166 それぞれの春――シャネル2
「あ、先生が手つないでるぅ!」
庭に入ると、マセた女の子が目ざとく俺たちを見つけた。
「ええ、つないでるわ」
シャネルは済ました顔で言ってのける。
先程までの緊張なんてなんのそのだ。もしかしたらシャネルもティンバイと似て、誰かが見ていたりすると見栄を張るのかもしれない。
「良いなあ、良いなあ」
「コウラィちゃんも将来良い人見つけると良いわ。シンクみたいに素敵な人をね」
コウラィと呼ばれた女の子は嬉しそうに頷く。
俺たちは四合院の一室――一合という単位で呼ばれる――に入る。そこがシャネルの学校だ。
部屋に入ると、シャネルは名残惜しそうに手を離した。
俺は後ろの方へと行き、腰を下ろす。
「さて、みんな。今日が最後の授業です」
シャネルはスカートの中から杖を取り出して、それをふる。
なんだか先生っぽい。いたよね、そういう指し棒つかう先生。
「みんなとは半年ほどの間、一緒にお勉強してきました。それは私にとって、とても楽しい時間でした。私はみんなにお勉強を教えて、同時にいろいろなことを教えてもらいました。ありがとう」
なんだよ、シャネルも本当に先生みたいなこと言うんだな。
あ、いや。本当に先生なのか。
生徒たちはなんだか涙ぐんでいるようだ。
こういうとき泣くのはたいてい女の子なんだけど、男の子も名残惜しそうだ。ま、男の場合はエロいこと考えてるだけだろ。
良いなあ、あんな巨乳の先生がいれば俺もちゃんと勉強したのにな。
「私が、みんなに初めて教えたドレンスの文字は『愛』というものでした。そしてみなさんからもこの国の言葉で、愛というものを教えてもらいました。
愛……愛には多種多様なものがあります。たとえば生涯の伴侶となる人に対する愛。他にも家族に対する愛。隣人に対する愛。それら全てが愛であり、いうなればこの世界は愛でできているといっても過言ではありません」
……過言だろ。
なんか良いこと言ってるふうだから茶化さないけど、絶対シャネルはそんな愛を振りまいてる人じゃないからな。どちらかといえば偏屈で、自分の愛するものだけをコレクションするような性格だろ。
でも生徒のことは愛していたのかもしれない。もちろん俺に対する愛とは違っているだろうが。
「これから先、みんなの人生にはいろいろなことがあると思います。楽しいこともたくさんあると思いますが、もちろんそれだけではないと思います。辛いこと、悲しいこと、大変なこと、もう嫌になっちゃうこともたくさんあると思います。
けれど、そのときにもし隣に愛する人がいればそれだけで頑張れるはずです。
繰り返し言いますが、愛は多種多様。千差万別。十人十色。様々な愛があり、この世界は愛で溢れています。つまりみんなはどんな困難に対面しても、愛をもって立ち向かっていくことができるはずです。
私はみんなの前途を応援しています。私とみんなは離れ離れになるとしても、この広い世界。空の下では繋がっております。いつまでも、みんなを愛している人がいることを忘れないでください」
シャネルは長々と語ると、授業を始めた。
ゆっくりとした口調で、噛んで含めるようにドレンスの文化を伝えるシャネル。
今日は最終日ということで、どうやらシャネルの大好きな『英雄ガングー』の話しをするつもりらしい。
「ガングーは小さな島、タルパ島で生まれたの――」
ときどき黒板にスペルを書き、ガングーの半生を語るシャネル。
俺も一緒になって聞く。
しかし授業の時間は短く、シャネルの話しはガングーが青年であるところで終わった。たぶん小説にすれば1冊か、よくて2冊くらいだろう。漫画ならば5巻くらいだろうか。
それでも話し終えた時、シャネルは満足そうだった。
「なにもみんなに英雄になって欲しいと言っているんじゃないわ。普通で良いのよ、普通に暮らして普通に死ぬ。それって退屈かもしれないけれど、素晴らしいことだわ――」
まるでシャネルはそれが自分の夢であるかのように語った。
どう見ても普通じゃない女だが、そのじつ心の中では誰よりも平穏な生活に憧れているのかも知れ
ない。
――ふと思う。
もしもこの旅が終われば、俺たちはどうするのだろうか?
しかしそんなことは今はまだ、考えるべきことじゃない。そう思った。
まだまだ終わった先のことを考えるには早いぞ。
「さて、これで授業は終わり。みんなも知っていると思うけれど、これから奉天軍はルオの正規軍と戦争を始めるわ。先生もそれに従軍する。なにせ私の愛する人が副攬把なんていう妙な役職についてるから」
生徒たちが俺を一斉に見る。
その目はどこか不安そうで、俺になにかを言ってほしそうだった。
それを察して、俺はやれやれと立ち上がる。
「心配するなよ、シャネルに傷一つ負わさねえ。それはこの小黒竜が保証するぜ」
わっと歓声があがる。
俺はしょうがないから渋々みんなの期待に答えて言っただけだが。しかし本音でもあった。
なにせ俺が強くなりたかったのはシャネルを守るためなのだから。
俺たちは生徒に見送られて学校を出る。
「じゃあね、みんな」と、手を振るシャネル。
その宝石のような目には、少しだけ涙が浮かんでいた。
「ここにいても、いいんだぞ?」と、俺はイジワルではなくて優しさで言う。
「出会いがあれば別れもあるわ」と、シャネル。
「ふむ」
では俺たちにも別れはあるのだろうか?
と、思ったその瞬間にまた手をつながられる。
「でも、運命の糸で繋がれた私たちは――別れることなんてないわ。ずっと一緒よ」
そう言って小首をかしげるシャネルが、俺は誰よりも愛しくて、思わず抱きしめたのだった。




