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262 舞台に舞い降りた主役


 しかし両手いっぱいの愛があろうとどうにもならないの、それが現実。


 2人の歩みが愛の逃避行となろうとも、現実というものは背後からものすごい速さで追いかけてくるものであります。


「ちょっと、あいつら魔法まで使ったこっちのことを追いかけてくるわよ!」


「あー、だれか俺たちの居場所が分かるのか」


「あんたねえ、もっと慌てなさいよ! なによさっきからニヤニヤして!」


「いやあねえ……」


 ――だって俺、ナナと結婚するんだぜ?


 と、レオンくんは先程から夢心地だ。


 この若者はいま幸せの絶頂であり、少しばかり頭の中がパァになっているのだ。


「あっち――大通りに出るわ。そこならさすがに攻撃魔法なんかは使えないでしょ!」


「そうしようか」


「ニヤニヤしないでシャキッとする!」


 2人が出たのは、ちょうどオペラ座の近くだった。


 オペラ座。すばらしきプチ・ブルジュワの夢の館。2人の貧乏人にはまったく関係のない場所でありながらも、しかし中は見られない宝石箱だ。


 その宝石箱から、着飾った格好をした人々が出てきた。


 どうやら講演が終わったらしい。


「ふんっ、さっさと行くわよレオン。逃げなくちゃ」


「う、うん」


「ちょうど良いわ。これだけ人がいれば私たちの姿も隠れるわよ」


 レオンは思わず、オペラ座から出てくる貴婦人とナナの着ている服を比べてしまう。


 俺はいつかナナにあんな素晴らしい服を着せてやることができるだろうか?


 ぞろぞろと出てくる人々。


「ああ、素晴らしかったわ」


 そんな声が聞こえる。


「なあ、この演目前も見なかったか? なあ、見たよな?」


「あら、出てくる俳優が違うのよ。気が付かなかった」


「ぜ~んぜん」


 そんな会話をする2人組の男女。


 その男女が、ふとレオンくんを見た。


 下げずまれるかな、と思った。けれど違った。男は少しだけ微笑んだ。


「おう、なんだ。あんた――えーっと、レオンだったか?」


「え? あ、ああっ」


 レオンくんはやっと気づいた。


 あたりが少しだけ暗くてよく見えなかったが、その男女は冒険者。榎本シンクとシャネル・カブリオレだ。


 いまナナの指にはめられた指輪の材料はこの2人が格安でもってきてくれたものだ。


「あんたらもデートか?」


 と、シンクは言う。


 どうやら少し酔っているようだ。仏頂面の中に親しみがあった。


「あ、いや……俺たちは」


 そのとき、レオンくんは天啓てんけいのようなひらめきを思いついた。


 この人ならば、自分たちを助けてくれるかもしれない。


 それはあるいは根拠などないひらめき。


 ただシンクがバカに強くて、この前も助けてくれたからというだけだ。


「あの、俺たちいま追われてるんです」


「追われてるんです」と、シンクはオウム返しに言う。


「助けてもらえませんか」


 シンクは空を仰ぎ見る。


 なにかを考えているようだ。


「どうするの?」と、となりにいる絶世の美女、シャネルが聞く。


「悪いが断る」


「ッ――そうですか」


「俺たちは冒険者だ。慈善事業をやってるわけじゃない。分かるだろ?」


「もちろんです」


 やはり虫のいい話だったか。


 もしもこの人になにかを頼むならばお金がいる。


 そしてレオンくんたちはそのお金をまったく持ってない。


 ふと、パリィの悪臭が鼻をついた。いままで慣れていたせいでぜんぜん気にならなかった悪臭だ。それがいま無性に気になってきた。


「すいません、変なお願いしてしまって」


「いや、こっちこそすまんな」


「いえ、悪いのは俺たちです」


 ふと見れば、シンクの隣にいたシャネルがじっとナナの手にある指輪を見つめていた。


「あ、あの。なんですか?」


「きれいな指輪ね」


「え、ええ?」


「それだけよ、じゃあね」


 頭を下げてレオンくんたちはまた走り出す。


 この街から出よう、とレオンくんは思った。


 この街は俺たちのいる場所ではない、と。


「なあ、ナナ」


「なによ」


「田舎に戻ろうと思うんだ、俺。ついてきてくれるか?」


 ダメと言われたらどうしようか。そうしたら岩にかじりついてでもこの街にいるしかないのだが……。


「あんたねえ、結婚しようって言ったあとにそれを言うのって卑怯じゃない?」


「うっ……」


 たしかにそうだ。


 はあ、とナナはため息を付いた。


「ついてくわよ、あたりまえでしょ。しょうじきなところ言って、私もこのパリィにはうんざりしてたのよ。華のパリィで夢を見るのはもうやめにするわ。片田舎でうだつの上がらない弁護士さんの女房をやってるのも、悪くないわね」


「たぶん、暮らしには不自由させない。と、思う」


 自信はなかった。


「あんたねえ、そこは田舎で一番の弁護士になるくらい言えないの?」


「いや、だって田舎って言っても弁護士やってる人なんてたくさんいるし……」


「それでも言うだけならタダでしょ! ほら、言ってみなさいな」


「分かったよ、俺一番の弁護士になるから」


「よろしい。そうと決まれば――こんな街出ちゃいましょうか」


「ああ――」


 路地の先が行き止まりになっているのに気がついた。


「あれ、おかしいな。この路地で工事なんてしていたかな」


 パリィの街は生きている、という人もいる。


 いきなり自分の知らない場所で工事が始まるなんてよくある話しで、昨日と今日では街は様変わりしている。


「どうしようか、ナナ?」


「どうするって、街から出るだけでしょ。あんたの田舎ってどこだったかしら」


「テルロンだよ」


「テルロン? ああ、港町ね。良いじゃないの、港町。私、海って見たことないわ」


「見せてやるよ、別に俺のじゃないけど」


 でもとにかくいまは――この場をどうにかしなければ。


 なにせ後ろから追手が来ているのだから。


 そしていま――。


「やっと追いついたぜ」


 追いつかれた。


 まさに袋のネズミだ。


 借金取りは3人。そのうちの1人はゴロツキには似合わないこぶりな杖を持っている。魔法が使えるのだ。


 レオンくんはナナを後ろに下がらせると、自分は一歩前に出る。


「レオン・マクスウェルさんですね。貸したお金、耳を揃えて返していただきますよ」


 杖を持った男が、言う。


 丁寧な言い方の中には底知れない恐ろしさがあった。


 そこらのゴロツキよりもインテリジェンスな雰囲気がある。オールバックになで上げられた髪のせいだろうか?


「お金は、ない!」


 恐れながらもレオンくんは言い切った。


「ないではすまされませんよ」


「絶対に返す、だからもう少しだけ待ってくれ。1年、いやあと2年待ってくれ」


 少なくともこれまで3年は待ってもらったのだ。あと2年くらい待ってくれという身勝手なお願いである。


「絶対に返す、と言って返さないやからが多いから私たちはこうして出向いているのですがね。もしも返せないというのなら――ああ、そうだ。そちらのお嬢さんを娼館にでも売り渡しましょうか?」


「ナナを? バ、バカ言うな!」


「器量も良さそうですし、娼館は出来高制ですよ。1年も働けば借金を返すどころかちょっとした財産を作ることもできるかもしれませんよ」


「絶対に断る!」


「断られてもそうしますよ――痛い目にあいたくなければ大人しくしていなさい。しょせんその女はグリゼットでしょう?」


「うるさい! 来るなら来い、俺は負けないぞ!」


 レオンくんは拳を構えた。


「――やれ」


 と、借金取りの男が号令を出す。


 クソ、こうなればやれるだけやってやるぜ。レオンくんはそう覚悟をした。


「俺はナナを守る!」


 そのときだった。


「あっはっは! よく言った! 俺ちゃん、そういうの好きだぜ!」


 声と同時に誰かが上空から振ってきた。


 まるで舞台装置をつかってふわりと舞い降りた主演のように――。


 その男は片手に細身の剣を。もう片方の手には小さく俺曲がった筒――それがモーゼル銃であるということはレオンくんには分からない――を持っている。


「シンクさんっ!?」


 どうして、とレオンくんは叫ぶ。


「いやはや、野次馬根性でちょっと後を追ってたけど。借金っていうのはいけないことだよな。でもそれで女を借金のかたに出せっていうのは冗談がすぎるってもんだぜ」


「悪いが冗談ではないですよ」


「本気ならばなお悪いっ!」


 シンクが刀を構えた。


 それにたいして借金とりたちはナイフを抜くが、どうしても攻めあぐねているようだ。


 それでも蛮勇をふるって突進してきた。


「うおおっ!」


「やれやれ」


 シンクは深く身を下げると、跳ね上がるようにしてナイフの刃先だけを切り上げた。


 一瞬の神業だ。借金取りの体を一切傷つけず、武器だけを壊してみせた。


 そしてモーゼルを向ける。


「これは小型の銃だ。そこらへんの兵隊が持ってる銃よりも高性能だ。意味が分かるか?」


「ううっ……」


「あんたら、悪いがここは一つ剣を収めてくれないか。この人だって金は返すって言ってるんだ」


「そうはいかない。風を、我が敵を叩き潰せ。――『ウインド・アックス』」


 魔法の詠唱とともに周囲の空気が歪んだ。


 風魔法でできた大ぶりの斧が頭上からシンクに対して振り下ろされる。


 それにしたいしてシンクは、


「隠者一閃――『グローリィ・スラッシュ』!」


 叫び声とともに刀を横薙ぎにふるった。


 上空に向かって魔力の波動が拡散していく。


 一瞬にして『ウインド・アックス』の魔法はかき消えた。


「なっ、なんだと」


「まだやるかい?」


 シンクはゆうゆうと言うと、上空に向かってモーゼルを打ち上げた。


 その音は思ったよりも大きく、それで借金取りたちは逃げ出した。


「シンクさん、ありがとうございます!」


「べつに、ちょっと酔ってたからな。特別だ」


 照れたようにシンクは笑う。


 なんだかんだと言って助けてくれる、やっぱり優しい人なのだ。この人は。


 でも怖い人でもある。


 きっとあそこでレオンくんが勇気を出さなければシンクは手を差し伸べたりしなかっただろう。そういう気配がシンクにはあった。


「あら、シンク。終わったの?」


 物陰からひょっこりと、シャネルが現れた。


「おう」


「まったく急いで行くから追いつけないのよね」


 うふふ、と笑うシャネルはなにか不思議な答え合わせをしているようだった。


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