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 とっさに掴んで止めてしまったナイフ。


 指が落ちたかと思ったほどに痛い。だがまだ大丈夫だ。


 本当は格好良く指二本とかで挟んで掴むつもりだったのだが、いやはや。人間、慣れないことをやろうとしても失敗するもんだ。


 結果として、俺はナイフを握りしめてしまっている。


「シンク、痛くないの?」


「痛くないと思うかよ」


 俺はナイフを地面に落とす。


 それと同時に血がぼたぼたとこぼれ落ちた。


 たぶん、筋肉はまだつながっている。神経もだ。指はズタズタかもしれないが、奇跡的に動く状態にある。


「敵はあと1人よね」


「ああ」と、頷く。


「いっそのこと、全部焼き払いましょうか?」


「まさか」


 そんなことしたら孤児院の周りが一面火の海だ。孤児院にまで燃え移りかねない。


 とはいえ、相手がどこにいるのかは見えない。


 正面きって来てくれれば良いものを――。


 また、ナイフが飛んでくる。


 今度はちゃんと刀で弾く。べつに弾くことは難しくない。だが問題がある。


 脂汗――。


「顔色が悪いわよ、寝不足?」


 おいおい、この女。よくこの状況で冗談が言えるな。しかもあんまり面白くなし。


「たぶんこのナイフ、毒が塗られてやがった」


 そりゃあそうだよな、相手は殺し屋だ。ターゲットを殺るためならなんだってするだろう。


 ただの普通のナイフを投げるよりも、毒を塗ったナイフのほうが殺傷力も高い。


「まさか『5銭の力+』にこんな弱点があったとは……」


 先程からどうにもならない部分を攻められている。


 いわゆる精神攻撃。これはどうしようもできない。


 そして毒。じりじりと生命力というか、体力を削られて死ぬ場合も俺のスキルは発動できない。


「シャネル。この状態異常、治せるか?」


 なにせシャネルさんは水属性の治癒魔法だって使えるのだ!


 なんて素晴らしい相棒でしょうか!


「無理ね」


 ま、でしょうね。


 この子、水属性の魔法は本当にただ使えるだけで得意ではないから。


「やべえな、これ。こんなバカな死に方したくねえぞ」


 ここまで来ておいて、毒で死ぬ?


 おいおい、異世界に来たんだぞ俺ちゃんは。せめて白刃の中で死なせてくれよ。いや、死にたくなんてねえけどよ。


「打って出るわよ。動ける?」


「たぶん、あと少しの間なら」


 おいおい、この状況でケツを叩くのかよ。


 シャネルめ、やっぱりいい女だな(てきとう)。


「いい、とにかく思いっきり周りを照らすわ。それで相手が見えれば――」


「――撃つさ」


 俺はモーゼルを天高く掲げるように構えた。


 馬賊の投げ撃ちの構えだ。馬上から拳銃を撃つことの多い馬賊は、普通に水平に銃を撃たず、掲げた銃を振り抜くように撃つ。


 これを当てるには熟練の技がいる。しかし上手く使えるようになれば相手にはどこから弾丸が飛んでくるか分からなくなるというメリットがある。


「いくわよ、3――2――1」


 シャネルの声はどんどん小さくなる。


 カウントが「0」になった瞬間、まるでささやくように彼女は呪文を唱える。


「晩夏立ち込めし陽炎、その光により万物を照らせ」


 杖から放たれた光は、まさしくミニマムの太陽。


 あるいはフラッシュグレネード。


 あかるさなんて通り越して、あたり一面が光に包まれる。


 俺はその光の中、必死で目を開けている。


 そして、視界の一点で動く影があった。


 きっとシャネルの作り出した明かりに驚いたのだろう。


 俺だって驚いた、まさかここまでとは。加減というものを知らない女だ。


 俺の目もつぶれた。だが、目を閉じたままでもモーゼルを撃つことくらいはできる。


 打ち出された弾丸は夜の静寂の中に、どこか虚しいような単発の爆発音とともにナイフ使いの殺し屋のもとへと飛んでいく。


 ――当たったか?


 目がくらんで何も見えない。だが、誰かが倒れた音がした。


「シャネル、どうだ!」


「大丈夫よ」と、いまままで目を閉じていたシャネルが言った。「命中したみたい。たぶん脳天に一撃」


「そうか」


 緊張の糸がきれた。俺は思わず手をついて倒れる。


 痛いっ!


 やべえ、手を怪我してることを忘れていた。俺はバカか?


「シンク、大丈夫?」


「たぶん無理」


 この毒というのが厄介だ。とにかくものすごい風邪をひいたときみたいに体調が悪い。このまま放置すればどうなるんだろう? 死ぬのか?


 はあはあと息があらくなる。けれどシャネルもそれは同じ。先程の魔法でかなり体力を消費したらしい。


「ごめんなさい、私も調子に乗りすぎたわ」


 満身創痍の2人である。


 なんとか目の網膜は回復してきた。昔どこかで聞いたが、網膜というのは人体でもっとも再生力が高いらしい。


 なんとかなったのだが、しかしおいおい。シャネルのやつ、顔色が悪そうだ。暗くてよく見えないけど。


「どうすりゃ良いんだよ、これ」


「たぶん、アンさんなら治せるわ。あの子の治癒魔法なら毒も消せるはずよ」


「なるほど」


 俺は立ち上がり、血まみれの腕を握ってはほどく。痛みはもう無くなっていると思ったら、握って閉じてを繰り替えしただけで激痛がはしった。


 しかしここで足踏みしている暇はない。すぐにでもアンさんのところに行かなければ。


 ダウン中のシャネルをおんぶする。


「ちょっと、シンク……」


 シャネルは恥ずかしそうな声を出す。


「置いとくわけにもいかねえだろ。服、血で汚れたらごめんな」


「別に構わないわ、洗えばいいだけよ」


 むむむ、とっさにというか無意識にシャネルをおぶってみたが、これはこれは……。俺の背中に巨大なむにゅりが2つ。


 ダメだ、そっちに、おっぱいに意識を持っていくな! 歩けなくなるぞ!


 俺は快楽に身をゆだねそうになるのを必死で我慢する。


 そして、孤児院に向かって歩き出した。殺し屋どもの死体はそこらへんに捨て置いたままだ。後で片付けておかなければ。


 アンさんの部屋へ一直線に向かう。


 起きているか分からないが、扉をノックしてみる。


 ダメだ、返事がない。寝ているのか、しかたないよなこんな時間なんだから。


 しょうがないのでもっと強くノックする。


 すると、中から物音が。良かった。


「はい、どなたですか?」


 アンさんの声。どこか眠た気だ。


「俺、シンク」


「シンクさん?」


 アンさんの声はどこか期待にみちている。俺は少々の罪悪感を覚える。


 けれど、いまはそんな場合じゃないのだ。


「開けてくれ、たのむ」


「は、はい。いますぐに」


 開けられた扉の先にはアンさんが、どこか嬉しそうな顔で立っていた。けれど俺の背中にシャネルが乗っているのを見て、微笑みが凍りつく。


「すまん」と、俺はなぜか謝ってしまう。


「あ、あの。あっ、もしかして怪我をしてるんですか! 血が!」


「……私は大丈夫。疲れてるだけ」


「え?」


「怪我をしたのは、俺」


 シャネルは俺の背中からずり落ちたかと思うと、「もうダメ。眠いわ……」とつぶやいてアンさんのベッドに突っ伏した。


 へえ、シャネルって寝るんだ。


 なんて、そんなことはいまどうでもよくて。


「この手、あと毒を受けたんだ。治してくれないか?」


「そ、それは良いですけど――」


 アンさんは俺とシャネルを交互に見つめる。なんで? という顔をしている。


「ちょっとね、痴情のもつれってやつさ」


 べつに襲われたことを言っても良かったのだが、それはアンさんには関係のないことだろう。俺たちがいま、人を殺してきただなんてことはさ。


「あの、手を出してください」


「ん」


 俺が差し出した手をアンさんは悲痛そうに見つめる。


「ひどい……。これ、痛いでしょう?」


「痛さよりも気だるさが先にくる。毒があるんだって」


「ど、どちらを先に?」


「そりゃあ……毒か?」


「分かりました」


 アンさんは机の引き出しから小さな杖を取り出す。そして、俺に解毒の魔法をかけてくれる。


 一瞬で体が軽くなった。


「す、すごいな」


「褒めてくださってありがとうございます。でもこれくらい、シスターなら普通ですよ」


 シスター。


 妹とか姉って意味じゃないよな、当然。


「シャネルとは大違いだな。あいつじゃ薄皮一枚を治すのがやっとだ」


「シャネルさん、水魔法もできるんですか?」


「え? あ、ああ」


 なんだかアンさんが嫌そうな顔をしている。


「次、手を治しますね」


「お願いする」


 そして、手もすぐに治る。本当に上手な魔法だ。アンさんは他人を癒やす天才かもしれない。


「治りました。でもあんまり無理はしないでくださいね。傷が開いて後遺症が残るかもしれませんから」


「了解だ」


 俺の血で床が汚れていた。


 それを拭かなければならないのだが――。


「明日、やっておきますよ。今日はもう遅いですし寝ましょう」


 アンさんが俺の目を見ている。


 寝るって、一緒に? なんて、バカなことを考えてしまう。


 彼女の2つの瞳、色の違う瞳が俺を見つめている。


 そのガラス玉のような瞳に映る俺自身の姿は、どこかやせっぽっちで悲しくて今にも倒れてしまいそうだった。まるでそう、亡霊のように――。


 アンさんはそんな俺と一緒に寝てくれるのだろうか?


 だけど、俺とアンさんはそのようにして交わるべきではない。


「ごめん、シャネルを頼む」


 断腸の思いで俺はそう言って、部屋を出ようとする。


「あっ」と、つぶやいてアンさんは俺の服をつかもうとするが、それをかわした。


「まだやらなくちゃイいけないことがあるから。手、治してくれてありがとうな!」


 アンさんと、ついでにシャネルを置いて部屋をでる。


 1人になって歩きながら、俺は危ない危ないとため息をつく。ひょっとしたら俺は、どこかでアンさんを好きでいるのかもしれないな。


 でもダメさ、俺にアンさんは似合わないんだから。


 もう一度外に出て。


 そこらへんに転がっている死体を引きずっていく。


 4人分の死体。シャネルが焼き焦がした分だけは炭化して軽かった。


 孤児院からかなり離れて、そろそろここら変で良かろうと思う。


 あたりは木々のしげる森の中。裏山とでもいうべきか。ロマリアの街でもかなりはずれのほうで、もしかしたらもうここは街から出た場所かもしれない。


「よっ、と」


 死体を重ねて置き。


「よいしょ」


 刀を抜く。


 わざわざ声に出して、いかにも俺は大したことをしないとでもいうように。


「隠者一閃――『グローリィ・スラッシュ』」


 刀に込めた魔力で地面を切り裂く。


 深々と穴というよりもクレパスのようなものができた。そこに死体を放り込む。


 いったいこの穴はどこまで続いているのだろうか。地球のあっち側だろうか、それとも奈落だろうか?


 1つ。


 2つ。


 3つ。


 4つ。


 全部の死体を放り込んで、俺はそこらへんの土や岩を適当に運んで穴を埋める。けれどやっぱり穴は深くて、どうしても埋まらなかった。


 なので木を伐採してそれを蓋にした。


「見せられないような、こんなところ……」


 俺は死体の処理を終えて一息つく。


 罪悪感なんてまったくない、ただ一仕事終えただけ。ともすれば達成感すらあった。


「もうダメだよ、崩しちゃったんだよ。バランスを」


 そう呟いた。


 けれど、誰も答える人はいなかった。


 誰も、肯定も否定もしてくれなかった。



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