163 それぞれの春――ダーシャン
酒場の扉をくぐると、ダーシャンは一人で酒を飲んでいた。
「他の人は?」
「俺だけだよ」
「人望ないなぁ」と、俺はからかうように言う。
席に座ると店主のおやじがすぐに酒をもってきた。注文なんてしなくても勝手に酒が出てくる。俺もいつの間にかここの常連だ。
「みんな、女のところに行ったよ。これが今生の別れになるかもしれねえからな」
「ダーシャンは? いかねえのかよ」
乾いた笑いを浮かべて首を振る。さては振られたな。
「振られちまったよ」
やっぱり。
「ま、気にすんな」
「戦いにな、行くなっていうんだ。危ねえからって。笑えるよな、馬賊が戦わなけりゃ、いったい何をすればいいんだって。そう言ったらよ、私が養うからって――」
「ふむ」
どうもすったもんだの騒動があったらしい。
単純にダーシャンがデブだから振られた、とかそういうわけじゃなさそうだ。
「その人だってダーシャンのことを心配してるんだよ」
「けど、俺だって本当はあの人には体を売るような仕事をやめてほしいんだ。それなのに、私が食い扶持を稼ぐから、だってよ」
「ダーシャンたくさん食べるからね」
「バカ、そういうことじぇねえだろ」
どうやら今日の酒は涙酒のようだ。しょうがない、今日で最後かもしれないんだ。とことんまで付き合ってやろう。
「気にするなって、戦いから無事で帰ってこれば、きっとその人も許してくれるさ」
「……そうかな?」
「そうだよ。だからさ、お前も死なねえようにしなくちゃ。『青龍刀の大山』なんだろ? 女のことで悩むなんてらしくねえよ」
最近では少しだけダーシャンの名前も知れてきている。
これでもティンバイの馬賊ではかなりの古株なのだ。
「ああ、そうだな! 俺は生きて帰るぞ、そしてあの人を迎えに行くんだ!」
「ハオ! その意気だぜ。そしたらお前、絶対に喜んでもらえるよ」
「おうよ!」
これで辛気臭いのは終わりだ、とダーシャンはがははと豪快に笑う。
本当はまだ悩んでいても、次に進まなければならない。戦場に立つのならば、そういった悩みは迷いとなって足元をすくう。そうなれば待っているのは死だけだ。
ダーシャンだって長い馬賊生活の中でそんなこと分かっているんだ。
「それにしても、とうとう春か」
と、俺はいう。
「いつの間にかこんな場所まで来ちまったな。お前、覚えているか? 最初に俺たちが会った日のこと」
「なんだか気色わりいね」
まるで恋人との会話のようだ。
ま、もちろん覚えてるけどね。
そう、ダーシャンと俺が初めて会ったのは俺がまだ師匠のもとで修行に明け暮れている時期だった。水を買いに行って、街で絡まれたのだ。
――師匠はあれからずっと目を覚ましていない。眠り姫、といえばきれいなものだが、実際はよぼよぼのジジイだ。このまま衰弱死するかもしれない、と医者はずっと言っている。
「あの頃からずっと遠くまできたよな」
「そうだな」
あの頃のティンバイの手下は3000人とも5000人とも言われていた。それでも東満省きっての大馬賊だというのに、いまでは兵力だけで2万をくだらないと言われている。
これはまさしく本物の軍隊なのだ。
「俺たちは奉天軍なんて呼ばれちゃいるが、実際はまだ馬賊だ」
「そうだな」
「馬賊には馬賊のやり方がある。攬把はもちろん分かっていると思うけど、でもそれは危険な戦いを正規の軍隊相手にやるってことだ」
「ティンバイの場合、やってるのは戦争じゃなくてケンカだからな」
「ケンカか、そりゃあ良い言い方だな」
ケンカならティンバイは負けない。
「攬把は、本物の馬賊だ」
「そうだな」
「ハンチャンだってそうだ」
「ああ」
「それにシンク、お前もだ」
「俺も?」
そうかな、そんな気はしないけど。
そもそも本物の馬賊ってなんだよ。ダーシャンは偽物なのかよ。
「それに比べて俺はさ……なさけねえよ。最後の最後まで女のことで悩んでさ。バカバカしい」
「そう言うなよ。お前、けっこう飲んでるだろ? 酔っぱらいの戯言だぜ」
「本音だよ、本心から言ってるんだ。この前の戦い、お前たちはすごかった。でも俺はまったく活躍しなかった。違うか?」
「そうかなあ? お前の投げた青龍刀のおかげで助かったと思うけど」
「あんなのたまたまさ、たまたま」
ダーシャンはテーブルの上に自分のモーゼルを置いた。
ゴトリ、という鈍い音がする。
どうやら弾は入っているようだ。
「なんだよ」
「覚えてるだろ、お前が初めてこの場所に来た時だ」
「ああ、たしか入隊のテストとか言われてモーゼルを撃たれたんだよな。あれはいまにして思っても無茶苦茶だぜ」
「なにを言う、あれはれっきとした馬賊のテストだ。もっとも、最近じゃあやるやつはいねえがな。みんなビビっちまうんだよ。でもな、シンクよう。俺たち馬賊には言い伝えがある。真の義賊に弾は当たらないってな」
「聞いたことあるな」
「つまりこのテストはもともと、真の義賊かどうかを調べるためのもんだったってわけだ」
ダーシャンはどこか自虐的に笑う。
そして、何をするかと思えば俺の手にモーゼル拳銃を握らせた。
「撃ってみろよ、シンク」
「酔ってるな」
「良いから撃てよ。そうしてもらえなきゃ、俺は自分が本当に馬賊なのかどうかも分からねえんだよ」
「しょうがないなあ」
ま、適当に外して撃てば良いか。
ここじゃなんだから、と俺たちは外に出る。
向かう先はかつて俺が撃たれた場所と同じ。
俺は冗談めかしてダーシャンにいろいろと話しをふるが、ダーシャンは黙ったままであるき続ける。やがて俺も無言になった。
本気か? と正直思うのだが、どうやらダーシャンはマジらしい。
酔っているだけかと思うが、そういうわけでもないらしい。
たぶんダーシャンは本気で悩んでいたのだ。
女のこともそうだろうし、馬賊としての自分もそうだ。
それら全てに決着をつけようと、こうしてモーゼルを俺に握らせたのだ。
「ついた、な」
と、俺は言う。
奉天の隅。
薄汚れたスラム街のような場所。
一本の木の前にダーシャンは立つ。
「こうして俺を撃つのがお前で良かったよ、シンク」
「ふん、意趣返ししてやるよ」
俺はモーゼルを構える。
ダーシャンは真剣な顔をした。
「当てるつもりでやれよ」
と、まるで俺を睨むように言う。
ふと、その眼差しがティンバイのものによく似ているように見えた。
その瞬間、俺は本気で弾を当てようと思った。
そうしなければいけない気がしたのだ。そうだ、それは言ってしまえば俺の第六感が告げていた。
ここでわざと弾を外すようなことをすれば、この先ダーシャンはずっと俺を許してくれないだろうし、それに自分のことだって許すことはできないだろう。
「あばよ」
俺はモーゼルの撃鉄をおこし、引き金をひいた――。
ダーシャンはいっさいまばたきをしなかった。
微動だにもしなかった。
ずっと、俺のことをにらみ続けた。
そして、俺が撃った弾は――。
――でダーシャンをすり抜けたようだった。
いや、銃弾が人をすり抜けるなどとそんなことがあるわけない。
俺の放った弾はダーシャンに当たらなかったのだ。
「本気で撃ったか?」と、ダーシャンは聞く。
俺は笑った。
「当たり前だろ」
というか、撃った俺すら驚いていた。
まさか外すとはな。
いままで百発百中だったんだけど――もっともモーゼルなんてあまり撃ったことはないが。けれど『武芸百般EX』のスキルがあるんだ。普通なら目をつぶって撃ってもあたるはずなのに。
「ハオだぜ、ハオ」と、俺はダーシャンをねぎらう。
これで間違いない、ダーシャンは真の馬賊だ。
「当たらなかったぜ」と、ダーシャンは呟くように言う。
「そうだな、俺が承認だ」
「当たらなかったぜ!」
「お前こそ真の馬賊だよ」
「よっしゃあ、これから飲もう。もっと飲もう。どんどん飲もう!」
「ほどほどにしておけよ」
と、言いながらも俺もやぶさかではなかった。
ちなみに、やぶさかではないって惜しまないって意味らしいよ。この前、シャネルが言ってた。
「俺は馬賊だっ!」
ダーシャンの叫びは夜の街にこだますようだった。




