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252 4度目の復讐、あるいはその失敗


 荘厳そうごんな聖堂は、その存在自体にまったくの間違いなどないかのように静かな雰囲気で俺を迎え入れた。まさしく無謬むびょうである。


 いま、この広い空間には俺と火西の2人だけがいた。


 その2人の男――異世界への転移者たる俺たちを、いかにも正義面したディアタナの像だけが蔑んだように見つめている。


「やっと、来てくれましたね」


 と、火西はつぶやくように言って両手を広げた。


 まるで俺を抱きしめようとでもするように。


 俺は抜身の刀――血が滴り落ちている――を持ったまま、一歩前に進む。


 ステンドグラスから差し込んだ光が、空気中にある埃を宝石のように光らせる。


 あんがい床にも、周囲の椅子にも埃がたまっていた。あるいはここはあまり使われることのない場所なのかもしれない。


「ひとつだけ、確認させろ。お前は俺のことを覚えているな」


 俺は刀を振る。


 血が弓なりに床を汚した。


「もちろんです、榎本シンクさん。キミのことはこれまで一度も忘れたことはなかった」


 キミ、という気取った言い方に寒気を覚える。


「そうかよ、俺に復讐されるのをビビってたのか?」


「いいえ、違います。私は――キミに殺されるのを待っていました」


「なんだと?」


 俺は思わず歩みを止めてしまう。


 俺に殺されるのを、待っていた?


 意味が分からない。こいつはなにを言っているのだ?


 俺はまじまじと火西の顔を見る。


 いまにも死にそうな老人だ。髪は全てが白くなり、眉毛すらも白い。頬はたるみ、肌にはところどころシミが浮かび上がり、唇は夏場に干からびたミミズのように乾燥している。そのくせ、目だけは赫灼かくしゃくと力強さをたもっていた。


 不気味な男――俺は心のどこかで自分が気圧されたのを感じた。


「どういう意味だ!」


 弱気を振り払うように語気を強くする。


 俺はこの男のことが分からない。なぜなら俺はこちらの世界に来てから、火西とまともに会話をしていないからだ。いったいこの男がどうしてこんな場所で教皇なんて地位についているのか、それすら知らないのだ。


「私は――私たちはキミにひどいことをしました」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃。


 お前が、お前がそれを言うか。そうだ、俺はお前たちにイジメられていた。


 月本。


 火西。


 水口。


 木ノ下。


 金山。


 5人だ。


 お前らはよってたかって俺のことをイジメていた。だから復讐した! これまで3人殺した。そしていま、4人目を殺す!


 それは俺のための復讐なのだ!


 だというのに、どういうことだ……。


 火西は俺に殺されるのを待っていたという。


「申し訳ないと、思っております」


 そう言って、火西は立ち上がろうとした。


 しかし立ち上がることができなかったのか、その場によろけて手をついた。まるで土下座をするような体制。


 しかしそんなふうに頭を下げられたところで俺の気持ちが晴れるわけがない。


 俺は刀の切っ先を、火西の顔のすれすれの場所に置いた。


「俺はお前を殺しに来た」


「はい」


 火西はまったく恐れる様子なく頷く。


「俺はお前を殺しに来たんだ!」


 それに苛立ち、思わず叫んでしまう。


「どうぞ、キミにはその権利があります」


「権利だと、俺が選んだこの復讐の道を権利と言ったか! 違う! 俺はお前たちを殺して、現世での辛い思い出を清算しなければ前に進めない、幸せになれない! だからここまで来たんだ、こんなバランスを崩しながら!」


 もう、人を殺すことになにも思わない。


 だというのになぜだろう、俺はこんなにも動揺している。


 これじゃあ立場が逆だ。俺は火西に泣き叫んでほしかった。そしてみっともなく命乞いをしてほしかったのだ。


 それなのに――。


「これは権利なんかじゃない! 人が人を殺して良いはずがないんだ! それを、それを俺は! お前たちへの復讐のためにここまで来たんだぞ!」


 切っ先が、火西の眉間にふれる。


 血が一直線に流れた。


「私はキミに殺されるためにここまで上り詰めました」


「なんだと?」意味がわからない。「頼むから会話をしてくれよ」


 俺は右手に力を入れそうになるのをこらえる。


 少し力を入れて刀を振れば、こんな枯れ木のような老人すぐに斬ることができる。


「私は、この因業から開放されたいのです」


「だから、頼むから会話をしてくれって」


 意味が分からないんだ。


 怒りしか沸かないんだ。


 因業からの開放? 不幸でなくなるたいと、そう言っているのか?


「私は、この異世界に来てから自分の道を模索しました――」


「最後の自分語りか? わるいがそんなものを聞いてやる義理はないぞ」


「いいえ、キミには聞いてほしいのです。私を殺す前に」


 そう言われてば、ことわることもできない。


 俺はかろうじて「つまらなかったらすぐに殺すぞ」と、三下みたいな脅し文句を言うことしかできなかった。


「授かったスキルで、私はまず自分の欲望を満たしました。この『女神の寵愛~聴覚~』のスキルは耳がよくなるだけではなく、その気になれば人の心の声すらも聴くことができたのです。

 私はこのスキルを使い、ギャンブルなどで金を稼ぎました。いまにして思えばそんなことをしてもなにもならないと情けなく思うのですが」


「それで?」


「欲望を満たされれば、人はむなしくなる。私もそれは例外ではありませんでした。そこで私は、人を助ける道を選んだのです。人を助けること、それだけはどれだけ繰り返しても満足することのない、人の生きる意味になることなのです。キミも分かるでしょう?」


 たしかに、人に感謝されるのは嬉しい。



 どれだけ感謝されつくしても、これでお腹いっぱいだとはならない。


「私は、『女神の寵愛~聴覚~』によって人々の心の声、その悩みを聞いて、そしてその解決のために奔走してきました」


「……だからどうした?」


 自分は人助けをしていたから偉いのだぞ、とでも言いたいのか。


「そこで知ったのです、この世はじつに悲しく、そして因業であると」


 バカバカしい。


「そんなことはとうの昔に知っているさ」


「私はそれからというもの、アイラルンに授けられたスキルを捨てて、ディアタナ様だけを信仰するようになりました。ディアタナ様こそがこの世の神。我々を幸せに導いてくれる唯一の存在なのです――」


 火西の目には、まったくの曇りもない。


 本当にそのディアタナとやらが人を幸せにしてくれると信じているのだ。


 いったいどうやって? いいや、信じる者は救われるとも言う。もしかしたらディアタナを心の底から信じたならば、それだけで幸せなのかもしれない。


「それからというものの、私は身を粉にして聖職者として活動を続けました。そしていつしか、教皇と呼ばれる地位にまでなったのです。しかしあるとき、気が付きました。私は自らの一番の罪を残したままだと。それがキミです、榎本シンク」


 俺は察する。


「つまり贖罪しょくざいのために俺に殺される、と?」


「お察しが良くて助かります。この通り、申し訳なく思い謝ります。私はキミにとんでもないことをした、若かったとはいえ――」


「若さを罪の免罪符にするか?」


「――そのようなつもりは微塵もありません。ただ若さに振り回されたことは確かです。私たちがキミをイジメたことに理由はありません。ただなんとなく楽しかったから……自分よりも下の人間がいればそれだけで安心ができたから。そんなくだらない理由です」


 俺は刀を持たない左手で、火西の首根っこをつかみ無理やり立たせる。


「そんなくだらない理由で人の人生を無茶苦茶にして、ごめんなさいで済むと思っているのか!」


「思ってなどおりません。だからこそ、こうしてキミに殺されようと――」


「お前の自慰行為のために俺は復讐をするんじゃない! 俺に殺されようと? それで俺がお前を殺して、お前は満足して死んでいくのかよ! 自分は罪を償ったと!」


「その通りです」


 俺は火西の体を突き飛ばす。


 いまにも死にそうな老人の体は枯れ葉よりも軽かった。


「ごめんだね」


 そんなことのためにここまで来たんじゃない。


「お願いします、私を殺してください! 私はディアタナ様に救われたいのです!」


 火西は俺にすがりつく。


 ディアタナに救われたい?


「なら、その女神様に頼るんだな」


 こんなやつ、もう殺す価値もない。


「私には――もう時間がないのです」


 そう言った瞬間、火西は崩れ落ちるように倒れた。


 俺はそえを冷たい目で見つめる。


 俺のスキル『女神の寵愛~シックスセンス~』が伝える。この男はもう死ぬ。寿命だ。


「……お願いします、殺してください」


 そう言って、火西は片手を伸ばす。


 まるで俺に救いを求めるように。


 助けてくれと、懇願するのだ。


「ふざけるな」


 俺は呟いた。


 それは絶対に聞こえないくらい小さな声。けれど火西は俺の口の動きをよんでいるのだろう。


「お願いします」


 そう、続けて言ってくる。


「ふざけるなよ! どうして俺が、お前のために――」


 命が抜けていこうとしている。


 火西が死ぬ。


 その目が少しずつ濁っていく。


 それでも俺に手を伸ばすのをやめない。その手を握ってほしいかのように――。


 俺は、俺は、俺は。


 復讐するためにここに来たんだ!


「ちくしょうがっ!」


 俺は叫ぶ。


 ふざけるな、ふざけるなよ。


 刀を振り上げる。


 そして、それを心臓めがけて突き刺す。


「ああっ……」


 火西の目が嬉しそうに歪む。その次の瞬間に口から血を吐いた。


「俺はお前を許すわけじゃないぞ」


 これはそう、俺の手で復讐をしたかったのだ。寿命で殺すのではなく、俺の手で殺したかったのだ。


「いいえ、キミは私を許そうとしている……ありがとう。キミは優しい人だ」


「そうさ、俺は優しい男さ。だからイジメられるはめになったんだ」


 火西の手が俺の頬にふれる。


「私は……これで天国に行きます」


「天国なんてありゃしないよ」


「お礼に……キミにかかった呪いを解いておきます」


 呪い?


 火西の体中から魔法のエフェクトが。


 白い光が俺と火西を包む。


 その光が消えたと同時に火西は絶命していた。俺が殺したのだ、この俺が。


「あっ」


 なにか、歯車が噛み合ったような感覚があった。


 火西は最期のときに俺の呪いを解くと言っていた。


 解けたのだ、なにかが――俺の中のバランスが戻ったのだ。


 俺はいま人を殺したことに恐怖している。こんなこと異世界に来て初めてだ。たぶん火西が解いたのは、俺がアイラルンにかけてもらった認識のロック。人を殺してはいけないという当然の道徳心を麻痺させてもらった。あれを、火西はきれいサッパリ無くしたのだ。


 胃が逆流しかける。人を殺したストレスだ。


 本当にこんなことってあるんだな、と俺の中の妙に冷静な部分が笑っている。


 手には火西を突き殺したときの感触が残っている。気持ちが悪い。


 やめろ――後悔するか。


 歯を食いしばり、吐きそうになるのをこらえる。


 俺はなにも間違ったことはしちゃいない!


 自分に言い聞かせる。


 どこか遠くで歓声があがった。


 たぶん、コンクラーベが終わったのだろう。開票されて、エトワールさんとアドリアーノのどちらが勝ったのか結果が出たのだ。


 そんなの、どちらが勝つのか分かりきったことだが。


 俺は笑う。


 ――なにも間違ったことなんてしちゃいない。


 もう一度、自分に言い聞かせた。


 バランスは、たぶんもう戻っている。


 それでも俺は復讐の道を歩む。


 あと1人なのだ。


 鐘の音が聞こえる。


 祝福の鐘の音が……。


 それはエトワールさんに向けてものものか。それとも4人目の復讐を終わらせた俺へのものか。


 俺は火西の死体をその場に捨て置き歩き出す。


 歩きながら、歌うようにつぶやく。



  裏に向かい外に向かって、逢著ほうじゃくすればすなわち殺せ

  仏にうては仏を殺し

  祖に逢うては祖を殺し

  羅漢らかんに逢うては羅漢を殺し

  父母に逢うては父母を殺し

  親眷(しんけん)に逢うては親眷を殺し

  始めて解脱げだつをえる



 そして全てを終わらせて、俺は新しい人生を歩むのだ。


 生きよう。そう思う俺の未来には黄金に輝く砂上の楼閣だけが見えているのだった。


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