245 死ぬつもりなどない
夏の終わりのセミのように息も絶え絶えの人間が倒れている。
俺がやったのではなく、どこからか飛んできた魔法の誤射によるものだろう。
「なあ、お前たちあとどれくらいいるんだ?」
俺の体は血で汚れきっていた。
けれどそのどれも俺の血ではなく返り血だ。俺は無傷だった。
「……お、お前」
人間は何かを言っている。
なあに、どうせこいつもすぐに動かなくなるさ。
「言えよ、お前たちあとどのくらいいるんだ? 俺もいい加減疲れてきたんだ。ああ、そうだ。言えばお前だけは助けてやるよ。俺は水魔法が使えるんだ」
嘘だ。
俺にはそんなことできない。
「なあ、死にたくないだろ?」
俺は優しげに言う。
けれど、俺の笑顔を見てその人間の顔は引きつった。
「ば、化け物」
やれやれ、そんな言い方ひどくないか?
ちょっとイラッときたから俺はその男の喉元に刀を突き立てた。
はい、おしまい。これで動かなくなる。
こんなことを何度も繰り返してきた。いや、何百回もだ。
けれど、まだ敵はこのカタコンベの中にいる。いったいどれくらいこんなことをやっていただろうか。いま何時だろう? 外はもう夜だろうか。
カタコンベの中じゃあ、時間もろくに分からない。
「んっ――?」
なんだか煙たい。
まずいな、やつら火をつけたみたいだ。
たかだか俺1人のためによくやるぜ。あ、でも死体も多いからな。ついでに火葬もするつもりかも。合理的だね。
「火の手はどこからだ?」
俺は周囲を警戒しながら歩く。
もう中央ブロックの広い空間で戦うのはやめた。あそこはとにかく敵に囲まれることが多いからな。迷路の中でてきとうに暴れまわるほうが安全だ。
なんて思っていると、曲がり角の先に嫌な気配がある。それ自体は確信のない勘のようなものだが、なにせ俺の勘はよく当たるのだ。
おそらくは待ち伏せ。
「よっこらせ」
俺は小さな声を出して、先程の死体をかつぐ。
そして、それを曲がり角の先へ向かって投げた。
次の瞬間、死体に向かった魔法の刃がとぶ。ずたずたになる死体。
それと同時に俺は駆け出す。曲がり角の先には魔法使いが2人。一瞬で首をおとす。次の瞬間に、もう1人の心臓を一突き。
「魔法使いの弱点を教えてやるよ。お前たちは詠唱があるからな、魔法の連発ができないんだ。だから撃ったあとが絶対的な隙きになる」
まあ、俺はなんて優しいのでしょう。
こんなふうに敵にアドバイスまで。
もっとも、その敵はすでに死んでいるのだが。
「さて、つぎ行きますか」
とにかく戦いは続くのである。よーし、やるぞぉ!
あれ、おかしいな。まっすぐ歩けない。まるで酔っ払ったような千鳥足だ。
余談であるが、千鳥足というのはチドリという鳥の歩き方からできた言葉である。この鳥は左右をたがい違いに歩くので、酔っぱらいのふらふらとした歩き方もこれに似ている。
なんでもいいけど、余談であるがって司馬遼太郎の小説でしか見たことないわ。「これ余談だけどさー」なんて言う人どっかにいるのかな?
ま、これも余談だけどね。
俺は壁に背中を預けて座る。
「あー、くそ。疲れた」
そのくせ頭の中は明瞭だ。
なんだかいつもより思考速度も速い気がする。
「休んでる場合じゃねえんだけどな」
このまま火の手がこちらまでくれば酸欠になって俺は死ぬだろう。たぶん酸欠で死ぬってのも『5銭の力+』では回避できない死だろうしな。
「よし、立ち上がるか」
そう言ってはみたものの。立ち上がらない俺。
なんかあれだ、寝起きでグダグダと布団の中にいちゃう感じ。
でも今回は自分の生き死にがかかっているのでちゃんと立ち上がる。そして逃げるために歩き出す。というかそろそろ潮時だろうな。こんだけ暴れたおしたんだ。シノアリスちゃんたちだってどこか遠くへ逃げたさ。
そろそろ俺も尻尾を巻いて逃げよう。
なんて思っていると、
「あら、こっちは火があるのか」
逃げる。
「あ、こっちもか」
逃げる。
「あらら、こっちもか」
これ……まずいんじゃないか?
なーんかすでに火に囲まれている気がするぞ。
これはさっさと出るか、いやそもそも俺は出口をしらない。闇雲に歩き回るよりもいったん中央ブロックへと戻るべきだろう。
そう思い移動するのだが――
――やられたっ!
中央への連絡通路が防がれている。こちらがやった道を塞ぐというのをやり返された形だ。
道が塞がっている。というよりも天井を落とされている。
背に腹は代えられない。魔力は残り少ないが、『グローリィ・スラッシュ』で道をこじ開けるしかないだろう。
俺は魔力を絞り出すようにして『グローリィ・スラッシュ』を撃つ。
しかし一発では道があかない。一直線の道が開いたと思ったそばから、周囲が崩れて道が塞がるのだ。なので、何度も何度も『グローリィ・スラッシュ』を撃つ。
やっと道が開通したとき、俺はもう倒れ込みそうなくらいに疲れていた。
よくシャネルが魔法を使ったあとに動けなくなるが、その状態に近い。
だがここで足踏みしている場合ではない。火の手はすぐそこまで迫っている。
重い足を引きずって中央ブロックへ。
しかしそこには、また敵が待ち構えていた。
「来たぞ!」
頭上から声が。
誰だよ、あんな窓みたいな場所作ったの。昔のやつらバカじゃねえのかよ、上から葬式見たいやつなんていねえだろ。まあ、でも観劇のボックス席みたいなもんか。
詠唱が聞こえる。
「ああっ?」
しかしその詠唱は不思議なものだった。なんだよ、これ。まるで詠唱が輪唱のように重なっていく。
とんでもなく嫌な感じがする。
しかし俺にはすでに迎撃の手段がない――。
無理だ。『グローリィ・スラッシュ』はもう撃てない。
「聖者の行進は列をなし、生きとし生けるものすべてを救う。神はいま万物からいでさり――」
詠唱は重なり、一つの声となる。
俺は刀を抜く。
せめてもの気迫で残るすべての魔力を注ぎ込む。
刀は真紅に輝き出す。
「――聖者にさえも光をあたえ、あまねく光は人の心の中に宿る。渾然魔法『ユビキタス』!」
詠唱が終わり、光の泡が無数にとんでくる。
その泡は万物にあたるそばから、すべてを消し去っていく。
ボコボコと音をたてて壁や床に穴があいていく。
あんなものまともに当たれば――
不規則に向かってくる光の泡。
その1つを、切り裂く。
だがそれまでだった。それで俺の魔力はきれた。からっぽ。底の底まで使い尽くした。
それでも立っていられるのは意地だろうか?
「ははっ、シャボン玉みたいで面白いなっ!」
俺は回避に専念する。
しかしダメだ。いかんせん光の泡の数が多い。
よけ続けて。できるだけ泡の少ないところを選ぶ。
泡は時期に消えだした。やったか――?
しかしダメだった。また相手の詠唱が始まる。そうか、最初の詠唱は全員でやっていたわけではないのか。あたかも長篠の戦いで織田信長がやった三段撃ちのように、詠唱のリロードを絶え間なくできうるようにしていたのだ。
「そんなン聞いてねえぞ!」
俺は叫ぶ。
できるだけのリスクマネジメントをしたが、とうとうダメだった。
光の泡が肩にあたる。
その瞬間――。
ボコンッ。
右肩だ。えぐられた。音こそシンクの流しにカップ焼きそばのお湯を捨てたときみたいな滑稽なものだったが実際には骨まで見えるくらいに肉がなくなった。
俺の肩はどこにいっちゃったの?
マジで消え去った。
壮絶な痛みで意識が飛びそうになる。
相当の怒りでブラックアウトを抑え込む。
だが右手に持っていた刀を落とす。それを左手で拾い上げた。
「あはは」
笑う。
やけくそってやつだ。もう笑うしかない。
これはちょっと、やばいんじゃないか?
小銭ももうない。あとは俺の寿命が削れるだけ。俺はあとどれくらい生きられる?
だとしても――。
諦めない。
こんな場所で死んでたまるか。
この榎本シンクが、こんな場所で!
まだ復讐を終わらせていない。あと2人なんだ、あと2人殺せば俺は――俺はっ!
俺はやり直せるんだ!
右肩がどうしたっ!
俺は右腕でモーゼルを握る。
左で刀。
いつもとは逆。
右手を振り回すことはできない。けれどトリガーくらいは引ける。
いつもとは左右逆の武器。違和感はぬぐえない。だとしても俺には『武芸百般EX』のスキルがある。
「お前ら、死ぬのは怖いかよっ!」
俺は叫ぶ。
獰猛に、まるで獣のように。
バランスを崩した俺は化け物だ。
誰かが答える。
「我々は死しても天国へ行く。死が怖いはずがない!」
「バカかお前ら! 人はな、死んでも天国にも地獄にもいかねえんだよ!」
死ねばそれで終わりだ。
「貴様っ! 我々を愚弄するか!」と、誰かが叫ぶ。誰でもいい。
「アイラルンがそう言ってたよ!」
俺は叫んだ男にモーゼルを撃つ。
だが、モーゼルの弾はなにかに防がれる。
「この異教徒が!」
誰かの叫び。叫び。叫び。
いや、と俺はどこか自分とは別の剥離された場所で気づく。
叫んでいるのは俺だ。
俺という名の化け物だ。
勝つぞ、榎本シンク。
こんな場所で死んじゃいられない!
榎本シンクは跳び上がる。
その両手には武器が握られている。かつてはイジメられて引きこもりになった男とは思えない、雄々しい武器が。
まさかこんな場所で榎本シンクは死ぬつもりなどない。




