228 ディアタナの杖
エトワールさんは孤児院の外にある広場にいた。
杖をついて、よたよたと歩いている。
「ああ、榎本さん。カブリオレさん」
シャネルのことを名字で呼ぶ人は少ない。というかエトワールさんだけだ。たぶんだけどカブリオレという名前はよくあるもので、それと同時に有名なものだからあまり名字で呼ぶ人がいないのだろう。
「おはようございます、エトワールさん。どうしました?」
「榎本さん、今日は会議があるので護衛をお願いしたいのです」
「もちろんです。シャネルも行くよな?」
「行くってどこへ?」
「大聖堂です。中に入れる機会はあまりないので、いい経験になりますよ」
シャネルの顔があからさまに歪んだ。
いやだなあ、そんな場所には行きたくないなぁとそういう顔だ。しかし断るのはやっぱりどこか遠慮があったのか、分かりましたわと頷いた。
「それまでに少しくらい歩けるようにと思っていたのですが、どうですかね? おかしいところはないですか?」
「まあまあってところでしょうか」
やっぱりまだエトワールさんは足を引きずっている。けれど杖さえあれば、なんとか歩けている。大丈夫だろう。
「そういえば榎本さんたちにお客さんが来ていましたね。さきほど出ていかれましたが、帰ってしまわれたのですか?」
「まあ」
「喧嘩はいけませんよ」
べつに喧嘩をしたわけではない。というかエトワールさん、もしかしたらシノアリスちゃんの顔を見たのだろうか。きっと怒ったような顔をしていたのだろう。
孤児院から子供たちが出てきた。いまから外で運動をするのだろう。運動とはいってもようするにただ体を動かして遊ぶだけだが。
でも健康的ではあるか。
そこにはアンさんの姿もあった。アンさんはやっぱり俺の顔を直視できないようで、照れたようにハニカンでいる。
「シンク~。あそべ~」
子供たちは俺にむらがる。いいぞ、と頷いてやる。でもすぐにエトワールさんがいることに気づいて、そちらに行く。
「エトワール様、遊んでぇ!」
「あらら、シンクったら。人気で負けたわね」
「うるせえ」
シャネルがからかうように言ってくる。
「私は中で女の子に針仕事でも教えてるわ。大聖堂に行くときに呼びに来てちょうだい」
「おう」
というわけで、シャネルは中へ。
するとあら、どういうことでしょう。俺はアンさんと2人きりみたいになってしまったのです。
「シ、シンクさんおはようございます」
「お、おはよう」
おはよう?
いや、べつにおはようっていう時間ではあるけれど……。さっき一回顔を合わせたような。
俺たちは木陰に座って、遊んでいる子供たちを見る。
エトワールさんは足が不自由なままで、子供たちの相手をしている。子供たちの間ではいま、サッカーのような遊びが人気らしい。
基本的なルールは同じ。でもゴールにネットはかかっておらず、置かれた石ころの間をボールが通れば得点になる。オフサイドとかそういうルールはたぶんないよ。
「エトワール様、最近はずっとああして子供たちと遊んでいるんですよ」
「へー」
暇なのかな?
違うな、いまエトワールさんはこの孤児院に隠れ住んでいるようなもので。言ってしまえば休日のお父さんのようなものか。
エトワールさんの杖は白く、羽のような装飾がついている。あの杖をついたままサッカーをするのは大変そうだ。
俺はじっとその杖を見つめる。
なんだか不思議な杖だ。俺はスキル『女神の寵愛~視覚~』を発動させた。なんだか魔力の流れがある……。
「あれ、もしかしてマジックアイテムか?」
べつにアンさんが知っているとは思わない。ただ、ちょっと気になったから聞いてみたのだ。
「あれ、じつはすっごい宝物なんですよ」
でも知っていたようだ。
「宝物?」
「というよりも秘宝というか……。あの杖ひとつで天文学的な値段になるんですよ。いえ、そもそも値段がつかないような。あれがあれば、所有者は傷をおわないらしくて」
「ふうん」
と、いうわりにはエトワールさん足を怪我してるけど。
なんて思っていると、エトワールさんの頭にボールが飛んできた。そのボールは誰が見てもあきらかにおかしな動作で空中に静止した。
杖が青白く発光している。
その光が消えた瞬間、静止していたボールは慣性を殺しその場にポトンと落ちた。
「ね?」と、アンさん。
「すごいな」
あの杖があるだけで俺の『5銭の力』の上位互換みたいな効力がえられるのか。
たしかにそんな杖、かなりのお宝だろう。
「そんなものをあんな簡単に使ってるんです、エトワール様は。変な人ですよね」
「でもあの人はいま、狙われてるんだろ? なら使っててもおかしくないさ」
「そうですけどね。でも普通使います?」
「俺だったら……使わないかな」
なんせ貧乏性だから。
超絶高い湯呑でお茶を飲むようなものだろうか。でもまあ、命には変えられないといえばそうだけど。
しばらくすると疲れたのか、エトワールさんがこちらに来た。
「榎本さん、悪いのですけど子供たちの相手、変わっていただけませんか?」
「お安い御用ですよ」
エトワールさんは息を切らして、その場に杖をぞんざいに置いた。おいおい、宝物じゃないのかよ、その杖。
俺の視線に気づいたのか、エトワールさんはニッコリと微笑み返してくる。
「気になりますか、この『ディアタナの杖』が?」
「すごい杖なんですよね?」
名前からしてなるほど、すごそうだ。
まさか神様の名前をそのまま冠しているとは思わなかった。
「なあに、道具はしょせん道具です。誰かが使ってあげなくては意味はありません」
なるほど、そういう考えもあるのか。
「でも良い杖ですよね。もっていれば傷を負わないなんて」
「少しだけ違いますよ。所有者は不慮の事故を回避するだけです。不幸な事故をね」
ふーん、まあなんでもいいけど。
「じゃあ遊んできますよ」
「地下の子たちも……こうして光の元で遊べれば良いのですが」
地下の子供たち?
いったいなんのことだろうか。
エトワールさんは言ってから、俺に微笑みかけた。なんだろう、この目は。見たことのない目。もしかしたら……この人はシノアリスちゃんを知っているのではないだろうか。
俺の第六感がそう告げている。
「榎本さん、喧嘩はいけませんよ」
「は、はい」
俺はエトワールさんの代わりに子供たちに交じる。
手加減しない男、榎本シンク。子供たち相手に体力得点を記録しました。まさにファンタジスタの活躍です。
まあそんなのでも子供たちは喜んでくれたから良いか。
けっきょく昼まで俺は子供たちと外で遊んだ。
ふと思ったのだが、この子供たちとシノアリスちゃんの年齢はそんなに違ってないようにも思えた。もしかしたら彼女だって異教徒の教主なんかにならなければ、この孤児院で過ごしていたかもしれない。
なんて、そんなことは思ってもせん無いことだった。




