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021 シャネルへの告白


 シャネルは帰ってきて瞬間に顔を真っ青にして俺に駆け寄ってきた。


「ちょ、ちょっと! どうしたのよ、傷だらけじゃない!」


「ははは、でも勝ったぜ。ボコボコにしてやったんよ、あいつ逃げてったぜ」


「喧嘩してたの?」


 シャネルが上目遣いに見てくる。


 ……こうしてみればやっぱり可愛いよな、シャネルって。たぶん現代日本だったら芸能人だってできただろうな。もしくはグラビアアイドルか。どうでもいいけど。


「喧嘩っていうよりも殴り込みだよ。いきなり来たからよ、返り討ちにしてやったんだ」


「誰が来たの?」


 まさか、勇者? とシャネルは聞いてくる。


「そうだったら良かったけどな」


 それならたぶん俺は死ねただろうな。けど実際は違う。


「隣の部屋のやつだよ。軍人崩れでよ、土属性の魔法だかなんだか使ってきたんだぜ。でも俺の敵じゃなかったね」


「……こんな怪我して。ちょっと動かないで、水魔法で治すわ」


「下手くそなくせに」


「でもなにもしないよりはマシでしょ」


 シャネルが魔法を唱える。


「流れる水はたえず形をかえ、二度と同じものにはならない。それは癒やしの遍歴(へんれき)――ヒール」


 傷は消えなかったが、痛みはかなりマシになった。実はさっきまで口の中で血の味がしていたがそれもなくなった。上々だ。


「ありがとう」


「いいのよ。でもこんなこと金輪際やめてよね。今のシンクを見てると……怖いわ」


「怖い?」


「なんだか目を離すと死んじゃいそうで」


 ははは、と笑う。


 どうやらシャネルにも伝わっていたらしい。


「大丈夫だよ」と、俺は嘘をつく。


「なら良いけど」


 シャネルが買ってきてくれた夕食をとる。


 別に美味しくもまずくもない。ま、シャネルが作るよりはマシなのは確かだ。でもフミナの屋敷で食べた食事が懐かしい。


 なんだかずいぶんと時間が経ったような気がする。


 俺はなんだかワインを飲む気にもなれずにいた。本気で死ぬことを考えている。こんなこと、イジメにあっていたとき以来だ。


 でもあの時と違うのは、イジメられているときは他人から与えられる辛さで死にたかった。だが今は、あまりに自分がなさけなくて死にたい、消えてしまいたいのだ。


「どうしたの、飲まないの?」


「うん? ああ、今はいいよ」


 そういうだけで、シャネルはとても嬉しそうにした。


 罪悪感で胸が締め付けられる。俺は今シャネルに依存しているただのヒモなのだ。


「ねえシンク」


 シャネルがまるでタイミングを見計らうように口を開いた。


 その表情は先程までの底なしの笑顔ではない。どこか困ったような笑顔だ。


「どうした?」


 俺は固いパンを噛み切る。この異世界に来て初めて知った。パンって固いのもあるんだな。いや、それは俺が無知なだけか。


「あのね、言いにくいことなんだけど。もうお金があんまりないの」


 俺は食べかけのパンをテーブルに置く。


「……そうか」


「だからやっぱり、仕事を探さなくちゃ」


「ジャイアント・ウコッケイでも狩るか?」


「それも一つだけどね」


 冗談で言ったつもりだったが、真面目に返された。


 にしても金欠か、それはかなり深刻な問題だろ。それもこれも全て勇者が悪いのだと言ってしまうこともできるが、いや……俺が悪いのか。


 食事が終わると、シャネルは寝酒にワインを一杯だけ飲んだ。俺はアルコールが抜けて素面に戻っていた。まあ、どこか二日酔い気味で気持ち悪いが。


 まったく、あちらの世界ではまだ高校生だったんだぞ。不登校だったけど。とにかく高校生だった。なのにアルコールの味を覚えちまうだなんて不良だ。


「寝ましょうか」


「ああ」


 外が暗くなれば明かりのないこの部屋も必然的に暗くなる。そうしたら俺たちにとってはもう寝る時間だった。


 いったい一日何時間寝ているのか、寝すぎて逆に健康的とは言えないだろう。


 ベッドに潜り込む。


「おやすみ」と、俺は言う。


 シャネルは何も答えない。


 暗い部屋だ。


 けれど、少しだけ外から月の光が差し込んできている。その光に照らされて、シャネルの雪のように白い皮膚が怪しげに光っている。


「なあ、シャネル」と、俺は話しかける。


 シャネルは何も答えない。けれど、布団の中で俺に抱きついてきた。


「あ……いや、ちょっと」


 柔らかい感触。たぶんこれは胸だ、触ったことないから確かな事は言えないのだが。


「シャネル?」と、俺は疑問符をつけて彼女の名前を呼ぶ。


「ねえ、シンク」


 それを遮るように、シャネルは俺の名を。


「は、はい」


 声が上ずった。


「私、貴方の事、好きよ」


 それは今まで何度か聞いた告白だった。


 本当だろうか? 実を言うと今でも半信半疑だ。


「ありがとう」と、しかし答える。


「でもね、今のシンクは嫌い」


 そうではないかと思っていたが、いざ面と向かって――暗いから顔は見えないよ――言われると、ぐうの音も出ない。そりゃあそうだ、誰がこんなダメ男を好きで居てくれるものか。


 シャネルが俺を抱きしめる手に力を込めてきた。


 もう離さないぞ、とでもいうような力だ。


 彼女の暖かさと、甘い匂い。それに包まれて俺はまるで繭の中にいるサナギのような感覚になる。


 だがその感覚もすぐに途切れる。


 シャネルが無理やり俺ごと、自分の半身を起こしたのだ。


 俺たちは二人でベッドに座っている。


 むくむくと俺の欲望が大きくなり、シャネルのことを直視できない。


 と、思っていると俺の顔面が何かに覆われた。


 むにゅ――。


 だとか、


 むぎゅ――。


 だとか、そういうオノマトペが聞こえてきそうな感触だ。


 俺はシャネルの豊満な胸に顔をうずめていたのだ!


「ねえ、シンク。好き……大好きよ」


 シャネルは狂ったように言う。


「く、苦しい……」


 息ができない。


 でも嬉しい。


 なんだこれ、これが嬉しい悲鳴というやつか? 違うな。


 けれど慣れというのはおかしなもので、こんなに素晴らしい行為でもしばらくすると落ち着いてくる。ただシャネルの体の柔らかさと、ぬくもりだけが嬉しい。


「ねえ、シンク。事情を話してくれないかしら」


 浮かれていた気持ちが吹き飛ぶような一言だった。


「……うん」


 胸に抱かれたまま、俺もシャネルの背中に手を回す。まるで甘える子供のようだと自分でも思いながらやめられない。


「シンクとあの勇者の間に何があったの? どうして貴方はそんなに怯えているの?」


「……それは」


 言えない。


 イジメられていただなんて。


 それでトラウマがあるだなんて。


 ずっとあいつを殺してやるつもりだったけど、無理だと思ったなんて。


「ねえ、シンク。お願い」


 自然と涙がこぼれてきた。


 ああ、俺はなんて情けないのだろうか。そしてシャネルはどうしてこんなに優しいのか。溺れていきたい、このまま彼女の与えてくれる無償の愛情に。


 そうすればもう、怖いものなんてないはずだ。


 でも理性だとかプライドだとか、そういうくだらないものが俺の邪魔をする。


 シャネルが俺の頭を撫でてくれる。まるで母のように優しい手付きで。赤子をあやすように。


 ――ああ、俺はこの娘が好きだ。


 そう、確信した。


 言おう。弱さなんて全部さらけ出してしまおう。そうしたところできっとシャネルは俺のそばに居てくれるさ、失望なんてされない。


「……俺、あいつにイジメられてたんだ」


 ポツリ、と言葉を発した。


「そう」


 シャネルは俺を抱きしめる力を強めてくれた。


「あいつら酷いんだぜ、みんなして俺のこと悪く言ってさ。暴力だってふるわれてさ。クラスの連中だって、教師だって、親だって見て見ぬふりしてさ。俺がこんなにつらい思いしてたのにさ、誰も助けてくれなかったんだ、誰も!」


「ええ、ええ。分かるわ」


「分かるもんか、俺がどれだけ辛かったかなんて味わったことのないやつには分からないさ! あいつら、俺のことなんていつもは無視するくせにイジメるときだけはみんなしてよ」


 言葉は勝手に出た。


「俺のものだってたくさん壊されたし、外でだって俺のこと突き飛ばしたりして。

 それで家にも無言電話かけてきてさ、お父さんはそれで俺に怒るし。なにが俺が弱いからイジメられるんだ、だよ。じゃあお前がイジメられてみろよ! 男なら反撃の一つでもしてみろって、バカだろ! そんな気力なんてねえよ、イジメられてんだぞこっちは!」


 言い出したら、言葉はダムが決壊するようにあふれた。


 シャネルはその言葉の全てを聞いてくれた。そして、俺を慰めてくれた。


「それで、復讐しようと思ったのね」


「そうだよ、あの5人は絶対に殺すんだ! ……でも、実際に目の当たりにしたらビビっちまったんだよ。俺、ダメだよな」


「そんなことないわ。誰だって自分のトラウマを克服するのは大変よ。怖いものは怖いわ」


「そうかな?」


「そうよ。大切なのは最後にどうなるか。最後にシンクがちゃんと笑えればそれで良いじゃない。何度逃げてもいいのよ、何度背を向けても、何度諦めても。最後の最後に笑えれば」


 ……今、俺は笑えるだろうか?


 笑えないさ。


 まだ、笑えない。


「なあシャネル。俺、今は笑えない」


「そうね。じゃあどうすれば笑えるの?」


「そんなの決まってる!」俺の中に、また復讐の炎が燃え盛る。その火をつけたのはシャネルだ。

「あいつらに復讐すればだ!」


「そうよね」


 シャネルが俺の頬にキスをする。ぷっくらとして可愛らしい唇だった。おっぱいと同じくらい柔らかかった。


 そして、キスしてくれたかと思うとまた抱きしめてくれた。


「……なあ、シャネル。どうして俺のこと、こんなに大切にしてくれるんだ?」


 どうしてこんなに好きなんだ、とは恥ずかしくて聞けなかった。


 シャネルはちょっと迷うような素振りを見せると、諦めたように笑った。


「昔ね」と、言いながら頬にキスをしてくれる。「アイラルンに会ったの」


「へえ」


 あの因業の女神にシャネルも会っていたのか。


「そのときにね、言われたの。将来、私のことを助けてくれる人が貴女の運命の人よ、ってね。そのときは何のことか分からなかったけど、今はもう分かるわ。それってシンクのことよね」


「そうかもな」


 つまり、あの邪神が俺たちの恋のキューピッドってわけか。不思議な感覚だぜ。


「シンクって顔はちょっとぱっとしないけど、身長は私好みよ。声は最高に素敵だし、匂いも好きよ」


「なんだか照れるな」


「あとは性格ね。一緒にいて楽しいわ」


「そうなのか?」


「ええ、とっても」


 そんなこと、女の子に言われたのは初めてだった。


 またキスされた。


 俺は照れて頬をかく。するとシャネルは「可愛いわね」と、どこか余裕のあるような感じで言う。


「お前の方が可愛いさ」


「あら、ありがとう。うふふ」


 本当に嬉しそうだ。


 衣擦れの音。みればシャネルが服を脱ごうとしていた。


「ちょ、ちょっと!」


「あら、どうしたの?」


「何してるんだよ」


「むしろ私としてはこうなるまでに時間がかかり過ぎたと思うくらいなのだけど」


 あれよあれよという間にシャネルは生まれたままの姿になった。そして優雅な孔雀のように両腕を広いげる。


 その裸体は蠱惑的(こわくてき)に俺を魅了する。シャネルの挑発的な薄笑い。そのくせ、彼女の呼吸はいつもよりも早い。シャネルだって緊張しているのだ。


 俺だって、心臓が爆発しそうなくらいに音をたてている。


「……ねえ、きて」


 どこに行くというのか!


 ええい、ままよっ!


 さっきまでの悩みなんて吹っ飛んでいる。今はこの胸のドキドキだけが俺の頭の中を支配してる。


 このまま、一線超えちゃっていいのね!


 そして俺はシャネルに抱きつこうとした。



 ――その刹那、猛烈に嫌な予感が俺の脳裏をかすめる。



 な、なんだこの感覚は……?


 嫌な予感だった。


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