227 シノアリスちゃんへの裏切り
朝になって、シャネルが孤児院にやってきた。
その隣にはなぜかシノアリスちゃんの姿もあった。
「うふふ、お兄さん。おはようございます」
「なんで来たの、シノアリスちゃん?」
「まあ、ひどい言われようですね。お姉さんがいなくて寂しかったんですか?」
「まさか」
むしろのびのびしてましたよ、ええ。
「この子、どうしても来たい言って聞かないのよ」
「ふうん」
この前は絶対に孤児院になんか行きたくないとか言ってたのに。どういう心変わりだろうか。
シノアリスちゃんは俺たちの部屋をじろじろと見て「小さい部屋ですねえ」なんて言っている。そりゃあ地下よりは狭いだろうけどね、でもちゃんと日のあたる場所にある部屋だから良いぞ。
「それでお兄さん、昨晩の浮気は楽しかったですか?」
「やめて、浮気してた前提でいうのやめて」
そんなこというとほら、シャネルさんが微妙な顔をする。お前この前、浮気してもいいって言ってたじゃないか。あれは嘘だったのかよ!
「まあさすがにこれは冗談ですが。いちおう私も遊びで孤児院まで来たわけじゃないですよ」
シノアリスちゃんは可愛らしいリボンを無意識にだろう、手で触りながら椅子に座る。
「じゃあなんで来たんだ?」
「昨日、教皇候補をあらたに1人、亡き者にすることに成功しました」
「へー」
それ、俺にはあんまり関係ないね。
「これで残る教皇候補は2人。そして現教皇であるカシィ教皇を殺せば、私たち異教徒の復讐は成功します」
「そりゃあ良かった。火西だけは俺が殺すぞ」
どうでもいいけど、あと2人ってのにエトワールさんは入ってないな。
「もっとも、失敗した殺し屋さんもいますけど。それについては、うふふ。街で縛り首にされたましたよ。お兄さんも見に行きますか?」
「行かないよ」
なんで人様の死体なんて見て楽しまなくちゃならないんだ。そんな中世的な娯楽はノーセンキューだ。
「殺害に失敗した教皇候補筆頭のアドリアーノ。やつの周りはどうしても守りが手厚い。私がいま思っているのは残る殺し屋を全員まとめ、このアドリアーノを狙うというものです」
「ふむ」
「それと同時に、教皇を狙う。どうでしょうか、同時に狙えばその分だけ相手の守りも薄くなると考えています」
「たしかにそうだろうな」
それで、問題なのはそれがいつかということだ。
だがそれを聞く前に、部屋の扉が叩かれた。
「はあい?」
シャネルが扉を開ける。
そこにいたのはアンさんだ。
「お、おはようございます」
アンさんはどこかよそよそしい様子で挨拶をする。俺を見て、すぐに視線をはずした。なんだか調子がくるうなぁ。
「どうかした?」
「あの、お2人をエトワール様がお呼びです。そちらのかたもどうぞ」
そちらのかた、と呼ばれたシノアリスちゃんは顔をしかめた。
「エトワール?」
そう、シノアリスちゃんはエトワールさんが生きているとしらなかったのだ。
アンさんはまるで恥ずかしがるように顔を赤くして、ペコリと頭を下げて去っていく。
「怪しい……」と、シャネル。
「ねえ、お兄さん。いまエトワールって言いましたか?」
「さあ?」
とりあえず適当にとぼける。
「怪しい……」と、シャネル。
「ねえ、お姉さん?」
「怪しい……」
さっきからシャネル、これしか言わねえな。
「ねえ、お姉さんってば。いまエトワールって言いましたよね、あの偽善者」
偽善者? アンさんのことだろうか。
「さあ、聞いてなかったわ。それよりもシンク、さっきの態度なんだか怪しいと私は思うのだけど」
くそ、相変わらずシャネルもなかなか察しが良いな。
きっと昨晩のアンさんの告白、それを断ったことに対するギクシャクした関係を察知したのだろう。
とはいえ、俺は断っているんだ。なんの問題もないはずだ。
ないはずなのだが……いや、言えねえよ。
「なんでもないってば」
とにかくそう言うしかない。
「……そう。ならそういうことにしておくわ」
「それよりもお2がた、エトワールって! もしかして教皇候補のエトワールのことですか!」
「なにを驚いてるのよ、ここはそのエトワールさんがつくった孤児院なんだから、べつにここに居たっておかしくないでしょ?」
「いやいや、シャネルさん……」
おかしいでしょ、死んだはずの人間がここにいちゃあ。
「お兄さん、どういうことですか?」
「そういうことだよ」俺は観念する。「エトワールさんは生きている」
「つまり、残る教皇候補は3人? 大変、いますぐ殺さないと」
シノアリスちゃんはリボンをほどき、怒りに任せて立ち上がった。
「おいおい、待て。それはやめてくれ」
「どうしてです!」
「俺はエトワールさんを守る。そういう契約をしたからだ、冒険者としてな」
「……お兄さん。それは重大な背徳。裏切り行為です」
「背徳? 異教徒が背徳なんていうものなのね」
シャネルが揚げ足をとる。やめてあげろ、そういうの。
ほら、シノアリスちゃんが不機嫌そうな顔をしている。
「それで、お兄さん。つまりお兄さんは私たち異教徒の敵に回るということですか?」
「誰もそうは言ってない。ただ俺が殺したいのは火西だけだ。そしてエトワールさんには借りがある。あの人には死んでほしくないんだ」
シノアリスちゃんが分からない、というふうに俺を睨む。
「では私はお兄さんを殺せばいいですか?」
「どうしてそうなる」
「ディアタナを信仰している者は全て敵です」
いやいや、べつにエトワールさんを守りたいだけで、ディアタナさんとやらはまったく関係ない。
だというのに、シノアリスちゃんは俺も殺すという。
「俺は誰も信仰なんてしてないよ」
「でもディアタナを信仰しているやつの仲間だって、ひとしく敵です!」
「なら、その敵を全員殺すのか?」
「そうです!」
やれやれ、と俺は肩をすくめる。
「そんな復讐、一生終わらないぞ。シノアリスちゃん、殺す対象は絞れ。たいして憎んでもない相手を何人も殺せば、シノアリスちゃんの復讐心は薄れていくぞ。本当に殺したいやつだけをピックアップしたらいい」
俺にとってそれは火西だけだ。
べつに火西を絶望させるために、教皇候補。つまりはあいつの仲間とも言えるやつらを殺すのもアリといえばアリだ。
しかしそんなことをすれば、俺の精神は摩耗するだろう。
殺す相手は絞る。その分、そいつだけに憎しみを向ける。
「シノアリス、あんまり聞き分けのないことを言わないでちょうだい」
「お姉さんは良いんですか! エトワールを助けても」
「シンクがそれをしたいって言うなら私はそれに従うだけよ」
シノアリスちゃんは首を横に振る。
「本当に分かりません。お2人がなにを考えているのか」
「簡単さ、やりたいようにやっている」
それだけだ。
シノアリスちゃんはまるで羨ましがるような目を俺に向けて、「今日は帰ります」と部屋を出ていった。
彼女がいなくなって、シャネルは俺の頬をつついた。
いきなりだったので驚いた。
「なんだよ」
「怒らせたわね」
「……だな」
とはいえ仕方ないのだ。
そりゃあ俺のやっていることはその場のノリが優先で、一貫性のないことばかりだ。でも本当に、ただ好きに生きているだけなんだ。
「まあ、でも明日になれば機嫌も直ってるわよ」
「そうだといいけどなあ……」
そんな簡単だろうか。
もしかしたらシノアリスちゃんは俺の前に、自分から姿を現すことはないかもしれない。
なんとなくだが、俺はそう思った。
それくらい、シノアリスちゃんは俺という人間にある種の絶望を抱いたのかもしれない。
まるでそう、裏切られたような……。




