201 エトワールの演説
それからというもの、連日のようにテロは起こった。
街では不穏な空気が流れ出し、人々は外出を控えるようになった。
そのかわりに警察の姿が多くなった。厳戒態勢だ。
「暇である」
俺はモーゼルの手入れをしながら呟く。
今日これで3度目の整備です。
「とはいえねえ……」
「こうなればシノアリスちゃんでも来てくれないものか」
そうなれば少しはマシだけど。
あの娘はときどきこのアパートをおとずれるようになった。
来て何をするわけでもない、ただお話をして帰っていくのだ。ときどき「私と一緒にみんなのところへ行きましょうよ」なんて言うけど、誰がアイラルンの信者のところになんか行くものか。きっと奇人変人の集まりだぜ。
「浮気かしら?」
「なにがだよ。そりゃあシャネルは良いさ、ずっと本を読んでれば暇も紛れるだろう」
「じゃあシンクも読む?」
「嫌だよ、本なんてもう一生分読んだ」
別に読書は嫌いじゃなかったんだけどね。
引きこもってるときによく読んだし。父親がね、たくさん本持ってたから。
でもこの世界の文字はそもそも読めないからな。読書なんてしようがない。
というかアイラルンさんよぉ、異世界に転移した時点でも言葉だけじゃなくても文字も読めるようにしておいてくれよな。本当にかゆいところに手が届かない!
「じゃあちょっと外にでも遊びに行く?」
「うーん」
「どこかで街頭演説でもやってるかもよ」
「まさか」
街頭演説というのはあれだ、日本の選挙みたいなもん。司教だかなんだか偉い人が道で行き交う人々に檄をとばすのだ。
べつにコンクラーベは信者たちの直接選挙ではなく間接的な代表者からの投票なのだが、それでも自分の権威をしらしめるために演説をぶちまける人は多かった。
しかしそれも、少し前まで。
演説をしている司教がテロリストに狙われる事件があいつぎ、それもなくなった。さすがにこの状況で演説をするような気合の入った司教はいなかった。
「じゃあ買い物でも行く?」
「お前なあ……行って捕まったらどうするんだよ」
「それもそうね」
非常に困ったことに、街ではまことしやかにテロリストの正体が男と女の2人組であるとされていた。この前、シャネルと一緒に逃げたのが原因だろう。
自爆テロなんだから実行犯は毎回お陀仏なのに、どうして俺たちおを追うのだろうな。
ま、いちおうそういうわけで最近は2人での外出をさけている。
早朝とか近所に買い物に行くくらいはあるんだけどね。
「シンク、なんなら1人で出てくる?」
「……うーん、俺だけで遊びに行ってもつまらないからなあ。お前がいないと」
さらっと出た言葉だが、言ってからなんだか気恥ずかしくなった。
シャネルも嬉しそうに微笑んで、本のページを見ているのだか見ていないのだか。
俺は照れて「やっぱり外に出る!」と言う。
「う、うん。お小遣いいる?」
「いる」
コインを受け取る。それを靴下に入れようとして注意される。
「あのね、シンク。シンクは知らないかも知れないけど、それは靴下と言って小銭入れじゃないのよ」
「知ってるわい」
「はい、巾着袋」
「はいはい」
というわけで、俺も最近では財布を持つのである。
偉いね、俺。
外に出て、1人。
「別に遊びに行ったからって暇じゃなくなるわけでもないんだけどね」
でもほら、街に繰り出すのは家の中にいるよりも良いだろう。
街はコンクラーベも近いというのに、なんだか静かだ。
「ふんふーん、あそうだ」
旅は道連れ世は情け、とね。
アイラルンでも呼ぶか。いろいろ聞きたいこともあったし。
「おおい、アイラルン!」
しかし、女神様は姿を現さない。
「おおい、アイラルンっば!」
周りに人がいないのを良いことに叫ぶ。
『朋輩、わたくしいま手が離せませんわ』
あ、返事があった。
でも忙しいらしい。
「トイレか?」
『女神はトイレなんてしません!』
昔のアイドルかよ……。
でもまあ、アイラルンもいつでも暇というわけじゃないようだ。
しょうがない、こうなれば1人で遊ぶしかない。
街を歩く。
さすがに大通りの方に行けば人もいた。
でもなんというかな、アウェイ感が満載だ。周りに黒髪の人がいないせいかいな。俺だけ浮いている気もする。
広場に来た。有名だという噴水がある。
このロマリアの街には噴水ばかりある。どうやら水資源が豊富というわけではなく、他から引っ張ってきているらしい。水道の整備がかなりしっかりしているのだろう。
ちなみに、ここ以外にもトレドの泉とかいうのもあって、そちらはかなり有名。後ろ向きにコインを投げて泉に入れば願いが叶うとかいう言い伝えがある。
そっちの泉はいつ行っても人ばかり。でもこっちは、まあ二番手ってところだ。
それでも噴水の近くに人が集まっている。
というか……お立ち台があるようで。
誰かが演説をやっている。
「すげえな」と、俺は思わず呟く。
この状況で演説をしてるだなんて、よっぽど度胸があるかバカかだ。
どんなやつが、と持ち前の野次馬根性を発揮する。
「ちょっと、ちょっとどいてね」
人垣をかき分ける。
睨まれるけど、こちらの刀を見てから視線をそらされる。
とうとう演説の人が見れる場所に来た。
まさか、まさかだった。
演説をしていたのは知り合いだ。いや、知り合いというか知った顔?
顔見知りというほどではない。けれど……
「皆様の幸せを祈っているのは神だけではありません」
よく通る、清らかな声だ。
端正な顔立ちと金色の長い髪。
意志の強いしっかりとした目線で、聴衆たちを見ている。
――あっ、目があった。
その男は俺に対して微笑を浮かべた。
俺はその真っ直ぐな瞳に、自分の矮小さを知らされ視線をそらす。
……苦手なんだよな。
そこにいたのはエトワールさん。
この前、船上パーティーで俺が守った相手だ。依頼を受けたのだ。
「女神ディアタナ様はあなた方を愛しておられます。しかしそれ以外にもあなた方を愛している人がいるはずです。まずは自分の隣にいる人を見るべきでしょう――」
演説のないようは、よく分からないけど。
神様を信仰する前にまずは地に足つけろとか、そんな感じの内容だった。
逆張りですか?
宗教家が神様をないがしろにしてもいいのかな。
いや、それよりもさ。
おいおい、周りを見るかぎりエトワールさん、護衛もなしに演説してるぞ。見た感じ、これマジでふらっと歩いていてとりあえず演説しようと思ったから初めたってそんな感じじゃないか?
その豪胆さは驚愕にあたいする。
聞いている人たちもそのせいで盛り上がっている節がある。
でもこれ、あきらかに危ないだろ。いまこのロマリアの街ではどこにテロリストが潜んでいるのか分からない状況なのだ。
例えば――。
俺は隣で演説を聞いていた男の腕を掴む。
男はぎょっとした顔をする。
「もしその懐のナイフを使うつもりなら、その前に俺がお前を斬るぞ」
「……まさか、お前が護衛か」
「ボランティアだよ」
まったくさ、こんな近くにテロリストがいるっていうのに。
俺は男を人垣から連れ出す。
ま、デートみたいなもんだ。
人どおりの少ない場所に行き、手を差し出す。
「ほれ、ナイフ」
貸せよ、ということだ。
しかし男はナイフを取り出したかと思うと、それを構えた。
はあ、とため息をつく。
そして、俺も刀を抜いた。
紫電一閃。ナイフの刃がきれてはるかに飛んで、石畳の地面に落ちて甲高い音をたてた。
「なっ、なっ……」
「次はお前を斬る」
「化物!」
男は尻尾を巻いて逃げ出した。
やれやれだぜ。
俺は演説の会場へ戻る。どうやら騒ぎのことは誰にも気づかれていないようだった。
しばらくすると広場に馬車が来た。俺はよく知らないが、宗教の紋章が入った馬車だ。たぶんエトワールさんを迎えに来たのだろう。
「それでは演説も終わりです」
エトワールさんは聴衆に嬉しそうに手を振った。信者の人たちがファンのように握手を求めたりしている。微笑ましい光景だ。
それにきちんと受け答えして、エトワールさんは馬車に乗り込もうとするのだが、思い出したように振り返った。
そして俺を見る。
視線が語っている、こっちに来いと。
お望み通り近づく。
「どうも」
「榎本さん、ありがとうございます。また助けてくださいましたね」
「気づいていたんですか?」
「壇上からだと周りの様子がよく見えるんですよ」
にっこりと笑うエトワールさん。その笑顔は眩しすぎるぜ。こういうのを本当のイケメンっていうんだろうな。何歳くらいなのだろうか、年齢はよく分からないけど。
「エトワールさん、こんなふうに演説してるの、もう貴方だけですよ」
「あはは、そうですね」
困ったように笑うエトワールさん。
「護衛でもつけたほうが良いですよ」
「必要ありませんよ」
「でも実際こうして狙われてるじゃないですか」
「それで死んだらそれまでだった、ということです。私がもし教皇になる人間ならば、ディアタナ様の加護によりこのような場所で死ぬことはありません」
「そんな無茶苦茶な」
「しかし榎本さんはこうして私を助けてくれました。これも神のお導きですよ」
まったくなんて人だ。
この人は自分を危険にさらすことで、自分自身の運命を試しているのだ。
狂っている。俺は素直にそう思った。
「そうだ、榎本さん。私はこれからアンのところに行きます。榎本さんもどうですか?」
「アンさんの?」
「はい、彼女も会いたがっているはずですよ」
どうぞ、と馬車に案内される。
俺は少し迷ってからそれに乗り込んだ。
どうせやることはない。暇なのだから。




