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176 奉天でのできごと


 そもそも、俺がその刀鍛冶に会いたいと思ったのには理由がある。


 あれはいまから数カ月も前のこと――。


 その日は俺の誕生日だった。奉天の街は冬で、人の数も少なくて、俺たち馬賊も暇をしていた。


 とにかくやることなんてなにもない。そんな時期が俺たちにもあったのだ。


 春になれば戦いになるということで、いかにもだらけているようだが心のどこかでは緊張の糸が張り詰めていた。


 だから、誕生日といってもそこまで騒ぐつもりにもなれずに、とりあえず朝に「俺、今日誕生日なんだ」と、シャネルに言ったくらい。


「あら、そう。おめでとう」


 なんて返事をもらって、ついでにプレゼントになにが欲しいかを聞かれた。


「ほしいものね……」


 隙間風の入ってくる長屋の中で考える。


 そもそも欲しいものがあったとしても外に買いに行くのも面倒だった。


 いっそのこと酒でも買ってきてもらおうかと思ったが、それはあんまりにもね。


 そもそも俺、未成年ですし。18歳になったばかり、ピチピチというやつです。


「なんでもいいわよ」


 なんでも!?


 なんでもいいってことはつまりあれか、あの、その……エッチなのことでもいいの?


 つまりその、あれなんだけど。


 キミが欲しいって言ってもいいってこと?


 俺は生唾を飲み込み確認する。


「あの、いまなんでもって言った……?」


「言ったわ」


 シャネルははっきりと頷いた。


「あの、じゃあさ……あの、たとえば『もの』じゃなくて『こと』でもいいの?」


「うん? えーっと、たとえば肩をもんでほしいとか? シンクって物欲がないのね、偉いわ」


「あ、いや。まあ……うん」


「いいわよ。そのほうがお金もかからなくて良いし。言ってごらんなさい、なにが欲しいの?」


「あー、いや。そのー」


「恥ずかしいの?」


「まあ」


 シャネルがからかうように距離をつめてくる。俺は壁際に追い詰められる。


 いや、なんで追い詰められてるんだ?


「どうぞ、なんなりと」


 ええい、ままよ!


「えーっと、キミが欲しいんだけど……」


 言った。


 言ってたった。


 言ってのけた。


 いいじゃんねえか、いい加減もう童貞も卒業したいよ!


 こっちは18歳だぜ。


 数々の修羅場も乗り越えて、まあ自分で言うのもなんだけど異世界転移者としては一端いっぱしってもんだろ。そろそろ性的なご褒美があっても良いじゃないですか!


 しかしシャネルさんはなにも答えない。


 うつむいて、表情も見えない。


 ……もしかして怒らせた?


 これはまずいか? やっぱりいまのなしと言うべきか?


 あわわ……どうしよう。


 しかし、シャネルはコクリと頷いた。


「そう……シンク、そんなに私のことを思っていてくれたのね」


「え? いや……まあ」


 シャネルが顔をあげる。


 なぜか泣いてらっしゃる。


 なんで!?


「わかったわ、シンク」


「うん」


「結婚しましょう」


「はあぁっっ!?」


 なに言ってるんでしょうか、このヤンデレゴスロリメンヘラ女は。


 なんでもいいけどこうして並べるとすげえ属性ばっかりだな。こういうのなんて言うんだっけか?


 ……地雷?


 いやいや、それよりも今は――。


 え、結婚?


「まさかシンクがそこまで私のことを思っていてくれたなんて……。そうよね、シンク。今日はお誕生日だものね。こういうときに婚姻をする人も多いって聞いたことがあるわ」


「まって、落ち着いて」


「ええ、シンク。答えはもちろんオーケーよ。そうと決まれば――どうしましょう、困ったわ。ルオの国に教会ってあったわよね。ああ、でもディアタナの祝福で結婚するってのも私たちなにか違うよね――」


「いや、マジで待って。マジで落ち着いて」


「これが落ち着いてなんていられないわ。シンク、人生最高のお誕生日にしましょうね!」


「だから、違う。そういうんじゃなくて――俺がほしいのは」


「ええ、分かってるわ。私のすべてが欲しいのでしょ。あげるわ、喜んで」


「だから違うって!」


 ただヤリたいだけだったの!


 結婚なんてしたかったわけじゃないの!


 婚前交渉、婚前交渉をさせてください!


「あら、なにが違うの?」


 まじまじとシャネルに見つめられる。


「うっ……」


 そう聞かれると上手に答えることはできない。


「いや、だから……その……」


「ああ、そうだわ。こういうことってやっぱり街の顔役に頼むべきだわよ。あの人に頼みましょうよ」


「あの人?」


「ほら、眼光鋭い――」


「ティンバイ?」


 というかシャネル……まだ名前覚えてないのかよ。


 この女、本当に男に興味ないんだな。というかここまでくれば脳の欠陥では?


「そう、そのティンバイさん」


 マジかよ、そこまで話が行くともう冗談じゃなくなるぞ。


 というか派手好きのティンバイのことだ、結婚するなんて言った日にはもうとんでもないことになってしまうのではないだろうか。


「あの……ティンバイはやめねぇ?」


「どうしてよ、式をするんならどちらにせよあの人も呼ぶでしょ」


 いや、式はしませんから。


「あはは」


 とりあえずごまかす。


 ここではっきり断ると嫌われそうで……はい、ビビっております。


 しかし結婚するわけにもいかない。


 進むも地獄、退くも地獄。ふむ、こういうことを言うのだな。


「とにかく結婚をするには準備がいるわ。さっそく準備をしましょうか」


「は、春になってからのほうが――」


「それだと戦争が始まるんでしょ、その前にしておかなくちゃ!」


「あ、慌ててもいいことなんてないぞ」


「うん、それも一理あるわね」


「とにかくさ、ティンバイはやめようぜ!」


 俺が叫ぶように言うのと同時に、長屋の扉が乱暴にひらかれた。


「なんだ、俺様の名前を呼んだか?」


 入ってきたのはティンバイだ。


「ティンバイ! あ、そういや約束したんだったな、よし遊びに行こう!」


 嘘です。


「あんっ? いやまあ、俺様もそのつもりで来たんだが」


「というわけでシャネル、俺は遊びに出るからな。そいじゃ! 留守は頼んだぞ!」


「はいはい、それも伴侶のつとめですものね」


「伴侶?」と、ティンバイが首をかしげる。「なんだ、兄弟もとうとう覚悟を決めたか?」


「だまらっしゃい、さっさと出るぞ」


「あまり帰りは遅くならないでね」


「はいはい」


「夜のお仕事もあるんですから――」


「え?」


 ティンバイが横でからからと笑っている。


「見せつけてくれるじゃねえかよ」


「うるせえ」


 俺は恥ずかしくなってさっさと家を出た。


 それにしても夜のお仕事ってなんですの?


「いやはや、こうも寒いのに兄弟はお熱そうだぜ」


「なあ、ティンバイ。夜のお仕事ってなんだと思う?」


「そりゃあ兄弟、夜の仕事といやあ相場が決まってるだろ」


「だ、だよな!」


 これは俺にもとうとうピンク色のシーンが回ってきたか?


 はいはい、ここイベントシーンですよ。


 ときどきあるよね、最初のエロシーンまでクソ長いエロゲー。


 いやはや、まさか俺ちゃんがそんなクソゲーを掴まされるとは。しかしね、これで全部むくわれるというものだ。


「夜の仕事っていやあ、盗人ぬすっとか男相手のあきないに決まってるだろ。兄弟のツレの場合は後者はありえねえからな、まあ盗みだろうな」


「ティンバイ……」


 そういやこいつも童貞だったか?


「あ、なんだよ兄弟。俺様なにか間違ってるかよ」


「いや、お前はなんにも間違っちゃいねえよ」


 お前はそのままの純粋なお前でいてくれよ。


 俺は一足先に男になるからよ!


 わっはっは。


 うふふ。


 おほほ。


 夜が楽しみだぜ。



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