017 クラスメート
夜になり、食事を終えるとシャネルはフミナと共に風呂に行った。そこでフミナに何か悩み事がないか聞き出してくれるそうだ。
裸の付き合いというやつ。
裸……二人の裸のことを想像すると、なんというかこう……興奮する。そりゃあ男の子だから仕方ない仕方ない仕方ない。
「くそ、ちょっと頭でも冷やしてくるか」
用意されているブーツを履く。この屋敷だけなのか、それともこの世界の風俗なのか知らないが、部屋の中では靴を脱ぎ、廊下などでは靴を履く。不思議なものだが、そういうものらしい。
俺は屋敷から出る。このまま外で散歩でもしておこう。そのために剣も持ってきた。
「バウバウ」
パトリシアがよってきた。
「なんだ、ついてくるのか?」
言葉が通じているのか、パトリシアは従順に頷く。
勝手にしろよ、と俺は歩き出す。パトリシアは当然のように俺の隣を歩く。
さて、どこに行こうか。たしか大通りの方には露店がたっていた。夜にもあるのか知らないが、たぶんやっているだろう。お祭りみたいなものだからな、むしろ夜が本番かもしれない。
「大通り……大通り……」
俺が言うと、パトリシアがこっちだとでも言うように先を歩く。
「お前は頭の良い犬だな」
「バウっ!」
「ま、犬なのかよく分かんないけどな」
「バウ?」
パトリシアの案内で大通りまで。思ったとおり活気がある。いろいろな店が建っていた。
「なんでも良いけどお前あれな、スケルトンなのに他の人からなんも思われないのな」
たぶんこの世界じゃあスケルトンくらい普通のものなのだろう。
さて、大通りには目移りしてしまいそうなくらい露店が並んでいる。食べ物から飲み物、それと現代日本の縁日でもよく見かけたような玩具が売っていたり。あとはよく分からない薬、さしずめポーションだろうか? なんだか怪しさ満載だ。
さきほど夜ご飯を食べたばかりなのでお腹はすいていないのだが、こういう場所にいたら無性に何か食べたくなるのは人のサガというやつだろう。
ぶらぶらと歩きながら店を見て回る。しょうじきあんまり美味しそうなものはない。ちょっと気になったのはチーズの店だが、青カビが酷くて食べれたものではなさそうだ。いや、そういうチーズを好きという人もいるんだろうけどね。
「バウバウ!」
パトリシアがある店の前でいかにも物欲しそうに吠えた。
「なんだ、これ食いたいのか?」
それはなんだかよく分からない肉を焼いている店だ。焼いた肉を串に刺して売っている。形としては焼き鳥に近いだろうが、肉の大きさがテニスボールくらいある。それが団子のように3つ、連なっている。
「よし、じゃあこれ食べてみるか。おっちゃん、一つくれ」
「……はあ」
むっ、話しかけたらため息をつかれた。
なんだか感じが悪い。でもパトリシアがどうも欲しくてたまらないようなので、もう一度「おっちゃん!」と声をかける。
「え、あ、ああ! お客さんか。らっしゃい」
店の主人は50がらみの恰幅の良い男だ。いかにも、という感じのねじりはちまきをしている。もしかしたらここは本当に焼き鳥屋なのかもしれない、と思ってしまうくらいだ。
「なんだよおっちゃん、俺のこと気づいてなかったのかよ」
「すまねえなあ……」
「なんだい、悩み事かい?」
まったく、フミナのことと言い、俺はいつから人の悩みに首を突っ込むようなお節介な性格になったのだろうか。確実に異世界に来てからだ。
「まあそんなとこだよ、こんなことお客さんに話しても仕方がないけど」
「そういうなよ、話すだけならタダってもんだぜ」
「そうかい? それじゃあちょいとグチらせてもらうけど、ここんとこ儲かってないんだよ」
「そうなのか」
別に大通りには活気があるし、そこらじゅうで売り買いがかわされている。ある意味立地としては最高だろうに、これで儲かっていないのだろうか?
現に今、俺もこうしてこの妙な焼き鳥モドキを買おうとしているのだ。
「客は入るんだけどな、でも仕入れ値が高すぎてぜんぜん利益にならねえんだよ……」
「へえ。あ、おっちゃん。とりあえず一串ちょうだい」
「あいよ、ありがとよ。15スーだよ」
「えーっと、悪いけどフランで言ってくれないっすか?」
下手な敬語だと自分でも思いながら言う。
「フランで? あんた、よく見りゃあ黒髪か。外国の人だね、そしたら750フランだ」
ほうほう、つまり750円くらい。
まあお祭り価格と考えれば実に妥当な値段である。ということはかなり割増の値段のはずだが、それでも利益にはなっていないのか。
俺は持っていた一エキューを出す。
店主はちょっと嫌そうな顔をして「こんな大金、こんな店で出さないでくれよ」と言う。
「すんません、大きいのしか持ってなかったんですよ」
「お釣りあったかな……? ああ、ありそうだ。はい、お釣り」
ジャラジャラと小銭を渡された。それを無造作にポケットの中へ。
「にしてもこれでおっさんの利益にならないってことは、この肉そうとう良い肉なんだね」
「そりゃあそうよ、なんせジャイアント・ウコッケイの肉だぜ!」
「出たな、ジャイアント・ウコッケイ!」
まあ、ニワトリみたいなもんだからな。
っていうかこれ、鶏肉か。やっぱり焼き鳥じゃねえか。
おそるおそる一口食べてみる。雑な味だ。しょっぱいだけ。ま、こんなもんといえばこんなもんなのだが。
「でもさあ、おっさん。そんなに儲からないなら値段を上げればいいじゃない」
「そうもいかねえよ、いつもこの値段でやってんだ。今から値段をあげりゃあ人が入んねえよ」
「じゃあ他の肉使うとか?」
「そりゃあ食品偽装だ、教会に怒られちまう」
そこんとこはしっかりしてるのね。
「じゃあいっそのこと露店を出すのやめるとかさ」
「それはもっとダメだ」
「なんで?」
「あんた、この露店がなんで出てるか知らねえのか?」
「……えーっと、たしか勇者が来るとかでそのお祝いだろ?」
「なんだ、それは知ってんのかい」
「まあね」
三個ある肉のうち、二つ食べる。「バウバウ!」とパトリシアが騒ぐ。でも無視して最後の一つも食べてやる。意地悪だ。
そしたら足に突進された。いてえ。
「おっちゃん、もう一串」
「あいよ」
「それでさ、お祝いなら良いじゃない」
「ところがどっこい、そうはいかねえ。そもそもこの露店を出させてるのがその勇者様ときた」
「え、どういうこと?」
「つまりよ、当代の勇者様はワガママなお方でな、自分の行く先が活気づいてないと嫌だって言うのさ。盛大にお祝いしてほしいってな」
「なんだそれ、凱旋パレードのつもりか?」
「な、バカバカしいだろ」
酷い勇者もいたもんだぜ。じゃあ周りの露店は出したくもないのに無理してこうやって露店を出しているのか。まあ、たしかに住民からすれば活気があって楽しいけど、やっている方はたまらない、と。
「あ、でもそれなら勇者が来る前の日くらいからこのお祭りを始めれば良いんじゃないの?」
「もちろんそのつもりだったんだよ、俺たちも。けどな、勇者様の到着が遅れて。本当は2日前には来るはずだったんだ」
「ほえー」
つまり俺とシャネルがこの町に入った日だ。
なにかあったのだろうか。まったくマイペースな勇者だ。
「だから俺たちも勇者様が来るまで、連日この露店を開かなくちゃいけないんだ」
「その言い方だと、この町に滞在する間は違うのか?」
「とんでもない! むしろ勇者様が来たらもっと盛大に出し物だのなんだのするさ!」
まるで台風のようなはた迷惑さだ。
たしか勇者が来るのは、この近くのナンタラ山にドラゴンが住み着いて、それを退治するためだとかだよな。さっさと来て倒してくれればいいのにな。
「まったく、このまま勇者様が来なくちゃうちは破産だ……。そもそもドラゴンのせいでここいらの物価が軒並み上がってるんだよ。ジャイアント・ウコッケイなんていつもは使ってないんだ」
「へえ、じゃあいつもはなんの肉なんっすか?」
「普通のスモール・ウコッケイさ」
なんだ、ようするに小さいのを使ってるだけか。でもここいらの物価が上がっている、っていうのは何となく分かる。冒険者ギルドでもモンスターのレベルが上がって仕事がなくなっているわけだしな。
「ま、だいたい分かりました。教えてくれてありがとうございます」
「おう。こっちこそグチ聞かせちまって悪かったな」
「いえいえ」
というわけで、露店から離れる。
にしてもなあ……勇者か。
「なあパトリシア。勇者ってなんだっけか?」
「バウ?」
「ま、俺には関係のない話だな」
パトリシアが肉を欲しがるので串から一つはずしてパトリシアの口の中へ。
嬉しそうに噛むが――そのまま喉を通り骨の隙間から肉は落ちる。
「おい、食えてねえじゃねえか」
「バウバウ!」
もう一つ、とばかりに言ってくる。
「いやいや、お前ぜんぶ出てるし」
しかしどうしても、とパトリシアが言うのでもう一つ。
でもやっぱり骨の隙間からこぼれ落ちた。
「なあ、美味いのか?」
「バウっ!」
分からない。こんな骨だけなのに味覚とかあるのかよ。
なんだかおかしくなって一人と一匹で笑っていると、通りの影から子供が出てきた。みすぼらしい子供だ。たぶん乞食なのだろう。
乞食の子供は素早い動作で地面に落ちた肉をひろうと、脇目も振らずに脇道へと消えていった。
「盗られたな」
「バウ?」
「別に良いか」
いやいや、とパトリシアが首を横に振る。
どうせ食べられないんだからあげればいいだろうと俺は思うのだが。
にしても、こんな奇麗な中世ヨーロッパ風の町でも乞食はいるのだな。貧富の差、光と影、コインの裏表。そんなこと、どの世界にだってあるのだ。
パトリシアが細い通りの方へと歩いていく。
俺は剣に手をかけた。ここから先は治安があまりよろしくなさそうだ。
道の脇にはボロ布があった。いや、違う。それは座り込む人だ。着ている服があまりにボロボロで、人間のように見えないのだ。その人はつらそうに咳をした。危ない咳だ、ともすればそのまま血でも吐き出しそうなくらいの。
ふと、その人と目があった。
男だ……。
その男の目は石ころのように生気がない。
だが、俺の顔を見た途端、その目に力が宿った。よろけて立ち上がり、自分の顔を隠すような仕草をする。
「お前……榎本か?」
「え?」
呆けた瞬間、物陰から子供が群がってきた。その数は5人。その子供たちは俺の持っていた肉を奪おうとしてくる。
俺は面倒だったのでそのまま肉を渡した。すると5人の子供たちはお礼も言わずに去っていった。あとには俺と、パトリシア。そして顔をかくした男だけが残った。
「榎本……だよな」
「あんた、誰だ?」
貧乏が長かったせいで老けて見えるが、たぶん歳のころは30代。もしかしたら40くらいかもしれないが、それくらいだろう。どちらにせよ、俺にそんな知り合いはいない。
どうしてこの男は俺の名前を知っているんだ?
「俺だよ、俺……。日野だ、忘れちまったのか?」
「ひの……?」
誰だよ、と言おうとした刹那、思い出した。
そういえばそんな名前のやつがクラスにいたはずだ。別に友達でもないし、喋ったこともないから忘れてしまっていたが。間違っても友達ではない。知り合いであるかどうかも怪しい。
だが、確実に言えることは一つ。
こいつは俺と同じように、アイラルンによって異世界に送られた人間だ。
「な、何してるんだよ。こんなところで」
俺は思わず言ってしまう。
日野がその顔をあらわにした。
ただれた皮膚……何かの病気だろうか、いや違う。これはたぶん火傷だ。ケロイド状になった皮膚は目を覆いたくなるほどにおぞましい。
「な、なあ。助けてくれ……。なにか恵んでくれよ」
日野は俺に掴みかかろうとするようによってくる。
その不気味さに気圧されて俺は一歩下がる。すると入れ替わるようにパトリシアが前に出てくれた。「バウウッ!」と、威嚇するように日野に吠える。
日野はそれで立ち止まった。そのとき、着ていたボロ布が風でまった。少しだけ中の体が見える。痩せた体だ、これならば骨だけの犬にだって負けるだろう。
「ううっ……」
日野はもう立つ気力もなくしたのか、その場に崩れ落ちた。そのとき、日野が着ていたボロ布がめくりあがった。そこから覗く右手は、肘から先がなくなっていた。片腕なのだ。
「頼むよ……助けてくれよ」
その言葉に、俺の心の中で何かが爆発した。
「――ふざけるな!」
助けてくれだと、ふざけるな。
お前は俺があの5人にイジメられていたときに助けてくれたか? 見て見ぬふりをしていたはずだ。それを今更、助けてくれだと!
「むしが良いのは分かってる……でもお前しか頼れないんだ。助けてくれ、こんな場所で死にたくないよ……帰りたいよ、日本に」
「うるさい! なぜ俺がお前を助けなくちゃいけないんだ! 死ね、ここで死ね! お前は俺が死ぬほどつらい思いをしていたときに何をしてくれた! なにもだ、なにもしちゃくれなかった!」
「……すまない、本当にすまない」
「自業自得だ! 俺はお前のことなんて絶対に助けたりしない!」
俺はこんなやつ構わず、路地裏を出ていく。
きっと日野は極貧の生活をしているのだろう。それで、最後の希望としてちょっとした顔見知りである俺に助けを求めた。ただそれだけだ、もしここにいたのが俺以外のクラスメイトでもこいつはそうしたさ。
「……騙されたんだ、俺は」
背後からかぼそい、そんな声が聞こえた。
だが俺は無視する。絶対に振り返らない。慈悲など無い。
ああ、腹が立つ。
俺の苛立ちを理解しているのか、パトリシアは帰り道で一度も吠えなかった。まったく、利口な犬だよ。一度でも吠えたらうるさいと蹴りつけてやろうと思ったのに。
ああ……本当に、腹が立つ。




