217 復讐の果てになにがある?
孤児たちは俺の周りを囲んでいる。そして楽しそうに笑っている。
「ここには何人くらいの人が住んでるんだ?」
と、俺は聞いてみた。
べつに知らなくても良い事だが、気になったからには聞いてみたのだ。
「さあ、正確には分かりませんがだいたい200人くらいでしょうか?」
「そんなにいるのか」
ちょっとした町くらいの人間が、この地下に住んでいるということか。いったいこのカタコンベはどれだけ広いのか。
「こんな場所にいて息がつまらないの、あなたたち」
「外にいるよりは安全ですので」
「異教徒っていったいどれくらいの迫害うけてるんだ?」
「そりゃあもう酷いものですよ。歩いてるだけで石を投げつけられます」
「じゃあなんでアイラルンなんて信仰してるんだよ、やめりゃあ良いじゃないか」
俺は言ってから、しまったと思った。さすがに酷い言い方だったかもしれない。人にはそれぞれ理由があぅて、その理由を他人に詮索されたり否定されたりというのは腹の立つことだ。
「少なくともここにいる子供たちはみずからアイラルン様を信じたわけではなく、ただそういう星の下に巡り合わされただけですけどね。そして私も――」
「いや、ごめん。あんまりなことを聞いた」
「でもひどい話ね、ただ信じている神様が違うってだけでこんな場所にこそこそと隠れ住まなくちゃいけないだなんて」
「本当だな、そのディアタナってのもとんだ心の狭い神様だ」
「うふふ、別にディアタナが戒律で私達を迫害することを決めたのではありませんよ、決めたのは全て、それを信仰している人間です」
決めたのは人間のほうか、たしかにそのとおりかもしれない。
子供たちは遊んでくれとせがむのだが、俺はまたこんどと断った。そうしたら意外にも素直に子供たちは引き下がった。
「ほら、みんなもう寝なさいな。明日にひびきますよ」
明日?
なにか仕事でもするのだろうか。
はてさて、いったいここの人たちはどうやって生計をたてているのだろうか。人が生きていくには、それだけ食料や、もしくはお金みたいなものが必要だということだ。
こんな子供たちでもできる仕事といえば、それこそ乞食か……あるいは盗みだとか……なんにせよまともな仕事は思いつかないが……。
これは聞くのはやめておこう。知っても悲しい気分になるだけな気がする。
子供たちはここに入ってきたときと同じように、それぞれが蜘蛛の子を散らすように出ていった。
それで入れ替わるようにして1人の女性が近づいてきた。
その女性の手にはおくるみ――赤ちゃんをつつんだ布が持たれていた。
まさかと思い覗き込むと、目があった。キャッキャと赤ちゃんは笑う。
「あら、可愛い」とシャネル。「赤ちゃんって泣きさえしなければ天使なのよね」
「可愛らしい赤ん坊ですね、名前は?」
「あの、それを教主様に決めてほしいのです」
女性は膝をついてシノアリスちゃんに赤ちゃんを差し出した。
「責任重大よ」と、シャネルが茶化すように言う。
「そうですねえ……」
シノアリスちゃんは緊張したような面持ちでおくるみを受け取った。
そして赤ちゃんとにらめっこをする。
「ちなみにこの子、男? 女?」
赤ちゃんの性別ってわからないよな。
「女の子です」
俺の質問に母親はそう答えた。
どうも俺とシャネルが誰なのか分からず、少しだけ警戒しているようだ。そりゃあそうか、自分たちの家にいきなり変な2人組が来たらだれだって警戒する。
「そうですか、女の子ですか。名前ねえ……せっかくこんな因業な世に産まれたんですから、名前くらいは良いものをつけてあげたいのですが。いっそのことアイラルン様からとって、アインというのはどうですか?」
「そ、そんな恐れ多くも……」
「大丈夫ですよ、あとで私からアイラルン様には事後報告的にお願いしておきますので」
母親は感動したように何度も頭を下げる。
えー、べつにアイラルンと同じような名前をつけられたからってそんなに感動するか?
「せっかくなので隠し名は『アイルン』と名乗ると良いですよ」
「はい、ありがとうございます」
シノアリスちゃんは赤ん坊の頬を少しだけ撫でた。
赤ん坊はそれで、また笑う。シノアリスちゃんは慈悲深く聖母のように微笑んだ。
シノアリスちゃんがおくるみを持つ姿はどこか宗教的であり、神々しくすら感じた。
その姿に俺は見とれた。
いままで彼女が異教徒のトップだという言葉を、心の何処かで疑っていた。けれどこの光景を見て心を入れ替えた。
――ああ、たしかにシノアリスちゃんは異教徒たちを導く人なのだ。
「きれいね」と、シャネルも認めたようだ。
シノアリスちゃんが赤ん坊を母親に返す。そのときに、小さな声で「幸せにね」と粒やいた。それはもしかしたら俺にしか聞こえなかったかもしれない。
でも彼女はたしかに、そう言ったのだ。
この因業な――不幸な世界に産まれ落ちた子羊に、それでもせめて幸せになってほしいと彼女はそう願ったのだ。
「さてさて、信者の皆様。そろそろお部屋にお帰りになって。うふふ、私も眠たくなってきましたので」
シノアリスちゃんは照れたように少し大きな声でそう言った。
遠巻きに俺たちを眺めていた人たちは闇の中に消えていった。
「お2人に見せたかったのはこれです。ねえ、どう思いましたか?」
「さあ? 意外とアイラルンを信じてる人がたくさんいるのねって程度よ。シンクは?」
「うーん? シノアリスちゃんきれいだなって」
俺がそういうと、シノアリスちゃんの頬が赤くなった。
普通なら暗くてよく見えないだろうが、俺の目にはしっかりと見えた。
「お兄さん……それって口説いてます?」
「シンク――?」
やべえ、シャネルがイラッとしている。
「口説いてないです」
いや、実際そんなつもりなかったからね。ただ本当に思ったことを言っただけだから。
そもそもこんなにさらっと口説き文句が出たら今頃童貞なんて卒業しているだろ。
つまり偶然だよ、偶然。というかミステイク。
「私が言いたかったのはそういうことではなく、アイラルン様を信じている人はこうしてたくさんいるのです。その人たち全てが今回のコンクラーベを潰したいと思っているわけではありませんが、しかし大多数が今回のコンクラーベをチャンスだと思っています」
「なんのだ?」
「私たちへの迫害に対する、復讐の――」
ああ、そういうことかと俺は思った。
この信者たちはどこまでいってもそう――因業なのだ。
「不幸な話だわ」
と、シャネルは仰々しく両手を上げた。
「そうです、私たちは不幸なのです。ですから、手伝ってください。お2人の力が必要なのです。一緒に殺しましょうよ、教皇を」
シノアリスちゃんが手を差し出してくる。
「それで、火西を殺したあとにキミたちはどうなる?」
その手をとることは、まだできない。
「火西? ああ、カシュイ教皇ですか」
「名前なんてどうでも良いさ」
たぶん、火西じゃあここらへんだと通りが悪いから、少し崩して名乗っていたのだろう。それくらいはすぐに察せる。
「どうなるか、なんて考えていません。これは復讐なんです。私たちの、復讐。その果てになにがあるかなんて分かりませんし、そもそもなにも無いかもしれません」
それでも、とシノアリスちゃんは続ける。
「復讐をしなければいけません。そうしないと私たちは前に進めません。私たち異教徒はずっと迫害され、赤子のように泣き続けるだけです。けれどここで復讐を果たせば私たちはプライドを取り戻すのです。この宗教の中心地であるロマリアでやるからこそ、その行為は全世界に発信され、アイラルン様を信仰する者たち全てが希望を持つのです」
俺はシャネルと目を合わせる。
シャネルの目はこう語っている。
――シンクのお好きにどうぞ。
ふっ、と俺は笑った。
そしてシノアリスちゃんの手をとる。
復讐の果てになにがあるか……?
そんなの誰にもわからない。けれど1つだけ言える。悪いようにはならないさ。
「良いだろう、本気で手を貸す。殺そう、火西を」
シノアリスちゃんは嬉しそうに頷くのだった。




