159 スーアの部屋
うーむ、相変わらず見栄えのない部屋。――見栄えって言うか? インスタばえしそうにない部屋って言ったほうが良いかもな。
とにかくものが極端に少ない。
鳳凰市に住んでいるときもそうだったけど、スーアちゃんはミニマリストというやつなのだろうか。とにかく物を持たない主義。
でも小鳥は好きなのだろうか、部屋のすみには鳥かごがあった。
ルオの人間はけっこう鳥が好きみたいで、街でも鳥売りのおじさんが歩いているくらいだ。おそらくペットとしてはもっともポピュラーだろう。
「あの、お茶をお出しします」
「あ、お構いなく」
と言ったのだが、スーアちゃんはお茶の用意を始める。
たたきにあるかまどにもうお湯が用意されているのだ。ここらへんはどこの家でも同じようなものなのだろう。
お茶を入れてくれているスーアちゃんの小さな背中を見て、俺は可愛らしいなあと思う。
このまま後ろから抱きしめたら壊れてしまいそうなくらい華奢だ。
長い奇麗な髪を少しだけ子供っぽいツインテールで結んでいる。
シャネルにもらった青いロリィタドレスがそうとうお気に入りなのか、今日もそれを着ていた。というかよく着ている。
体型という意味でいえば、シャネルよりもロリィタファッションが似合うかもしれない。
「どうぞ、シンクさん」
「ありがとう」
一口飲む。
うーむ、すばらしく水っぽい味のお茶だ。ま、お茶なんてたいていこんなもんだ。
スーアちゃんはそそくさと文机の上に広げていた紙をたたみだす。
「それ、なに書いてたの?」
「あの……これは」
「またお仕事? 悪いやつだよな、ティンバイは。こんな小さな子に事務仕事はたいていふるんだから」
そうなのだ、スーアちゃんは俺たち馬賊の何でも屋で、とにかくいろいろな仕事をさせられている。頭を使う仕事や、文字を書く仕事はたいていスーアちゃんがやっているのだ。
「馬賊の人たちはいろいろなものをどんぶり勘定でやっていますから、だれかがきちんとまとめないと」
馬賊と言っても独立宣言からこっち、東満省じゅうの有力者や匪賊、はては正規軍までもがティンバイに恭順の意を示している。
俺たちはもはや馬賊というよりも奉天軍と呼ばれることのほうが多くなっていた。
それでも根っこの部分ではいまだに馬賊なのだろうと、ティンバイを見ていれば思う。部下がどれほど増えようと、戦場において真っ先に馬を駆けさせるのはあの男だ。
「偉いなあ、スーアちゃんは」
「えへへ」
照れている様子も可愛い。
俺は思わずスーアちゃんを抱きしめてやりたくなるが、それは浮気ってもんだからなんとかこらえる。
というかやっぱりあれね、女の子と二人っきりってドキドキするね。
「それで、それなに書いてたの?」
やっぱり気になるので聞いてみる。
「ちょっとしたものですよ」
「ふうん」
と言いながら、ちょっと覗き込む。
どうやら東満省の地図らしい。
「あ、ダメですよ」
「なにこれ、地図?」
「……はい」
スーアちゃんは恥ずかしそうに頷く。
こういうおどおどした子ってあれよね、こうやってからかうと楽しいかも。あ、いや、べつにイジメとかじゃないよ。
本当に嫌そうだったらやめるさ。
でもスーアちゃんがなんやかんやで見てもらいたそうだったから。
地図にはよく分からない線が書かれていた。等高線だろうか、いや違う。東満省は平野ばかりが連なる不毛の地だ。こんなふうに線が書かれるほどに山はない。
血管のように伸びた線。
まるでそう、路線図のように……。
「シンクさん、鉄道って知ってますか?」
「そりゃあね」
俺はむしろスーアちゃんが知っていることに驚く。
これはまさか、本当に路線図なのだろうか。
「ご存知でしたか? グリースで最近できたって話ですけど。ドレンスの人たちはもしかして知ってるんですね、もしかしてもう走ってるんですか?」
「まさか」
「そうでよね。巨大な鉄の塊を魔石を使って動かすだなんて、想像もできません」
「石炭じゃないの?」
鉄道っていえば石炭なイメージだけど。
「それは補助として使うらしいです。石炭の火力だけで鉄の塊は動かせませんって」
「ふむ」
どうやらこの世界では効率よく石炭をエネルギーに変える方法が確立されていないようだ。
あーあ、こんなことならあっちの世界で鉄道の勉強でもしておくんだった。ボイラーでも作れれば大金持ちだったかもしれないのに。
しかし魔石も使う、となればそれはハイブリッドということだろうか。むしろ俺のいた世界の鉄道よりも性能は良かったりして。
「私、楽しみにしてるんです。もしもこれがルオの国にできればきっとこの国はもっと栄えます」
「そうだね」
「国中を鉄道でつなげれば、いままでとは比べ物にならないほどに物資の運搬も簡単にできて、そうすれば、貧乏をする人だって減るはずです」
「なるさ、きっとね」
てきとうなことを言っている。
けれど、そうなれば良いと思っているのは本当だ。
「でも、こんなのは夢ですけれど」
俺はスーアちゃんの頭を撫でる。
スーアちゃんは一瞬驚いた顔をしたが、なにも言わずに嬉しそうに目を細めた。
「キミは偉いな。俺は戦争のことしか考えていなかったのに、スーアちゃんはもう未来のことを考えてるんだ」
「そんな、私はただ……こうなったら良いなって」
「だからそれが偉いのさ」
「でもこうなるにはまず国が平和になれなくてはいけないです」
「ああ、任せておけよ。俺たちは勝つさ。そうすりゃ、きっと幸せな未来が来るぜ」
はい、とスーアちゃんは頷いた。
それからしばらく俺たちは鉄道について話をした。俺の知識はあちらの世界のものだったから、この異世界のものとはだいぶ違う。
だからか、スーアちゃんは俺の話をずいぶんと面白そうに聞いてくれた。
どれくらい時間がたっただろうか。お茶を何度か飲み干して、そろそろお腹が空いてきたなという時間だった。トントン、と扉がノックされる。
「誰でしょう?」
「誰かな、俺が出ようか?」
「あ、お願いします」
こういうときは男のほうがいいだろうな。どんな人が来たか分からないから。
「はーい、誰ですか?」
扉の鍵を開けた途端、シャネルが入ってきた。
「――ごきげんよう、シンク」
あれ、シャネルさんどこか怒ってらっしゃる?
「お、起きたの? ずいぶんと早いね」
いや、本当に。まだ一時間もたってないと思うけど。
「おかげ様でね、よく眠れたわ」
本当だろうか?
しょうじき外見からは判断ができないが、シャネルがそう言うなら信じるしかないだろう。
「でも、どうして俺がここにいるって分かったの?」
「声が聞こえてたのよ」
あ、そうか。
長屋だからな、隣の部屋の声ってわりと筒抜けなんだよな。壁薄いからな、ここ。
だからエロいことするのも大変だぜ。
したことないけど。
「シャネルさん、おはようございます」
「ええ、おはよう」
なんだかこの二人は姉妹のように仲良しだ。たぶん服装のセンスが似ているからだろう。
「今日も素敵なお洋服です」
「あら、ありがとう」
おや? 顔からけんが消えた。たぶんシャネルの場合は服さえ褒めておけば良いのだ。俺もこんどやってみよう。
シャネルはまるで我が家のようにスーアちゃんの家に上がり込む。
遠慮というものを知らないのだ。
俺たちは三人でお茶を飲む。こんなに飲んだらトイレしたくなりそうだけど、まあいいや。
「そろそろお昼ね」と、シャネル。
「なにか……食べに行きます?」
「それが良い、なんかてきとうな中華料理でも食べに行こうぜ」
「なんでもいいけど、この国の料理ってどうしてあんなにドロドロしてるものが多いのかしら?」
俺からしてみればどうしてドレンスの料理ってのはあんなお洒落なだけで味が薄いんだろうか。上品な味、と言い換えてもいいけど。
ま、俺からすればどっちも美味しいから良いんだけど。
なんて思っていると、ドンドンと扉が乱暴に叩かれた。
「今日は千客万来です」と、スーアちゃんは困ったように言う。
「誰かしら」
シャネルがこちらを見る。はいはい、と俺は立ち上がる。やっぱり俺が出ることになる。
知らない人だったら嫌だな、俺ってば人見知りだから。
「はーい、誰ですか?」
しかし扉を開けた先にいたのは知り合いだった。
それもかなりよく知ってる人。
「なんだ兄弟、こっちにいたのか」
ティンバイだ。
いつもの三白眼で、俺のことを睨むように見ている。でもこれは別に怒っているわけではなくて、こいつの普通の表情なのだ。
「なんだよティンバイ、いきなり」
「ま、なんにせよ入れてくれや。土産もあるぞ」
そういうティンバイの手には、山盛りの饅頭が入った紙袋があった。




