169 人の戦い
――中原。
かつてそこからこのルオという国の文化が花開いた。
見渡す限りの平野。
これまでその場所は何度も戦いの舞台となってきたのだという。
古くから中原をとったものこそが天下をとるとまで言われた。中原での勝利とはすなわち天下をその手中に収めたということを示すのだ。
そしていま、その中原に向かいう二つの軍。
一つは張作良が率いる奉天軍。
もう一つは袁将軍が率いるルオの正規軍である北洋海軍。
両軍は睨み合ったまま、半刻ほどの時間を過ごしていた。
ティンバイからの突撃の命令はまだない。小耳に挟んだところによると、恭順した軍隊たちの到着が遅れているらしい。
スーアちゃんのたてた作戦はシンプルなものだった。
俺たち主戦力を正面から突撃させ、それと同時に左右から外様の部隊にようる波状攻撃を狙う。
兵力はこちらのほうが多く、とうぜん士気も高い。そういった場合、戦場では下手な策をろうさずに正面から叩き潰すのが一番良いらしい。
「シンク、相手の軍隊だけど……あれどう思う?」
「どうもこうも」
相手にならない、というのが正直なところだ。
あれが正規軍だろうか。寄せ集めの傭兵かなにかではないだろうか。
ボロボロの装備にやせ衰えたような体が並び、その表情は疲れ切っているように思える。
吹けば飛ぶような、という表現がまったくお似合いの軍隊だった。しかしもっている装備は最新式。
俺はタカのような目で相手のもつ銃を見る。
元込め式のライフルだ。
こちらもいくつか買い付けたのだが、思ったほどに数は集まらなかった。だから武器の性能だけでいえば、こちらは不利ということになるだろう。
――だからどうした?
そんなことで臆する俺たちではない。
突然、歓声があがった。
見れば後方の陣営で、青地に「張」の一文字を書いた旗があがっている。
突撃の合図だ。
「じゃあシンク、いってらっしゃい。私は陣営のほうでスーアちゃんとお茶でも飲んでるわ」
「うん、すぐ終わるよ」
馬賊たちの突撃が始まった。
「おらっ、お前ら行くぞ!」
ダーシャンが周りにいる自分の部下たちに言う。とうぜん俺もその一人だ。
ダーシャンはあの一件いらい自信がついたようだ。俺たちの中でもまっさきに駆けていく。
敵の軍隊から銃弾が放たれる。
しかしそれはダーシャンにかすりもしない。
あきらかに射程距離の違うライフルとモーゼルだが、肉薄してしまえばこちらのものだ。
俺たちは敵の軍隊を蹴散らしていく。
こういうのを鎧袖一触というのだ。触れればその場で崩壊する。
どうやら左右からの攻撃よりも俺たち中央からの攻撃のほうが進行が早いようだ。
俺たちはどんどん相手を倒していく。とうとう逃げ出す敵まで出るしまつだ。しかし左右からもはさまれ無常にも撃破されていく。
あきらかに優勢だった戦いは、ティンバイ本人の出陣により決定的なものとなった。
もともとスーアちゃんに頼み込まれて先駆けをしないように本陣にいたティンバイだが、とうとう我慢ができなくなったのだろう。
すごい勢いで先端が開かれていく。
やがてティンバイの率いる部隊は相手の陣営にまで到達した。
「おい、シンク、俺たちも行くぞ!」
ダーシャンが言う。
「おうよ」
最後の最後だ、野次馬に行こうではないか。
タンッ、と俺の頭のすぐ近くで銃弾が弾けた。
俺の頬から血が流れる。
けれど弾はあたっていない。
俺は俺を撃った兵士にモーゼルを向ける。あばよ、と引き金をひこうとする。
だが、やめた。
「どうせお前たちの負けだろう。無理して死ぬこともないさ」
そう言って見逃してやる。
それは怯懦でも優しさでもない。ただの哀れみだ。
あるいは目の前の兵士が、武人であれば俺は敬意を持って殺していただろう。だがそうは見えない。貧乏が嫌で兵隊になっただけの男だろう。ただの食い詰めた貧乏人を殺すのは馬賊のやり方ではなかった。
すでに戦意のある兵隊たちはいなくなっていた。
時間にしてはどれくらいだろうか。たぶん最初の接触があって30分と経っていない。まさに圧勝だ。
俺とダーシャンはゆうゆうと敵の本陣へと向かう。
本陣の前にはティンバイの白い馬が停まっていた。俺たちも馬を並べて中へと入る。
本陣の中にはティンバイとハンチャンがいた。そしてもう一人。疲れ切った老人が座っている。
「おう、兄弟。外はもう終わりだろう」
「そうだな。すでに戦う意思のある兵隊はいない」
「と、いうわけだぜ。『忠義の袁』さんよ。俺たちの勝ちだ」
「対。そうだろうな」
「ふん、俺様は正直驚いてるんだぜ。まさか戦になるような頭数を揃えられるとはな。そういう意味ではあんたはたいしたやつだよ。もっとも、全盛期の兵隊を並べていたところで俺様たちの相手じゃなかっただろうがな」
「そうだな……私もそう思う。なあ、ティンバイよ。キミはいったいなんのために戦っている? かつて私が木太后様のために戦ったように、キミも誰かのために戦っているのだろう?」
「はんっ、そんなのは簡単さ。この国にいる民、全員のために俺様は戦っているんだ」
「なるほどな、勝てぬわけだ。いまの腐りきったルオの国にキミのような漢はすでにいない。我々は負けるべくして負けたのだな」
「これにて人の戦は終わりだ。俺様はこのまま宮中――紫禁城に攻め入る。そうして木太后には退位してもらうだろう」
「これだけは言っておく、目をそらすではないぞ。あの御方こそがこの国そのものなのだと、キミは身を持って知ることになるはずだ」
「国体を一個の人間に任せられるほど、この国はちっぽけじゃねえよ」
「だとしてもこの国の天を支えていたのは間違いなくあの御方だ。皇帝ですらないただの皇后がずっとこの国を守ってきた。キミたちのゆめゆめそのことだけは忘れるなよ」
「ああ、了解した。言い残すことはないか?」
ティンバイがモーゼルを向ける。
「ない」
と、袁将軍ははっきりと言った。
ティンバイが引き金に指をかける。
だが、銃弾を放つ前に珍しくティンバイはさらに口を開く。
「一つだけ、俺様から聞きたいことがある」
「なんだ」
「あの龍――あれはなんだ」
「ふむ、あれか。あれはこの国の最終兵器だ、対グリース用の」
「あれは、人を材料にしているな」
「そうだ」
「それだけ確認できれば十分さ。あばよ」
魔弾が袁将軍の頭を打ち抜く。
俺たち死体に手をあわせて本陣を出る。
「人を材料にした龍、か」
俺は思わず呟く。
つまるところそれが魔族というものなのだろう。
人を改造して魔力を暴走させる。
ひどい技術だ。
「それで国中から魔力をもつ子供たちを集めていたのか」
ティンバイがどこか遠くを見るように言う。
ふと、空が暗くなった。
噂をすれば影がさす、か。
ティンバイのモーゼルがまるで共振するようにカタカタと震えだした。
「な、なんだ?」と、ダーシャンが慌てる。
「そう慌てるな。全軍、各個に迎撃の用意をしろ、龍が来るぞ!」
ティンバイの号令はすぐさま奉天軍を波及していく。
俺は空の一点を睨みつける。
本当に勝てるのだろうか。
不安はあった。
しかしやるしかない。
「おいでなすったぞ、さあ、ここからは人の戦いじぇねえ。人と魔の戦いだ!」




