246 満天の星のもとで
満天の星空の下を歩いている。
いや、歩いているなんて上等な言い方はこの場合適切ではない。
俺は足を引きずりながら、刀を杖代わりにしてヨタヨタと前に進んでいるだけだ。
目がかすむ。
あたりの街並みがよく見えない。ここはどこだろう? 周囲に人がいないことは、気配から確かに読み取ることができるのだが。
体の内側から痛みがにじみ出てくる。そのくせ、切り傷やら刺し傷やら、魔法で受けた傷は傷まない。もう感覚がなくなっているのだ。
さっき、道端に血を吐いた。
驚くくらいに血が出た。いまも口の中が鉄臭い。
なにか景気づけに歌でも口須佐もうと思ったが、そもそもそんな体力は残っていなかった。口からは荒い呼吸しか出ず、言葉の1つも出すことができない。
それでも歩く。
俺は孤児院に向かっている。
――やったのだ。
そう思った。
勝った、ではない。やったのだ。
死線を乗り越えた。あの状態から生還した。敵だったほとんど倒した、もしかしたら全滅させたかもしれない。おかげでボロボロだが、たった1人の人間がやった戦果としては史上稀に見るものだろう。大量虐殺、と言い換えても良いが。
あの戦いに勝利者などいない。
なぜなら俺はこんなにも満身創痍で、それこそいますぐに死ぬかもしれないほどなのだ。逃げた人たちだって自分のすみかを失って、いったい誰が勝利したと言えようか。
それでも俺はやったのだ、できる限りのことを。
そしてこうやってカタコンベから這い出て、いままさに帰路についている。
――帰ろう、シャネルの待っている場所へ。あの孤児院へ。
ふざけたくらいに長い道のりだ。そもそも道はあっているのか?
歩いても歩いても孤児院につかない。
と思ったら、俺はいつの間にか立ち止まっていた。
気を抜けばその瞬間に意識を失いそうになる。それは眠気にも似た甘美な誘惑。しかしその誘惑に負ければ俺は死ぬだろう、たぶんだけど。
「クソが……」
やっと言葉が出た。
と思った瞬間に、倒れ込む。
石畳に倒れる俺の姿はさぞ無様だろう。見ている人がいないのだけが救いか。
こんな場所で死ぬわけにはいかない。
指先から力を入れる。手を握る。石畳を叩きつけるようにして上半身を起こす。そのまま刀のやさやを抱き込むようにして支えにする。
――こんな場所で!
両足に力をこめる。踏ん張って、立ち上がる。
けれどすぐに倒れそうになる。それをこらえて、夜空を見上げる。美しい星々。まったく、のんきにまたたきやがって。俺はこんなにも辛いって言うのに。
怒りを力に変えて、また歩き出す。
――こんな場所で死んでたまるか!
俺が歩くたび、血のあとができる。まるでナメクジの足跡のようで、自分でも不気味だ。
それでも前へ。
やっと郊外に出た。
あたりに森が増えていく。それと同時に、獣の気配がした。
きっと俺の血を嗅ぎ分けてきたハイエナどもだろう。
――まずい。
この状況、まさか戦えるとは思えない。
俺の歩く速度に合わせるように、獣たちは追いかけてきているようだ。
せっかくここまで来られたのに、こんな場所で。
――誰か助けてくれよ!
俺の悲痛な願いは誰にも届かない。
あはは、そりゃあそうだ。そんな都合よく俺のことを助けてくれる人間なんていない。
いままでの人生だってそうだったじゃないか、俺がどんなに辛くても誰も助けてくれなかった。
だから、だから俺は自分でなんとかするしかないんだ。
獣が茂みから飛び出してくる。
それにタイミングを合わせて俺は刀を抜く。もちろん杖代わりにつかっていた刀だ、そのまま倒れ込むことになる。
だが、倒れながらも俺はその刀で獣を斬った。
――なんだこいつは?
オオカミのように見えるが、キバが異様に発達している。あきらかにヤバそうに見える。
倒れている俺に獣は三方から襲いかかる。
俺は寝返りをうつようにしてうつ伏せから仰向けへ。その回転と同時に刀を振る。2匹斬った。本当は1匹のつもりだったのだが、たまたま2匹斬れた。
やったね!
でも残る1匹が俺の脇腹に噛み付いてくる。
俺はモーゼルを抜き、至近距離からぶっ放す。
いつもは楽に引けるトリガーが、いまに限ってめちゃくちゃ重い。そういえば子供の頃、エアガンのトリガーが重くて引けなかったのを思い出した。
――痛え。
せっかく傷の痛みを感じなかったのに、噛まれた場所は痛くて仕方ない。しかもキバが食い込んだままだ。
もうどうしようもない。
むしろこの状態で4匹も倒せたんだ、大金星ってもんだろ。
俺はよく頑張った。頑張ったから――もうここらで良いだろ?
俺の周りをぞろそろと獣たちが囲む。なんだかその獣たちは笑っているように思えた。
――クソが。
俺はモーゼルをかかげる。腕を上げるのもつらい。
ダメだった、最後の一発を撃つこともできなかった。
重力に負けて腕が落ちる。
もはやこれまで。
俺は目を閉じた。
けれど思い直す。死ぬ瞬間くらいは目を開けてやるさ。
さあ、こいよ畜生ども。俺の肉を喰らえ。だけど覚悟しろよ、お前たちの何人かは俺の喉元にでも食いつこうとするだろう。そうなれば『5銭の力+』が発動して、お前たちのうちの何匹かもおだぶつだぞ。
俺はもう指一本動かせない。
けれども、まだ死んじゃいない。死んでない限りは俺のスキルは発動し続けるぞ。
さあ、俺を殺しに来いよ!
俺はもうお前たちに勝てないかもしれないがそれくらいは――。
獣たちが飛び出す。
これまで、と思った。
しかしその瞬間、獣が何かに貫かれた。
満天の星に煌めいたそれは――美しいナイフだった。
そのナイフを俺は見たことがあった。
「あはは……ゴフッ!」
笑った瞬間、血が口から吹き出た。血は悪い具合に器官に入った。その血のせいで窒息しそうになる。むせこんで、なんとか血を吐き出した。
それで、また笑う。
――助かった。
次の瞬間、あたり一面が業火に包まれる。
けれどその炎は、なぜか俺の周りで停滞して俺の体を焦がすことはない。
とはいえ熱い。
とんでもなく熱い。真夏の夜の悪夢だぜ。
このまま丸焼けになるのではないかと思ったが、しばらくすると火はいきなり消えた。まるで魔法のように。いいや、魔法か。
軽い足取りで、音もたてずに1人の女性が近づいてくる。
真っ黒いドレスを着た、銀髪の美女。俺の好みドンピシャの、少しだけ気の強そうな目をしている。
彼女――シャネル・カブリオレは俺を見て、微笑んだ。けれどすぐに泣きそうな顔になった。珍しいな、と俺は思った。
「シンク」
と、名前が呼ばれる。
俺は答えられない。そんな気力すら残っていない。
「大丈夫?」
シャネルは俺に近づいて、その場に膝をつく。大事な服が汚れることもいとわない。
「シンク、頑張ったわね……」
シャネルが俺を抱き上げてくれた。
俺はその言葉にどこか救われたような気分になりながら、頷いた。
「どんなことがあったのか知らないけど、シンクのその姿を見れば分かるわ。本当に頑張ってのね、よく生きて帰ってきてくれたわ」
「……あ、たりまえだろ」
俺はなんとか答える。
「ええ、そうね。でも私、少しだけ心配だったの」
シャネルの目には涙が浮かんでいた。それは悲しみではなく安堵の涙だろう。
ああ、俺のために泣いてくれる人がいるのだ。それは俺にとって驚天動地の発見だった。
「……なんで、ここが分かった?」
俺はシャネルに会えたことで、また急速に意識を失いそうになっている。
たぶん気が抜けたのだろう。
なんとか意識をたもたせるために、しゃべる。でもそうすると体中が痛い。ついでに喉も痛い。なんでだろうか。
「ずっとシンクが帰ってくるのを待ってたの。そしたら獣たちが騒ぎだすでしょ? それでモーゼルの音が聞こえたからおっとり刀で駆けつけたのよ」
おっとり刀ってなに?
まあ良いや。
シャネルがときどき難しいことを言うのはいつものことさ。
「……ありがとう」
「どういたしまして。シンク、辛いなら寝なさい」
「寝たら死ぬ気がするんだ……」
「大丈夫よ、私が魔法で治してあげるから」
「嘘だろ? シャネルが?」
「大丈夫よ。任せて」
そうだな、と俺は笑う。
そして目を閉じた。
シャネルが俺を胸元に抱き寄せてくれる。
甘い匂い。
やらかな感触。
そして母の胸に抱かれたような安らぎ。
「おやすみなさい」
と、シャネルの優しい声が聞こえた。
それを最後に、俺の意識はプツリと消えたのだった。




