229 贅沢な復讐
ゆっくりと暗くなっていく街を、一台の馬車がはしっている。
馬車の行く先にいる人々は、馬車の側面に描かれた紋章を見てすぐさま道を開ける。中には道を開けて、こうべをたれてなにやら熱心に祈りを捧げている人もいた。
それもそのはず、この馬車は教皇庁の専用車両だ。これに乗れるのは教皇と、一部の聖職者だけ。そしてエトワールさんはその一部なのだ。
手綱を握っているのは俺。
馬車を操るというのは、一頭の馬に乗るのとは少しだけ感覚が違う。
そもそもそれは武芸とは言い難いので『武芸百般EX』のスキルも発動しない。それでもなんとか馬車を操れているのはそもそも馬が良い子だからだろう。
「おい、シャネル。まわり見ておけよ。なんか怪しいやつとかいないか」
「大丈夫よ、いつでも杖は抜けるわ」
隣に座るシャネルに敵の探索はある程度まかせている。もちろん俺だってどこから狙われているのかわからない状況に緊張しながらも警戒しているが、こういうのはシャネルの方が得意だ。
「くそ、シノアリスちゃんは俺たちがいても刺客を放つかな?」
「そりゃあやるでしょ。私がシノアリスの立場でもやるわ」
だろうな。
あの子は俺たちが知り合いだからと言って容赦をするタイプではないはずだ。エトワールさんが生きていると知ったからには俺たがいようと構わず、また命を狙ってくるはずだ。
まったく、シノアリスちゃんにエトワールさんが生きていることを知られたのは痛手でしかない。
「榎本さん、大聖堂への道は分かりますか?」
エトワールさんが馬車から顔を出して聞いてくる。
「だいたい」と、俺は振り向き答える。「それより顔を引っ込めてください。狙撃でもされたらことだ」
「大丈夫ですよ、死ねばそれまでです」
それはまったく大丈夫ではない。
というか俺とシャネルはそうならないためにいるのだ。
「とにかく隠れててください」
「シンク、心配しすぎよ。シノアリスだってバカじゃないわ。私たちが護衛についていると分かったいじょう、下手なことはしてこないはずよ。質でくるか、物量でくるか……どちらにせよ準備に時間がかかるはずだわ」
「そりゃあ言いたいことは分かるがな……」
大聖堂までの道は分かりやすい。
なにせこのロマリアの街の中心にあるから、大きな道を通っていけば簡単につくこといができるのだ。
とはいえ、馬車なんて運転したことないしさ。
どうして俺が馬車を運転しているのか、それには理由がある。けっこう単純、もともと馬車を運転する予定だった御者の男がエトワールさんを大聖堂まで届けるのを嫌がったのだ。
そりゃあそうだよな、かなり命がけの任務だからだ。
もちろん御者の男は嫌がり、しかしそれでもいちおう自分の仕事はまっとうしようとしていた。
そこをエトワールさんが、そんなに怖いなら孤児院で待っていて良いと提案したのだ。
いちおうはしぶった御者の男だったが、孤児院に男手がないのは心配だから留守を守っていてくれという言葉が決めてだった。
なのでけっきょく、俺が馬車を転がすことに。
いや、まあできるんだよ? その気になればね。
それにみんな、どちらかといえば避けていってくれるしさ。
で、まあなんとか大聖堂まで到着した俺たち。今日はこの前来たときのように礼拝の日ではないので広場の人の数も比較的少ない。それとも夜だからだろうか?
「これ馬車どこに停めるんだ?」
「あっちじゃないかしら」
ひょっこりとエトワールさんが顔をだす。だから危ないって。
「たぶん大聖堂の前につければ、誰かが運んでおいてくれますよ」
ほうほう、すげえな。なんか高級なホテルみたいだ。
俺たちは言われたとおりに馬車を停める。するとすぐに中から聖職者が出てきた。
「エトワール様、ようこそいらっしゃいました」
まだエトワールさんは馬車から出てないのに、そんなことを言っている。
「この馬車、どっかに停めておいてもらえますか?」
「はい、かしこまりました」
俺とシャネルは馬車から降りる。
周囲をキョロキョロ。大丈夫そうだ。
「エトワールさん、良いですよ。まわり、敵はいないです」
「はい」
降りてきたエトワールさんは、伝家の宝刀(宝杖?)をもっている。これさえあれば不慮の事故から身を守れるらしいが、よく聞けばそれは本当に不慮の事故だけらしく。
たとえばまともに爆風をくらったりしたら。それは不可避の事故であり、『ディアタナの杖』といえど防げないらしい。
あんがい使い勝手の悪いマジックアイテムなのだ。
これはあまり当てにするべきではなく、もしものときの保険でしかない。
「中、入る?」と、シャネル。
嫌そうな顔をしている。
けどまあ、美人だから許す。
「おう」
先頭を俺、間にエトワールさん。そして最後にシャネルの順番で大聖堂へと入る。
要人警護なんて気を使って使いすぎということはないのだ。
大聖堂の中は、さすがに豪華絢爛。税の限りを尽くした、という表現を絵に描いたような空間が広がっていた。
そこは聖堂というよりも一種の芸術作品のようで。俺は目を奪われる。
「まったく、ここはいつ来ても悪趣味なものです」
これに苦言をていしたのはまさかのエトワールさんだ。
「悪趣味、ですか」
「こんなものをつくるお金があるなら少しでも貧乏な人に分け与えればいいのですよ」
たしかに……かなり金がかかっていそう。俺はドレンスで行ったオペラ座のことを思い出した。
エントランスから先に進めば、大聖堂の聖堂たる部分。つまりはミサをするための空間がある。俺はもちまえの好奇心を発揮して、ちらりとそちらを覗き込む。
左右に椅子が並んでおり、奥には荘厳なパイプオルガンがあった。モザイクのステンドグラスからは月の光が入ってきている。それは俺たち日本人が想像する月の光よりも明るく、固く、そして冷たかった。
「うへえ、本当にこんなのあるんだな」
いかにもな様子に、感動半分と呆れが半分。
きっと奥で偉い人が演説でもするんだろう。
とりあえずなかなか良いものを見られた。
「シンク、遊んでないで行くわよ」
シャネルに呼ばれる。
「えー、シャネルは見ないのかよ」
「べつに興味ないもの」
そっか、興味ないか。
でもまあ、さすがに大聖堂の中なら敵の襲撃もないだろうと浮かれすぎていた。もう少し緊張感をもたなければ。
とはいえ、ここまで来る間も異教徒の襲撃はなかったし。とりあえずは大丈夫なのだろうか。帰りはまた別だろうが。
なんてふうにちょっとだけ観光を楽しんでいると、聖職者がわらわらと集まってきた。
その人たちはエトワールさんを取り囲む。
「エトワール様、どうぞこちらへ」
「ご無事でなによりです」
「わたくしめは信じておりました」
どこか若い人が多く感じる。
エトワールさんは自分をしたう者たちに柔和な笑みを浮かべて対応していた。
「それでシンク、どうするの?」
「うん?」
シャネルが、小声で聞いてくる。
俺はエトワールさんって人望あるよなぁ、陽キャだよなぁなんて思っていたところだ。
「いま、殺るの?」
そう言われて、はたと気がついた。
そうか。ここは敵の本拠地。この大聖堂のどこかに火西がいるのだ。
外から見たところ、この大聖堂はかなり広かった。それこそ学校くらいはありそうだ。とはいえしらみ潰しに探せば火西を見つけることはできるはずだ。こっちには自慢の勘だってある。
「どうしたものか……」
それこそ隠密に火西を殺すことはできる……か?
エトワールさんに迷惑をかけないように。
でもなんだかそれも違う気がしてなぁ……。
俺は火西を殺したい。しかしそれと同時に復讐も果たしたいのだ。
最初の月元はパーティーの仲間を殺してから、やつを殺した。
2人目の水口は偶然とはいえ商会を破産に追い込んでから殺した。
3人目の木ノ下は国をまるまる滅ぼしてから殺した。
いま、4人目の火西を殺したところでなんの復讐にもならないのではないかと思ってしまう。それはただの人殺しで……とはいえやつの命を奪うのは一番の復讐である気も……。
「うーん」
「シンク、悩むくらいならやめたほうが良いわ」
「なんかこう、もっとむごたらしく復讐してやりたいんだが」
「ふふん、贅沢ね」
贅沢……なのか?
悩んでいる間にエトワールさんは取り巻きを連れて移動しはじめた。こちらにも目線をくれている。付いてこい、ということだろう。
俺はなんとなく警戒を強めながらエトワールさんについていく。
頭の中でシャネルの言葉を反芻する。
贅沢……。
俺の思う復讐は贅沢なのだろうか? 贅沢な復讐。
でも誰だってそうだろう? もし復讐するなら相手をどん底まで落としたい。
それは悪いことなのだろうか? 分からなかった。




