236 アイラルンの目的
アンバランスな男が1人、街を歩いている。
俺はいままで何人の人をあやめてきたのだろうか。そして、いままでどうしてそれを重大な事件だと思っていなかったのだろうか。
簡単だ、俺には大義名分があった。
俺は、俺をイジメていたやつらに復讐を果たす。そのために邪魔をするやつらはどれだけでも蹴散らす。殺す。
それで良いと思っていた。
でもいまは、それが少しだけ恐ろしい考えに思えた。
街の大通りは、人通りも多い。少し裏に入れば異教徒たちのテロを恐れてから人の数も少なくなるのだが、そのせいか大通りは余計に人が多く思える。
カップルたちの集まる噴水。
シャネルの好きそうなブティック。
あとは露店で売っている謎の肉たち……。
ぐう、とお腹が鳴った。
そういや起き抜けで出てきたから今日はまだ何も食べてないな。
財布――もとい靴下からお金を取り出す。
余談であるが靴下の中にコインを入れて歩くにはコツがいる。入れ方が悪いと歩いた際にどうしても足が痛くなるのだ。そこでおすすめはくるぶし(内果)とし舟状骨の間に入れること。この骨はどちらも少し出っ張っているので、その間にはさむように入れるとグッドである。
と、まあ適当な語りは置いといて。
「なんか食うか」
腹が減っては戦は出来ぬと昔の人も言っていたしな。
さてさて、なにが良いかな……。
もちろん食べ物の屋台だけじゃなくて、花や古着、はては古本を売っている屋台もある。けれど俺のお目当ては食べ物だ。
屋台を物色していると、むむっ! どう見てもヤバそうなものがある。
ヤバそうなものって何かって? サーモンの刺し身だ。
「どひゃ~。あかんでしょ、屋台で海鮮、あかんでしょ」
思わず一句出ちゃうほどにびびった俺である。
いや、でもこれは本当にやばい。食品衛生法とかどうなってるの?
せめて燻製サーモンとかにしようよ。
「はい、いらっしゃい」
店のオヤジは、サーモンを眺めている俺の目を物欲しそうなものだと勘違いしたのだろう。客寄せの挨拶をしてくる。
こうされると、断れない日本人榎本シンクである。
「あの、一皿ください」
「あいよ!」
いや~愛想の良い店主だな。俺は心置きなくお金を払う。
おつりがジャラジャラ。くそ、またやっちまった。多すぎたみたいだ。
サーモンは薄いパンというか、ピザ生地のようなものに巻かれて出された。なるほど考えたな、こうすれば皿もいらなければフォークもいらないというわけか。
にしてもこれ……食べるのか?
生だぞ?
いちおうニオイを嗅いでみる。……大丈夫そう。
でも不安だから、スキルまで発動させちゃう。『女神の寵愛~視覚~』と、『女神の寵愛~嗅覚~』、そして『女神の寵愛~シックス・センス~』だ。
最後の1つはいつでも発動しているタイプのスキルだけどね。
なんにせよ万全の状態、俺にできる最善の手をつかった。
その結果。
あ、やっぱりこれダメだわ。お腹壊す。
いやあ、ちゃんと調べておいて良かったね! 捨てるのもしのびないのでそれを持ったまま歩く。
これどうしようかな?
「あー、朋輩。良いですねぇ。美味しそうですねえぇ」
なんて思っていると、しめしめ。良いところに人柱(人じゃないけど)が来たじゃないの。
そう、いきなり俺の眼の前に現れたのはみんな大好きアイラルン様だ!
いつもの格調高いローブに、つやつやの金髪が素敵だ。おっぱいもでかいので言うことなし。
「よう、久しぶり」
「お久しぶりですわ、朋輩」
周囲の時間は止まっていない。けれど街の雑踏の中では俺たちの会話など誰も気に留めない。
「これ、食べたいのか?」
俺はサーモンの挟まったパンのようなものを差し出す。
「あら、もしかしてわたくしはしたない顔をしていましたか?」
「おうおう、ヨダレたらして食べたそうにしてたぜ。というわけでほれ、やるよ」
たぶん女神ならこれを食べてもお腹を壊さないだろう。
「良いんですの?」
「良いよ。いつも良くしてもらってるお礼だって」
「むう、朋輩。なんだか怪しいですわ。わたくしに対してこんなに優しいだなんて」
やばい、バレたか?
「俺はいつでも優しいだろ」誤魔化す。
「そうですわね。他人の好意を疑うだなんて女神失格ですわ。ありがたくちょうだいします」
よし、アイラルンにサーモンパンを渡す。
そしてアイラルンは大口を開けて、一息にパンを食べた。
いや、すげえな。なんだそれ、特技か? というか女神も食事をとるんだな。人のみだったけど。
「美味でしたわ」
「そ、そっすか」
微妙に引いている俺。だってマジで口がデカかったんだもん。口裂け女かよってくらい。
いや、見ないほうが良かったわ。というかやっぱりこいつ、邪神じゃねえ?
「それで朋輩、本日はどのような理由があってお1人で外へ? まあ、おかげでわたくしも出てきやすかったのですが」
「出やすさとかあるのか」
初耳だ。
「ありますよ。というかわたくし、ここのところ力が弱まって来ておりまして。ほら、時間もぜんぜん止められないでしょう?」
でしょう、とか言われても分からねえし。
あ、いやでも最近はそうかもな。あんまり時間を停めて出てこない。
「それってなんで?」
「まあ、いろいろありまして」
そう言ってアイラルンは、どこか明後日の方向を向いた。
……うぜえ。
これあきらかに聞いて欲しい感じのやつじゃん。
「よ、よければ理由を教えてくれないか?」
「朋輩に言うことではありませんわ」
やべえ、マジでうぜえ。ならもう良いだろ聞かなくても。
でもアイラルンはちらちらこっちを見てくるし。これはあれだよな、もうひと押ししてくれっていうやつだよな? それくらい童貞の俺でも察せられる。
無視したいのはやまやまだが……。
「教えてくれよ。ほら、話すだけで楽になることとかあるだろ?」
いちおうこいつは恩人といえば恩人なのだ。げんみつには恩神? アイラルンのおかげでこの異世界にこられたのだ。
「それでは言いますが、この街が悪いのです。このロマリアという街にはあの憎きディアタナの魔力が充満しております。そのせいでわたくしはろくに活動ができません。朋輩だって変な感じがしませんか?」
「変な感じ?」
「たとえばそう、人様の生き死にに対して異常な執着をもったりとか――」
「え?」
「やっぱり心当たりがあるようですわね。そうです、わたくしが朋輩にかけたおまじない。人の命、その重さをあまり感じなくさせるというものの効果が薄れてきているのです。朋輩は不感症のようで嫌だとおっしゃらえましたが、こちらとしても朋輩がたかが人殺しでウジウジされても困るのです」
「たかが人殺しって……」
俺は声を潜める。
話がどこか物騒になりだしたので裏道の方へと行く。そうするといっきに人通りが少なくなった。
「朋輩、お悩みでしょう?」
「まあ、それなりに」
「気をしっかり持ってくださいませ。朋輩が復讐を果たすまでの道のりは、まだ長いですわ」
「分かってるって」
それにしても、俺がここのところ人の生き死にで悩んでいたのはディアタナとかいう女神のせいだったのか。
たしかになんかおかしいと思ってたんだよな、昔は気にならなかったことが気になっていたんだ。人を殺したらどうしていけないの? とか、そんなの小学生のときに卒業する疑問だってのに。
どうしていけないのか? そんなのいろいろ理由があるけれど。ま、簡単なのは俺が殺されたくないからだな。自分がやられて嫌なことは、人にやらないでおきましょうってね。
「朋輩が復讐を諦めてしまえば、わたくしも目標を達せられませんから」
「目標?」
アイラルンにそんなものがあるのか? またまた初耳だ。今日はよくアイラルンの知らない話を聞く。俺はこの女神について、知っているようでなにも知らないのだ。
「そうです。わたくしの目標はディアタナへの復讐」
「ああ、復讐か」
みんな好きね、それ。でも逆恨みじゃないの? シノアリスちゃんとか、どっちかというとそういうきらいがあるよ。
「そのためには――」
「そのためには?」
「この世界の時間を進めなければなりません。よろしく頼みましたわよ、朋輩」
「任された」
と、適当に答えるが。
え? どういうこと? この世界の時間を進める?
意味が分からないが、アイラルンはそれ以上俺になにも教えるつもりはないようだった。
気になるなぁ……。




