勝手買ってるお前が言うことか?」


「あら、べつに私はお金がなくても貴方さえいれば良いのよ。なんなら貴方といられるならボロを着てても良いわ。そっちの女性だってそうでしょう?」


 シャネルは口元に手を当てて上品に笑った。


 いきなり現れた男女に険しい目線を送っていたナナも、その様子に毒気を抜かれたようだ。


「まあ……」


「さてさて、お金がない男女。学生さんとグリゼットかしら? うふふ、そういうのって素敵よね」


「そちらはずいぶんとお金もちみたいで――」


 ナナが嫌味を言う。


 けれどシャネルはその言葉をしれっと無視した。まるでなにも聞こえなかったかのように。


「どこの仕立て屋で服を買ったの?」


「えっ――?」


 レオンくんはシャネルが何を言っているのか理解できず、ほうけた声を出す。


「だからどこのよ。もしも私が知ってるところなら話をつけてあげましょう。そうでもしないとシンクったら、40スーだろうが100ピストルだろうが保証もなしに貸しつけしそうだもの」


「え、俺? いやー、お金は貸さないぞさすがに」


 お金ちゃんは大事だからな、とおどけるように言うシンク。


「ふふん、貴方って優しさを通り越して甘いことがあるのよね。もしくは商家を襲ったりしかねないわ」


「いやいや、そこまではやらないぞ?」


「ともかくここで話しを収めないとシンクは気がすまないでしょ?」


「その通り、シャネルはよく分かってらっしゃる」


「当然よ、なにせ貴方の生涯の伴侶だもの」


「勝手に言ってろ――。とまあ、そういうわけだ。俺たちにできることなら力を貸すぞ」


「ほ、本当ですか? あの、レオリミオールという仕立て屋なんですが」


「ああ、あそこか。なかなかいい店ね」


「知ってるのか?」


「私ほどの上客はいないんじゃないかしら? まあ何年かくらいは待ってもらえるでしょう、その代わりちゃんと返しないさよ。そちらの人と一緒にね――」


 きれいな指輪ね、とシャネルは微笑む。


「あ、ありがとうございます」


 とナナは褒められて照れている。しかしその顔には警戒の色が浮かんでいる。


「ねえ、レオン」


「なに?」


「この人たち誰?」


 もっともな疑問である。


 ナナからすればシンクたちはいきなり現れてなにもかもを解決してくれる救いの神に思えただろう。だからこそ胡散臭くも思えている。


「誰と言われてもな……?」


「私は私よ。シャネル・カブリオレ。こっちは――」


「榎本シンク。そうさな、いうなれば正義の味方だ」


「というよりもそうね、機械仕掛けのデウス・エクス・マキナかしら?」


 オペラなどでときおり見られる手法である。


 物語の終わりに、最後の最後にあらわれて全てを解決してくれる神様。


 たとえるならばシンクとシャネルはこのようなものだっただろう。


 けれど神様は人間を助けてなんてくれない。


 人を助けてくれるのはいつだって人だ。


 人と人が助け合って、そして幸せになる人がいる。


 レオンくんは2人の冒険者に感謝しか感じなかった。パリィに出てきたからというもの、他人を羨ましく思うことは多々あった。


 けれど他人に感謝をしたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。


「ありがとうございます――」と、レオンくんは頭を下げた。


 それで、シンクは照れたように「べつに」と微笑むのだった。




 ――――――


 それから2日して、シンクとシャネルとカフェで待ち合わせをした。


 レオンくんとナナはすっかり旅支度を整えて、港町であるテルロンを目指すところだった。


 テルロン――かつてシンクが2人の半人を逃した街でもある。2人はそのあと海を渡りアメリアという国へ行った。


「旅行かい?」


 と、大荷物をもつレオンくんたちにシンクが聞いた。


 シンクとシャネルはカフェのオープンテラスで優雅に軽食をとっていた。


「いえ、これから故郷に帰るんです。パリィの街は俺たちのいる場所じゃない」


 故郷、という言葉を聞いてシンクは遠くを見つめる。


「そうか、故郷か」


「はい」


「羨ましいな、俺には帰る故郷なんてないからな。もっとも、故郷とは遠くにあって思うものという言葉もある」


「帰りたいんですか?」


 なんだかそういうふうに思えた。


 シンクは黒いコーヒーを飲んでいた。それを飲み干して、苦い顔をする。


「まさか――」


 立ち上がるシンク。


 手を差し出してくる。


 握手だ。


「あの、本当にありがとうございました」


 何度目になるのか分からないが、感謝の言葉をのべる。レオンくんの借金についてはシャネルが話をつけてくれた。驚くことに無利子の有る時払いだ。


 それはもはや借金ではなく譲渡に近いものだが――しかしレオンくんは真面目に返すつもりだった。


「なあに、困ったときはお互い様さ。もしも俺が困ったら、あんたも助けてくれよ?」


「もちろんです、俺にできることならなんでもします。あ、俺こう見えて弁護士の卵なんです。なにかあったときは任せてください」


「それって裁判かよ。あはは、じゃあ確かに頼むぜ」


「はい」


「レオン、馬車の時間よ」


 ナナが言う。


「うん。それじゃあシンクさん、ありがとう」


「おう。じゃあな」


「ごきげんよう」と、シャネルも言う。


 歩き出す2人の薬指には指輪が光っている。


「ほら、レオン。もっと背筋を伸ばして」


「う、うん」


「もう。行くわよ、早くしなくちゃ。馬車の時間に遅れれば大変なんだから」


「分かってるって」


「ねえ、田舎の人は私のこと受け入れてくれるかしら? 大手を振って送り出した村一番の神童がグリゼットなんて連れて帰ってきたら」


「わ、分からんないけど」


「もう、そこは大丈夫だって言いなさいよ!」


「あ、ごめん。大丈夫だって、うん。俺たちは愛し合ってるんだ文句なんて言わせないさ」


 その言葉に、ナナは嬉しそうに笑った。


 けれどそれをどうしてもレオンくんに見られるのが恥ずかしかった。


 なのでうつむいて、一言。


「バカッ」


 と呟いたのだった。


これにて短編【お針子】終了です

明日から3日間、第5章【冒険者】のプロット作成のため更新おやすみします

次回更新、8月26日(月)の16:00です。

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