210 広場で
会えませんでした。
教皇様には。
ま、あたりまえか。
というか俺が勘違いしていただけで、べつに教皇様に1対1で会ってお話するわけではなかったようだ。どうやら今日はヴァチカンで教皇様の演説――説法?――があるらしい。
「まったく虫唾がはしるわ」
「そういうなよ、シャネル」
ぶるぶるとシャネルは震えている。
「うう……お兄さん見てくださいよこれ、サブイボです」
「そういうなよ、シノアリスちゃん」
というかサブイボって方言じゃないか?
「どうしてお2人は震えてるんですか? あ、もしかして教皇様に会えるのが嬉しいんですね。はい、私も初めて広場で教皇様のお話を聞いた時は感動したものです」
うーん、アンさん。ちょっと頭の中が清らかすぎないか?
「ねえ、なに言ってるのこの子?」
「これだから聖職者は……」
総スカンくらってるし。でも言っておくけどアンさんの方が普通なんだぞ? お前らの方がおかしいんだぞ。
俺たちはヴァチカンに入り、中央にある広場へと向かう。
その広場の先には宮殿がある。ちなみに、宮殿とは言ったが厳密には教会だ。それにしては豪華絢爛、華美な装飾がたくさんついているけど。こういのバロック建築っていうのかな? ゴシック建築とはちょっと違うらしいが……ま、しらねえ。
四角い建物に王冠みたいな丸っこいのが乗っている。まるでモンブランの栗だ。
そしてその聖堂の前の広場には大量の人、人、人。芋洗い状態。
だというのに、ここに集まる人たちは不思議と口数が少ない。そのせいで広場はひっそりと静かだ。
「うげえ、人が多いな。これ、どこに教皇様が出てくるんだ?」
あの聖堂のバルコニーとかだろうか? だとしたら、俺はまあ目が良いから見えるけど他の人は見えないんじゃないか? ついでに言うと声だって聞こえないだろうし。
それでもみんな見に来ちゃうものなのね。
ゆっくりとだが、人の流れは大聖堂に向かって進んでいるように思える。しかしそれはほtんど牛歩の速度だ。
「お兄さん、手」
なぜかシノアリスちゃんが俺の手を掴んでくる。
「え、なに?」
柔らかい弾力のある子供の手。これでもう少し歳をくえばぷにぷに感がなくなるんだけど。
「こんなに人が多いですから、はぐれないように」
ああ、なるほど。たしかにシノアリスちゃんは小さいから離れ離れになったらどこにいるのか分からなくなりそうだ。
「シンク、私も」
すかさずシャネルがもう一方の開いている手をつないでくる。
しょうじき両手が塞がるのは困るが、状況としては両手になんとか。両手に……爆弾? うーん、美女ではあるんだよな、2人とも。
「シンクさんはモテるんですね」
アンさんがなにかしらの感情のこもった声で言ってくるが、その感情の判別がつかない。あまり俺が向けられたことのない感情のようだ。
「貴女の分はないわよ」
シャネルがなぞのあおりを入れる。
「べ、べつにいいです」
否定しているけど……。
なんだかアンさんの顔が赤い。
「照れてますね、そちらのお姉さん」
「照れてるのか、シノアリスちゃん?」
「お兄さん、鈍感って言われたことありません?」
「ないな」
察しが良いとはよく言われるけど。
まったく女というのはよく分からない。
「あー、もう邪魔ねえ、これ」
シャネルがなにやらプンプンと怒っている。広場の中央くらいに石像があって、それが邪魔で前に進めないのだ。
「そんなこと言ったらダメですよ」
誰がモデルの石像だろうか、
ずいぶんと髪の長い女性が、片手に球体を持ってかかげている。
「うげえ、これディアタナですね」
シノアリスちゃんが顔をしかめる。
「ダメですよ、ディアタナ様を呼び捨てにしては――えっと、あの。すいません名前をまだ聞いてませんでした」
「シノアリスですよ、お姉さん」
「私はアンです。どうぞよろしくね」
「……うふふ、握手はしませんよ」
だっていまは手がふさがってますから、とばかりに体を寄せてくる。うーん、シノアリスちゃんってなんでか知らないけど柑橘系の良い匂いがする。べつに香水とかつけてるわけじゃないんだろうけど。
「この石像は400年も前からここにあるのに、傷一つないですよね。これはディアタナ様の奇跡なんですよ」
「ふーん」
髪の長い女性だ。石像には台座がついているのだが、髪自体はその台座よりもさらに下にたれていた。石像にはなんだかデフォルメがかなりきいているようにも思えるが。きっと石像を美人に作るための工夫なのだろうな。
「奇跡って、ただの魔法じゃないの」と、シャネル。
「そうだそうだ。聖職者はすぐ奇跡につなげます」シノアリスちゃんも同意する。
「まあ、たしかに魔法で腐食が進まないようにしてるだけなんですが、いちおうは伝承でそういうことになってますし」
アンさんは困ったような顔をする。
「おい、お前ら。あんまりアンさんを困らせるな」
「なによシンク、どっちの味方よ」
「べつに味方とかじゃなくてさ」
俺は本能的に嫌いなんだよ、多勢に無勢っていうの? 1人をよってたかってイジメるみたいなのがさ。
「お兄さんは優しいですねぇ」
「そうだよ、俺は優しい男だよ」
べつにこれが優しさだとは思わないけど。
でも人が人をイジメるのも、あるいは本能なのかもしれないな。だってさ、どこにでもあるじゃないかイジメって。どこかで聞いたようなセリフだけど、人間は3人いれば上下を作ってね。
けっきょく、俺たちの歩みは石像のあたりで止まった。
ここからでは大聖堂が遠い。
きちんと教皇様のことが見られるのかなと心配する。
「こんな場所からで大丈夫なの?」
シャネルも同じことが気になったようだ。
「大丈夫ですよ」
なんて言っていると、空の一部の色が変わった。
まるでスクリーンのように灰色になる。
肌がちりちりと傷んだ。
「なんだ、あれ?」
「魔法ね。たぶん風属性の魔法。火と木系統を混ぜた相生、かなり大規模だわ」
「たぶん何百人単位でやってますね、うふふ。よくやります」
「どんな魔法なんだ?」
「遠見の魔法かしら。あそこに遠くの光景を写せる魔法」
ほー。なんかよく分からないけどすごいなんだ。
なんて思っていると、空に浮かんだスクリーンに映像が映し出された。
白い服を着た老人が映し出されている。頭にはつばのない三角のとんがり帽子が乗せられている。老人は柔和な表情で俺たち全員を見ていた。
すごいすごい、本当に映画のスクリーンみたいだ。
でも声は聞こえるのかしらん、と疑問に思う。
だがどこからともなく声が響いてきた。スピーカーがあるわけでもないのに、耳に直接声が届いているようだ。きっとこれも魔法だろう。
しかし喋っているのはスクリーンの中の老人ではないようだ。マイクテストのような声。本日も晴天なり――。
「あの人が教皇様?」
シャネルも当然、教皇様のことは初めて見るようだ。
俺は笑いながら「そうなんじゃない?」と言う。
そして拳を握りしめた。
「冴えないおじいさん、って感じだけど」
「うふふ、あれで中々したたかな御老体らしいですよぉ。並み居る政敵をおしのけて教皇の地位にまで上り詰めたんですから」
「違いますって、教皇様はその徳の高さによっていまの地位にこわれてついたんです」
「なんにせよ、あいつがディアタナの信者で一番偉いんだな」
そうかいそうかい……。
俺は思わず笑ってしまう。その笑顔の獰猛さに自分でも驚きながら、しかし心のどこかで安心する。俺の復讐心はなんら衰えていない。
――見つけたぞ。
ああ、こんなところにいたのか。久しぶりじゃないか。ほら、さっさと喋れよ。
俺は空を睨みつける。
『みなさま、今日という日を迎えられたことを私は嬉しく思います』
教皇様――いや、火西は俺たちに向かって、なるほどいかにも聖職者たる清らかな声で挨拶をするのだった。




