235 シノアリスちゃんを助けに
起きた瞬間、直感的に寝坊を確信した。
――ああ、これもう朝じゃねえわ。昼だわ。
それを証明するようにお腹も減っていた。
「夜更かしして次の日寝坊しちゃあ、世話ないな」
俺はつぶやく。
「まったくね」
いきなり返事があったので、飛び上がるほどに驚いた。
部屋の隅でシャネルが新聞を読んでいる。いたのかよ、こいつ。
「お、おはよう」
「はい、おはよう。よく眠れた?」
「最高だよ、夢も見なかったぜ」
もっとも人殺しの見る夢なんてろくなもんじゃないだろうが。
なんだか部屋の外から声が聞こえている。なんだろうか、子供たちの声にしては無邪気さがない。
「お客さんがたくさん来てるのよ」
「お客さん?」
「ええ。みんなあの人、エトワールさんに会いに来てるのよ」
シャネルは新聞を読みながら言う。
「珍しいな、お前が男の人の名前を覚えてるなんて」
「だってここに書いてあるもの」
「書いてある?」
ほら、とシャネルが新聞を見せてくる。
だから文字は読めないんだって。でも似顔絵があって、それはおそらくエトワールさんのものだった。なんだろうか、エトワールさんの記事?
「読んであげましょうか? 『エトワール氏、奇跡の復活』ですって。ぎょうぎょうしい見出しだこと」
「復活? ああ、なるほど。エトワールさんは死んでると思われてたから――」
「そういうことね。昨日の会議のことがあって朝刊の一面をかざってるのよ」
「一面ねえ……あ、4コマ漫画とかって?」
はいはい、このネタ一回やりました。
シャネルは白い髪の毛をいじりながら、やる気のなさそうな顔で新聞を見るというよりも眺めている。
「けっこう良いところいけそうみたいね」
シャネルの言っている言葉の意味が分からない。
「なにが?」
「この人。本当に教皇様になれるかもよ」
「そうなのか?」
しょうじき、エトワールさんがどれくらい教皇に近い位置にいるのかがよく分からない。もともと5人いた候補だということで、かなり偉い人というのはなんとなく分かるのだが。
「この新聞によるとね、残る候補は2人」
「2人? 待てよ、3人だろ?」
「ああ、また1人死んだのよ。たぶん昨晩、私たちのところに来る前に殺っていたのね」
「おいおい」
あんなのに負けるって、いったいどんな護衛を雇ってたんだよ。いや、まあ俺だって微妙に危なかったけど。
「先日異教徒に襲われた2人の候補者に続き、ニコル氏がなくなった。そうすればコンクラーベは結果的にエトワール氏とアドリアーノ氏の一騎打ちとなる」
シャネルは新聞に書かれていることをそのまま読んでいるのだろう。
「もともとはアドリアーノ氏の一強ともくされていた今回のコンクラーベだが、なくなった候補者の支持者層の多くがエトワール氏に投票をする動きを見せている。
これは、エトワール氏の人望もさることながら、これまで傍若無人な態度をとってきたアドリアーノ氏への反感が見られる」
「嫌われ者はどこでも選挙に負ける、か」
「どうもそうみたいね。もともとは支持者をたくさん持っていたアドリアーノって人と、その他の候補者っていう構図の選挙だったらしいけど。
候補者が死んで、はからずとも支持者の方が一枚岩になってエトワールさんに票を入れるわつもりらしいわ。もし教皇になれば、記録に残る1000年の歴史でも最年少らしいわよ」
「エトワールさんっていくつくらいだ?」
「さあ、でも40がらみでしょう」
すごいな、と俺は他人事に頷いた。
さてと。
俺は刀を腰に指し、ジャケットを着込む。外は暑いだろうか? もしそうだったら脱げばいいだけか。ジャケットさえ着ていれば懐にモーゼルも仕込めて良いからな。
「どこか行くの?」
「おう」
「ついてくわ」
シャネルは新聞をたたむ。でも、俺はダメだよと手を振る。
「シャネルはエトワールさんの護衛をやっててくれ。ちょっと1人で行ってくるから」
「ふうん? 浮気じゃないわよね」
「まさか」
「でもわざわざ護衛なんてする必要なんてないんじゃないの? 昨日の夜に全部殺したんだから」
「まあそうなんだけどな。いちおうほら、俺たちってエトワールさんの護衛ってことになってるじゃん。だから頼むよ」
「分かったわ、ちゃんと護衛するから。シンクも早く帰ってきてね。それで、どこに行くの?」
「ん?」
答えようかどうしようか、一瞬だけ迷う。
けど相手はシャネルだ、本当のことを言おう。
「シノアリスちゃんのところ」
何にか文句を言われるかな、と思ったらシャネルはべつになにも言わなかった。
代わりに、
「お優しいことで」
たぶんシャネルは俺が何をするつもりなのか分かっているのだろう。
まったく、自分でも因業な性格してると思ってるよ。
そんなことする必要、俺にはぜんぜんまったくこれっぽっちもないというのに。
でも知ってしまったから。
このまま無視すれば寝覚めが悪いから。
――俺はシノアリスちゃんたちを助けに行くのだ。
部屋をでて、さすがにこのまま何も言わずに行くのもエトワールさんに申し訳ない気がして。一度、挨拶をしておこうと思った。
すると、廊下でアンさんと鉢合わせになる。
「あ、シンクさん。起きたんですね」
「うん、おはよう」
たぶんもうそんな時間でもないけど。
「あの、手の方は大丈夫ですか?」
「ばっちりだよ。ぜんぜん問題ない」
本当にすごい魔法だ。
昨日の傷だって全部消えている。もちろん俺のもっている治癒能力も手助けしたのだろうが。それにしても昨晩、手をズタズタにしたとは思えないほどだ。
「それなら良かったです」
「エトワールさん、どこかな?」
「あ、それでしたら庭のほうにいましたよ。たくさん人が来ていて中ではさばけないので。おかげで子供たちが外で遊べなくて困ってるんです」
「そうか、外か」
どおりで外のほうが騒がしいわけだ。
ん? というか外ってことはちょっと危ないな。早急にシャネルを派遣するべきだろう。ま、すでにエトワールさんを襲う殺し屋もいないというのはシャネルの言う通りなのだが。
「エトワール様になにか?」
「いや、ちょっと外出するからそれを言おうと思って。というわけでアンさん、夜ご飯もいらないから」
いちおう、俺たちの食事は朝昼晩とちゃんと出ているのだ。
「分かりました。あの、それでいったいどこへ?」
「ちょっと野暮用。あ、それとシャネルにエトワールさんの護衛ちゃんとやってくれって言っておいて。外にいたらまた変なのに狙われるかもしれないし」
俺は言うだけ言って、走り出す。
アンさんの声が背後からとんでくる。
「あ、あの。外に出るならお気をつけて!」
なんて優しい子だろうか。俺は背面に向かって片手をあげて答えた。
さて、外に出ると案の定というかエトワールさんは他の聖職者に囲まれていた。見れば孤児院の周りには馬車がたくさんとまっている。無断駐車、罰金です!
どうしようか、エトワールさんに話しかけようか。
でも今だと迷惑だろうか?
迷っていると、あちらから俺のことに気づいてくれた。
そして「ちょっと待っていてください」と取り巻きの人たちに言って、俺の方に近づいてきてくれる。
こういう特別扱いみたいなのをされると無性に嬉しいのは、俺がいままでの人生で他人様に認めてもらえた経験が少ないからだろうか。
「榎本さん、起きられたんですね」
「はい、すいません。寝坊しました」
「良いんですよ。昨晩はありがとうございます」
「えっ?」
昨晩って……。
どうしてこの人はそんなことを言うのだろうか。
エトワールさんはいつもどおりの柔和な表情で俺を見ている。それはまるで俺の罪を許しますよとでも言うように。いいや、違う。これは許すという顔ではない。それは俺の願望だ。
エトワールさんはただ俺の行為を否定していないだけだ。
「それで、どうなされました?」
「あの、すいませんが今日、ちょっと外に出ます。エトワールさんの護衛はシャネルが責任を持ってやりますんで安心してください」
「外に……分かりました。榎本さん、よろしくおねがいします」
やっぱりこの人は全部知っているんじゃないのか?
全部知ったその上で、こうして笑っているのではないかと。
でも俺は確認することをしなかった。それは野暮ってもんだろう。
エトワールさんは優しい人だ。俺なんかよりもよっぽど。きっとこの人はこの世にいるすべての人々の幸せを願っているのだろう。
根っからの善人。正義の人。
俺は違う。
俺は全員の幸せなんて願っていない。
ただ自分の好きなようにやるだけだ。それがたとえ、悪と呼ばれるような行為だとしても。ただ、俺が助けたいと思った人を助けるだけなのだ。




