162 それぞれの春――ハンチャン2
こうなればもう、なりふりかまっていられない。
「探すって言っても、もう手がかりなんてねえよ」
「ちょっと、ちょっと待って。奥の手つかうから、最終手段つかうから!」
「最終手段?」
そもそも俺は運のない男だ。闇雲に探したところで見つかるわけがねえ。
ならばどうするか。
簡単だ、他人様の力を借りればいい。
たとえばそう――女神とかな。
俺がそう思った瞬間、呼びもしないのにアイラルンは街角に立っていた。
「朋輩、やっとわたくしを頼ってくださりましたね」
時間は止まっている。
「なあ、アイラルン。助けてくれ」
「ふふ、よろしいですよ。というより元よりそのつもりでした。約束したでしょう? あの女の子は幸せになる。母親の病気は治って、父親は長い馬賊生活から帰ってくる」
「そういえばそんなこと言ってたな」
「ですので朋輩、私は無条件で手助けしますよ。時間を動かしますわ、そしたらわたくしについてきてくださいまし」
「ああ、ありがとう」
「人間、不幸になるより幸福になるほうがいいでしょう?」
その言葉は、どこか自虐的な響きがあった。
時間が動き出す。
「最終手段ってなんだ?」と、ハンチャンが聞いてくる。
「山勘さ」と、俺は適当に言う。
アイラルンが手招きしているので、そちらについていく。
「な、なあシンク。そんなので大丈夫なのかよ」
「どうせ手がかりはないいんだろ、ダメ元でついてきてくれよ」
「それもそうか」
納得したハンチャンは俺についてきてくれる。厳密にはアイラルンに、だが。
アイラルンは迷路のような道を迷いなく進んでいく。細い金髪が揺れて、俺たちを導いてくれる。
なんだか薄暗い路地裏でアイラルンの体だけは清らかに光っているように見えた。
しばらく進むと、アイラルンは一軒のボロ屋の前で立ち止まった。
「それでは朋輩、バイバイですわ」
冗談めかすようにアイラルンは手を振ると、一瞬で消えてしまった。
「というわけで、到着だ」
俺はハンチャンに言う。
「ここ、なのか?」
疑うように俺を見るハンチャン。まあ当然だ。ハンチャンにはアイラルンのことは見えていないからな。
「女神様が言ってくれたんだよ、大丈夫さ」
「なんだシンク、変な宗教にでもかぶれたか?」
「ま、そう言いなさんな」
たしかにいきなり女神がうんぬんとか言い出したらやばいやつだけどね。
俺はドアをノックする。
ノックしてから、知らない人が出てきたら恥ずかしいなと思いドアの前から離れる。ハンチャンにバトンタッチだ。
「はい、誰ですか?」
扉は開けられず、中から声がした。
その声を聞いた瞬間、ハンチャンは驚いたような顔をする。
俺を見るハンチャン。
どんなもんだい、と俺は下手くそなウインクを返す。
「ああ、ああ……。俺の娘の声だ」
「分かったじゃないか、ほら。声をかけてやれよ」
「ああ。俺だよ、ハンチャンだ」
「ハンチャン? ……お父さん? うそ……」
「本当だよ、お父さんだ。開けてくれ」
扉はゆっくりと、恐る恐る開けられた。
出てきたのはあの日俺が見た少女だった。やはりハンチャンの娘だったのだ。
「パアパア!」
娘はハンチャンに抱きつく。
ハンチャンも膝を曲げてそれに答えた。
俺はそれを少し離れた場所で見ている。
なんだよ、大丈夫だったじゃないか。声だけでも娘のことはきちんとわかったし、それに娘のほうもハンチャンのことを一瞬で見抜いた。
親子っていうのは長いあいだ離れ離れになっていても、心のどこかで繋がっているものなのかもしれない。
「あなた?」
奥から、痩せ細った女性が出てきた。見るからに病み上がり。頬はこけ、体はごぼうのようで、肌は病的に白い。
たぶんずっと寝たきりだったのだろう。
「ああ、おまえ。いま帰ったぞ」
ハンチャンの目からは涙が出ていた。
「あなた、生きていたのね」
そして、ハンチャンの奥さんはもっともっと泣いていた。
俺はその光景を見て胸がつぶれるような思いをする。
家族が再開する、それはなんて素晴らしいことなのだろうか。ハンチャンはこれまでずっと、自分の家族は死んでいると思っていた。それで、自分も死のうとすら思っていた。
いまきっと彼は死ななくて良かったと心底思っているだろう。
かつて『死にたがりの毛』だった男は、不死身となりこの場所まで来られたのだ。
「悪かった、お前たちにはつらい思いをさせた」
「いいのよ……私たちもあなたが死んだと思っていて」
「生きていたさ。俺は『不死身の毛』だぞ。お前たちのために生きていたに決まっているだろう。あのな、いまは張攬把のもとにいるんだ」
「張天白の! そりゃ、あんた、すごい出世だよ」
「そうさ、大出世だ。お前たちには苦労をかけたけど、これからはもう大丈夫だ。一緒に暮らそう」
ここからは家族の時間だ。俺はクールにさろうと踵を返す。
「あ、あの。お兄さん!」
ハンチャンの娘が声をかけてくる。
「なんだい?」
俺は振り返る。
「あの、ずっと前に私のこと助けてくれましたよね。お母さん、この人よ。薬のお金をくれた人」
「ええっ、あなたが? ありがとうございます」
「シンク、なんのことだ?」
「さあ、知らねえよ。それよりハンチャン、良かったな。あとは家族水入らずでやりな。……なんなら、今度の戦争だって来ないほうが良いかもな」
驚くことに、もう虫の知らせは感じない。
もしかしたら、ここで娘たちと会えるかどうかがハンチャンの生死の分かれ道だったのかもしれない。
たとえばこれがゲームのようなものならば、俺は選択肢をきちんと選べたというわけだ。
「バカ言うなよ、いくさ」
「そうか」
意思は固いようだ。そもそも俺たちは馬賊だ。馬賊は民のために戦うものだ、止めたって無駄なことは分かっていた。
「シンク、ダーシャンのところで飲むんだろ? 俺もあとで行くぞ」
「なに言ってんだよ、お前は今日ここにいろ」
来たら殴るからな、と俺は手を振り上げる。
「ああ、わかったよ」
「じゃあな、また!」
俺はゆうゆうと歩いていく。
良いことをしたな、気分が良い。
ハンチャン一家は俺がいなくなるまでずっと家の前で見ていたようだった。きっと俺がいなくなってから、積もる話もあるだろう。
「いやはや朋輩、本当にあなた様は素敵な人ですね」
アイラルンがいきなりまた現れる。
「だろう?」
「そういうところ、大好きですわ」
「もっと言ってくれ、もっと褒めてくれ」
「ここからは有料でしてよ?」
俺はひとしきり笑う。
そして、アイラルンに聞く。
「なあ、ハンチャンは幸せになるよな」
「とうぜんです。この因業の女神におまかせください」
……なんでもいいけどさ、因業ってどういう意味だ?
よく知らないままここまで来たけど。
でもまあ、今回もアイラルンを信じるとしましょうか。
俺は春めいてきた夜風を受けながら、酒でも飲もうかしらん、と歩くのだった。




