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168 長城を越えろ!


 ――長城を超えろ!


 ティンバイの声が東満省の荒野にこだまする。


 奉天軍は進む、その行く手をはばむものは誰もいない。


「長城を超えろ!」


 それを合言葉にして、俺たちはまるで一つの巨大な生物のように進み続ける。


 休むことはない。


 後ろを振り返ることもない。


 ただただ、前だけを見て。


「長城を!」


 春の風が俺たちの背中を押す。


 舞い上がる砂埃は俺たちの体を黄色く染めていく。しかし誰も立ち止まろうとはしない。砂を振り払う者すらいない。まさに一心不乱。


 馬と同じ速度で人も進む。


 人と同じ速度で馬も行く。


 誰かが倒れる音がする。倒れた誰かは這ってでも前に進もうとする。それに手を貸す馬賊たちではない。ただ、立ち上がった者にのみ「ハオ」と声をかけるのだ。


 ティンバイの率いる馬賊たちがこの戦の主力である。


 他にも恭順したルオの軍隊や、それぞれの馬賊たちもいたが、しかしそれは物の数ではない。あくまでいまこの進軍に加わるものたちこそがティンバイの手足なのだ。


「はあはあ……」


「おい、ダーシャン。息がうるせぞ」


「いいだろ、別に。ったくよ、遠いなあ長城は」


「本当にな」


 俺のすぐ後ろではシャネルがまったく疲れの色を見せずにゆうゆうと馬を操っている。けっこうなんでもできるシャネルさん、むしろ馬を扱うのは俺よりも上手いかもしれなかった。


 馬だけに……上手い。


 うへ、自分で言ってて頭が痛くなるほど面白くない。


「ねえ、シンク――」


 シャネルが馬を並べてきた。


「どうした?」


「長城ってそもそもなに?」


「なんだ、シャネル知らねえのかよ」


 ま、俺だってよくは知らない。


 そもそも見たことなんてないのだ。


「知らないわ」


「長城ってのはあれだよ、万里の長城って言ってさ、もともとは異民族の侵攻を防ぐために建てられた、まあ長い砦だよな」


「ふうん。それっていつの話し?」


「さあ、でもとっても昔だろ」


 といっても俺の知識はあちらの世界のもの。


 異世界であるルオの長城も同じものとは限らない。けれどダーシャンがなにも突っ込まないところから、間違ってはいないのだろう。


「異民族ねえ……つまりいまの私たちよね?」


「うん? あー、そうか」


 たしかにそうだ、まさしく俺たちこそがいま異民族としてルオに攻め入ろうとしているのだ。


 かつての人々が建てた長城は、いままさに俺たちの行く手を阻もうとしているのだ。


 長城からこっちはすでに全てがティンバイのものだ。


 そしてあちらはルオの領土。


 長城ははっきりと見える線となって土地をへだてているのだ。


「私たちって、ようするに侵略者よね」


「とはいえティンバイにそのつもりはないぞ。ティンバイはべつにこのルオの王になろうと思っているわけじゃないさ。全て民のため」


「ふうん……ま、私はなんでも良いけど。けれど欲望のためにやっているわけじゃないのは分かるわ」


「もしそうだったらここまでの人はついてこないさ」


「そうだぜ」と、ダーシャンも話しに入ってくる。「攬把ランパはすでに東北王トンペイワンなんだ。もしも欲望だけならそこで終わればいい――」


 それでも長城を越えるというのは、すなわち民のため。


 だからこそ人々は驚くのだ、本当に長城を越えるつもりか、と。


 彼は本当に民のことだけを考えて戦っていたのだ、と。


 誰もがティンバイのことを英雄と言う。しかし彼のことを本当に英雄であると思っている人間は少ないのかもしれない。


 誰もが心のどこかで、どうせティンバイも自分の欲望のために戦っているのだと思っていたのだ。


 しかしいま、こうして俺たちは歩を進めている。


 全ては民のため。


 ずっと、ずっと歩きづめで、やがてその巨大な壁は姿を現した。


「……ああ、あれが長城か」


 俺は思わずため息のような声をもらす。


 なんと超大な砦か。


 視界の端から端までをまさしく壁のように長城が横たわっている。


 あんなものを人の力だけで作ったのかと思うと、なんだか感動すらしてしまう。


「おっきいわね」


 と、シャネルも感嘆の声を出した。


「いや、本当にすげえな」


 もちろん長さだけはない、高さもある。


 あれを超えた先がルオの国。


 俺の復讐相手、木ノ下が統治する国。


「止まれ!」


 と、号令が聞こえた。


 俺たちはピタリと足を止めた。


 ティンバイが俺たち全員をにらみつけるようにして前に立つ。


「お前ら、よく聞け!」


 その声は静かな荒野によく響いた。


 何千人もの人間がティンバイ一人の声を耳をすまして聞いている。


 しんと静まり返った荒野。


 何千という人々がいるというのに、この静けさはどういうわけか。隣にいる人間の息遣いすら聞こえない。たぶん全員が思っただろう。いま、ティンバイは自分にだけ声をかけているのだ、と。


「これが、最後の戦いだなんてそんな腑抜けたことは言わねえ」


 ティンバイの演説は、そんな言葉から始まった。


「俺たちは戦い続ける。これまでもそうして来たように、これからだって戦い続ける。その道程には大量の死があった。この行く先にも大量の死がある。


 だが、その全ては無駄死にではない。


 その死が明日の民を救うための糧となる。


 仲間の死が、家族の死が、敵の死が、全てこの国のためになってきた。


 そして俺たちはいま、この場所にいる。


 長城を超えればまた戦いがある。これまでとは比べ物にならない戦いだろう。その戦いの中で命を落とすものは数えられないほどいる。


 だが約束しよう。これが、貧乏人たる俺たちが流す最後の血であることを。


 この国の者同士で流し合う最後の血だと!


 戦の果に平和がある、それだけは約束しよう。


 そしてその平和はいつか崩れるときが来るかもしれない。


 だとしても安心しろ、この俺様がいる!


 どれだけ戦乱が起きようと俺様がいる限り民たちには指一本ふれさせねえ!


 俺の名前を言ってみろ!」


 誰かが、


 誰もが、


 叫ぶ。


 ――張作良チャンヅォリャン天白ティンバイ


「そうだ、俺様は張作良天白!


 この東満省の英雄。


 東北王、張作良だ!


 まずは腐敗したルオの国をぶっ潰す。そのあとにグリースだろうがどこだろうが、来るなら来い。全部返り討ちにしてやるさ。


 行くぞ、お前ら、ついてこい!」


 ティンバイの演説はそれで終わりだ。


 ティンバイは派手に馬を反転させると、そのまま全速力で馬を駆けださせた。


 ついてこい、と来たものだ。じつにティンバイらしい。


「はは、行くぞ、シャネル!」


 俺は笑いながら馬の尻に鞭をうつ。


 いつも女を乗せた時しかやる気をださねえ駄馬だが、今日くらいはちゃんとやってもらわなくては。


「ふふんっ、男の世界ってやつね」


 シャネルは呆れ半分、羨ましさ半分といったような色っぽい声をだす。


 馬賊たちが駆けていく。


 ――長城を超えろ!


 駆け出す馬賊の集団に恐れをなしたように、長城の門が開かれた。


 そのさきにはこちら側と同じような平野が広がっている。


 ――長城を超えろ!


 誰がその門を一番に越えるのか、まるで競走のようだ。


 いまのところ、ティンバイが一番門に近い。


 卑怯なやつだ、フライングみたいなもんだ。


 でも負けたくない、俺の駆る馬は速度を上げる。


 ――長城を超えろ!


 誰かが叫ぶ。俺かもしれない。


 俺の馬は他の集団よりも頭一つ抜け出る。


 けれど、それについてくる馬が一騎。ハンチャンだ。さすがは『不死身のマオ』といったところ。


 だけど俺だって負けるわけにはいかない。


 馬は駆ける。もう少しで追いつく、追い越せる。


 しかし、先頭を行くティンバイが「チャー」と、馬に向かって叫ぶ。


 あっ、と思った。


 その瞬間に、ティンバイの馬がさらに加速してみせた。


 理屈なんてまったくない。ただただティンバイは駆け抜けたのだと思う。


 長城を、超えろ。


 俺はティンバイの背中に向かってそう呟くそうに言う。

 

 ティンバイはこの国全ての民を背負っているのだと思う。だというのに、まってく重たさなんて感じさせない。


 やはり彼は英雄なのだ。


 比類なき英雄なのだ。


「長城を超えろ!」と、俺はティンバイの背中を押すように叫んだ。


 たぶん、そんな応援などなくてもティンバイは大丈夫だっただろう。


 だけど俺は叫んでいたのだ。


 俺の叫びは東満省の空に響き、そしてそのまま長城をも越えてルオの国へと届く。それと同時に、ティンバイはいままで誰もやれなかったことをやってみせたのだ。


 その姿を、俺たち馬賊は全員が見ていた。


 俺たちの攬把は英雄なのだと誰もが思いながら。


 先頭を行くティンバイがモーゼルを引き抜いた。そして空たかくかかげて引き金を引く。花火のような魔弾が打ち上がる。


 その弾はルオの青空へと吸い込まれ、いつまでも落ちてくることはなかったのだった。



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