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249 大聖堂への馬車の中


 外に出た俺たちを、エトワールさんは優しげな笑顔で迎えてくれた。


「榎本さん、起きられましたか」


「はい。すいません、ずいぶんと長いあいだ寝てたみたいで」


「いえ、良いのですよ。とても酷い状態だったのですから」


 エトワールさんの周りには今日もいろいろな聖職者たちがいた。きっと最後にエトワールさんに応援の言葉を送りに来たのだろう。


 あるいは――新しい教皇になる前にエトワールさんにこびを売っておこうという考えだろうか。


「榎本さん、私はいまから教皇を決めるコンクラーベに出ます。ついて来てくださいますか?」


「もちろんですよ、俺はいちおう貴方の護衛なんですから」


「それではお願いします」


 エトワールさんが手を差し出してくる。


 これは握れば良いのだろうか?


 俺のこの汚れた手で?


 迷った――。


 けれど俺はエトワールさんの手を握った。俺は少なくとも、いままで間違ったことはしてこなかった。そう信じた。


 馬車に乗り込む俺たちに、周りの人たちが万歳をする。


 ちょうど4人乗りの馬車、アンさんはお留守番だ。アンさんは少しだけ離れた場所から手を振っていた。


「うふふ」


 しれっと乗り込んでいるシノアリスちゃんが、妖艶に笑う。


「なんだよ、シノアリスちゃん」


 この馬車はボックス席だ。俺の隣にはエトワールさん。前にシャネル。斜め前にシノアリスちゃんが座っている。


「あら、お兄さん。私のことはこれからシノアリスではなく、本名で呼んでくださいな」


「本名?」


 いやいや、いきなりなに言ってんのこの子は。


 あ、いや待てよ。たしか異教徒は本名を隠しているんだったか?


 つまりシノアリスというのも偽名であって――。


「なんでも良いのだけど、シノアリス。あなた、エトワールさんとは初対面じゃないの?」


「初対面ですが、知らない仲ではありませんよ」


 と、エトワールさん。


 にこやかに笑うエトワールさんに、シノアリスちゃんはそっぽを向く。


「いちおうは感謝をしておきます。私たちのカタコンベが狙われていると教えてくれたのは貴方ですよね?」


 そういえば、俺がカタコンベにシノアリスちゃんたちを助けに行ったとき、シノアリスちゃんは自分たちが狙われていることをもう知っていたな。


 匿名のタレコミがあったとか言っていたが……。


「はて、なんのことでしょうか?」


 エトワールさんはいかにもな感じでとぼけてみせる。たぶんいままで嘘なんてついたことがないから、そういうのが苦手なんだろう。


「まあ、そういうことにしておきます。けれどお礼は言っておきます。エトワールさん、ありがとうございます」


「いえ、私はただ無駄に命を落とす人が少なくあって欲しかっただけです」


「でもそれで、教皇庁は虎の子を失ったのよね?」


 シャネルが言う。


 虎の子? えーっと、たしかとっておきみたいな意味の言葉。


「そうですよ、どこかの誰かさんが武僧の中でも最上位のテンプル騎士たちを全滅させたそうですよ。しかも、連綿聖歌隊まで。うふふ」


「あはは」


 いったいどこの誰でしょうね?


「連綿聖歌隊ってあの? 最強の魔法を使えるって触れ込みの」


「そうですよ。お姉さんの魔法とどちらが強いでしょうね?」


「べつに強さ比べをするようなものでもないでしょ。数人でまとまって1つの呪文を唱える。全員の息を合わせる必要がある高難易度の魔法だけど、世の中にはそんなものを1人で使える人間だっているわ」


「お姉さんが?」


「私が使えるのは禁術までよ」


 なんかよく分からない会話してるなあ……。


 俺、じつはこの世界の魔法のことよく分かってないんだよね。たしか陰陽五行で属性が決まってるんだよな? 俺は陰系統で、シャネルは火系統。


 というか話を聞く限り、その連綿聖歌隊さん? あれだよな、俺が最後に戦ったやつら。いや、あれはマジでやばかったから。


「うふふ、そんな大事な聖歌隊を失って……それを指揮したアドリアーノさんはどれだけ風当たりが強くなりますかねえ? たかが異教徒の撲滅。いちおうは成功したとはなっておりますが、こちらの被害も甚大じんだい


「新聞でもそこらへんが叩かれたわ」


「ふうん」


 俺がやったことのせいでなんか大変なことになってるのか?


 アドリアーノの評判が下がるということは、つまり。逆にエトワールさんの評価が上がるということで。


 俺は隣に座るエトワールさんの顔をちらりと見ている。予想通りというか、エトワールさはいい顔をしていなかった。どちらかといえば悲しそうな顔をしていた。


「お2人とも。うら若い乙女がそのような物騒な話をしてはいけませんよ」


「「はい」」


 意外にも素直に2人は頷いた。


 なんだか先生と生徒みたいな関係だった。


 どうでもいいけど、街に活気が戻ってるな。もしかしたら異教徒がいなくなったからだろうか。それはそれで良い事だ。まあこの国も良くなっているということだろうか。


「で、話を戻すけど。シノアリスちゃんの本名って?」


 とりあえず会話がないので、そう聞いてみる。


「シノン・アイリス。どう呼んでくださってもかまいませんよ、うふふ」


 面倒だからシノアリスちゃんのままで良いよな?


「面倒だからシノアリスのままで良いでしょ?」


 シャネルも同じことを考えていたようで。


「良いですよ。とはいえ、私はもう異教徒たちの教主ではありませんので、その名前で呼ばれることもこれからなくなるでしょうが」


「カタコンベに住んでいたいた方々はどうなさいました?」と、エトワールさん。


「それぞれ色々なところへ行きました。移民として海外に逃亡した人もいます」


「シノンさんがいなくても大丈夫なのですか?」


「私がいてもいなくても変わりませんよ。大丈夫、みんな自分たちの力でこれから先の未来を切り開いていけます。どれだけの因業があっても、ね」


 馬車は大聖堂の前にある広場へと向かっている。


 エトワールさんの乗る馬車は有名なのだろうか、街の人が手を振ってくる。この前までは街に活気などなかったというのに。


 というか、露店とかもたっていて。なんだろうか、コンクラーベってお祭りみたいなものなのだろうか?


 広場に入るには通行規制があった。俺たちは馬車の中を改められるも、エトワールさんが乗っている馬車だ、ほとんど顔パスだった。


 広場には所狭しと馬車が並べられていた。


「ほえー、こんなに選挙のために人が集まってるんだな」


 俺は思わず感心してしまう。


「今日のために遠くから来てくださった人もいますから」


「うふふ、ここに来た人の多くがエトワールさんに票を入れますよ」


「さて、どうでしょうかね。少なくともアドリアーノさんもたしかな実績のあるかたですので」


 馬車が停まり、エトワールさんがまず馬車を降りる。


 俺はそのとき、ふと気になった。


「エトワールさん、杖はどうしたんですか?」


 なんでも『ディアタナの杖』とかいうすっげえ杖らしいが。


「ああ、あれですか。あれはクリスさんが欲しいというので差し上げましたよ」


 クリスさん?


 それってたしか、この前いちどだけ見た顔中に包帯を巻いた人だよな。いちおう女性らしいけど……。


 いや、つうか欲しいって言ったからって上げて良いものなのか? 大事な杖じゃ……。


 エトワールさんって物に執着しないタイプの人なんだな。


「クリスねえ……」


 シャネルはふと、呟いた。


 そういえばこの前もなんか気になってるみたいだったけど……。


「どうした?」と、俺は聞いてみる。


「いいえ、なんでもないわ。なにかあったとしても、どうでも良いことよ」


 シャネルはそう言って、誤魔化すように笑ったのだった。



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