157 ティンバイの確認
とうぜんのようにその夜は宴会が行われた。
いやはや、酒がでるわでるわ。村の人たちが全員集まって俺たちに感謝しているのだ。なんだか王様にでもなった気分。
人に感謝されるのって気持ちが良い。
「正月が終わりゃあ、この村に何人か人をやる。そうすりゃあうかつには攻められねえだろう。それに、おおかたこれでこりただろうさ」
馬賊は受けた恩を忘れないものだが、逆に仇であれば何倍にもして返す。だから普通、馬賊が守っている村というのは他の馬賊からも攻められないものだ。
もっとも、木ノ下に対してそういった馬賊の常識がどれくらい通用するだろうか。
もしかしたらまた敵が攻めてくるかもしれなかった。
――だとしても大丈夫さ。
なんて、ティンバイは無責任に言うけれど。
まったくこいつのこの自信は見習いたいものだ。
さて、宴もたけなわ。
たけなわってなんだ? いつだったかフウさんに聞いたけど知らないと言われたんだよな。
なんにせよたけなわである。
ダーシャンなんて酔いつぶれて寝ている。ぶよぶよの腹はまるでベッドみたいだ。
「おい、部屋に戻るぞ」
ハンチャンが腹を蹴っているがまったく動かない。
「シンク、私たちも寝ましょうか」
シャネルは俺よりもっと酒を飲んだはずなのにけろりとしている。いや、心なしかいつもより色っぽいか? 俺がただアルコールを飲んで発情しているだけという可能性もある。
「うん、寝よっか」
そしてあわよくば二人でベッドイン!
はっはっは、そのためにシャネルにはたくさん酒を飲んでもらったのだ。
ま、先に酔いつぶれるのは俺になりそうだが。
ふらり、と俺は立ち上がる。
ふいに、後ろからティンバイに呼ばれた。
「おい――兄弟」
とうぜんのごとくティンバイは酒を飲んでいないのでシラフだ。
「なんだ?」
「ちょっとツラかせや」
「えー」
これもしかしてあれでしょうか、カツアゲでしょうか?
いやだなあ、不良だなあ、怖いなぁって思ってたんですよ。(稲川淳二風)
「ダメよ、シンクはいまから寝るんだから」
「べつにおたくらの愛の確認を邪魔するようなつもりはねえよ」だが、とティンバイは続ける。
「俺様にだって都合ってもんがある」
「こっちの都合も考えてほしいのだわ」
どうする、とシャネルはこちらを見る。
俺はその目に見とれる。
「おい、兄弟」
しかしそんな俺の素敵タイムをティンバイが邪魔をする。
「はいはい、行くよ。行けばいいんだろ」
「で、こんな夜にどこ行くの?」
どうやらシャネルもついてくるようだ。
「うん? いやあな――」
歩くティンバイは彼には似合わず、どこか口ごもっている。
向かったのはの神社のような建物。中には『昔日の大鏡』という、自分の見たい相手のことが見られるマジックアイテムがある。
なんでもいいけどあの鏡、プライバシーとか考えてんのか? ま、それを言うのは野暮ってもんか。
「なんだよティンバイ、けっきょくお前もこれ気になるのか」
「別に気になりはしねえ。ただ一つだけ、どうしても確認しておかなくちゃいけねえことがあるんだ」
「――確認?」
「あきれた、男の人たちって揃いも揃って過去になんて興味があるのね。言っておくけど、私はこんなものを視るべきじゃないと思うわよ。思い出に縛られるなんてバカみたい。昨日と明日、どちらが大切かなんて考えれば誰でも分かることだわ」
そこまでボロクソに言われると、むしろシャネルが過去にとらわれているのではないかとすら思うのだが……。
まあいい。あまり触れないでおこう。
人間、ふれられたくない過去くらいあるさ。俺にだってある、それもたくさん。
たとえばそう――中学生の頃!
いまでも思い出すと赤面ものだ。中二病って、怖いよな。
そう、あの頃の俺は若かったのだ。
なんせ一人称が「あちき」だったんだから。いや、でもあれよ? 本当に一時期だけよ。ほら、「僕」って自分のこと言う女の子いるだろ。あんな感じである。
「別にあんたに見てもらおうとは思ってねえよ、いくぞ兄弟」
「あちきも?」
と、冗談めかして言ってみる。
「てめえは見なくちゃならねえんだよ」
なんで?
でもまあ、誘われたのでのこのこと一緒に神社の中へと入る。
ティンバイは鏡の前に立つと、まずこちらを見た。
「ここで兄弟が見ることは、誰にも言うなよ」
「まあ良いけど」
でも大丈夫かな、俺けっこう口かるいほうだしな。
とはいえティンバイは真剣な目をしている。こういうのを男と男の約束というのだろう、俺は絶対に誰にも言わない、と心に誓う。
「俺様は、確認しなくちゃならねえ」
ティンバイが大きな鏡を覗き込む。
すると、浮かび上がる景色があった。
黄金の稲穂が揺れている。
子供の背ほどある稲穂はたっぷりと実りをたくわえて、いまにもこぼれ落ちそうだ。
その稲穂の間を駆けている子供が二人――。
生意気そうな顔をした男の子と、
優しげな顔をした女の子。
「これ、もしかして」
ああ、とティンバイは頷く。
三白眼はいまとはまったく変わらないが、子供の頃のティンバイの片耳はちぎれていない。それにいまよりもかなり身長が低い。当然だが。
そしてもう一人は……リンシャンさんだろう。
「北大荒にも一度だけ、こういうことがあったんだ……」
「こういうこと?」
「いつもは不毛な大地だってのに、この年だけは不思議なくらいに稲が実った。俺様の親が死んだ、その次の年さ。まったく運のねえやつはダメだな。あと一年生きりゃあ、その先十年も生きられたかもしれねえのによ」
悪態をつくが、しかしティンバイはどこか悲しそうだった。
駆けていく二人の子供はいかにも無邪気で楽しそうだ。
その二人を見て、ティンバイの目には少しだけ涙が浮かんだように思えた。けれどそれは俺の気のせいかも知れない。だって英雄が、俺たちの攬把が昔の思い出を見て泣くはずがないからだ。
「もうやめよう、兄弟」
と、ティンバイはどこか満足したように言う。
この鏡にリンシャンさんが映るということは、彼女はもう死んでいるのだろう。
「これはお前の思い出なんだろ?」
もう少し見ていけばいいのに、と思いながら俺は言う。
「俺様にだって思い出したくないことくらいある」
そうだな、と俺は頷く。
しかし、俺たちが出ていこうとする瞬間、鏡に映る景色が変化した。
幼い頃のティンバイが、兵隊に取り押さえられている。
『待てよ!』と、大声で叫んでいる。
泣きわめき、しかしなにも変わらないことに無力感を覚え、それでも必死で兵隊を睨んでいる。
『待てよ、連れて行くな! その子を連れて行くな!』
ティンバイが唇を強く噛んだ。
その次の瞬間、目にも留まらぬ速さでモーゼルを抜いた。
「落ちつけ、やめろ! 早まるな!」
俺はティンバイを止めようと声を出す。
だが、ティンバイが本当に撃つつもりならば俺の静止など意味をなさなかっただろう。
ティンバイはモーゼルを抜き放ったまま、鏡を睨んでいる。
鏡の中にはリンシャンさんが映っている。
『大丈夫よ、私は平気だから。だからね、ティンバイが心配しなくてもいいの。私のことなんて忘れちゃって。こんな酷い私のことなんて。
私はね――幸せだから。
きっとこれからもっと幸せになるの。パアパアとマアマアと別れても、私は幸せ。二人にもお金が入って――それで、それで』
鏡の中のリンシャンさんは微笑んでいる。
しかしその目には、大粒の涙が浮かんでいた。
『ティンバイ、ごめんね。約束……守れなくてごめんね。ずっと一緒にいようって言ったのに。嘘つきの私のことなんて忘れて。それで、ティンバイは幸せになって』
でももし、とリンシャンさんは続ける。
『覚えていてくれるなら、嬉しいの。私のこと、嫌っていても、恨んでいても、愛していなくても、覚えていてくれたら嬉しいわ』
リンシャンさんは兵隊に連れて行かれる。
ティンバイは、地面に突っ伏して力まかせに床を叩いた。
「クソがぁっ!」
その目からは涙がこぼれた。
俺はそれを見ないように顔をそむけ。
「あいつは知っていたんだ! 宮中に行った人間がどうなるか、どうせ死ぬって知っていたんだ! だっていうのに、自分一人を犠牲にして行きやがった!」
「ティンバイ……」
俺には慰める言葉がない。
また、鏡の中の景色が変わった。
それはいったいどこだろうか……暗い、暗い部屋だ。
その暗い部屋の中心に、とぐろを巻くようにして一匹の龍が眠っている。
本当に眠っているのだろうか、死んでいるようにも見える。
「リンシャン……」
と、ティンバイはつぶやいた。
「やめよう」と、俺は言う。
「やっぱり……リンシャンだったのか……」
ティンバイが確認したかったことはこれなのだと、俺は察した。
リンシャンさんは死んでいるのだろうか、生きているのだろうか。それはおそらく微妙なところなのだろう。色でいえばグレーゾーン。
だからこそ、鏡は過去と現在をどちらも映したのだ。
なんて気の利く鏡だろうか。残酷なまでに……。
ティンバイでなくても俺がこの鏡を壊してやろうかと思ったくらいだ。
しかしティンバイはあんな映像を見せられても鏡を割らなかった。
ハンチャンのようにこの鏡のおかげで救われる存在もいるのだと知っているからだ。
「でるぞ、兄弟。もう十分だ」
「ああ、そうだな」
外ではシャネルが待っていた。
終わったの? と、俺たちを見てくる。
「あんたの言う通りだったよ」と、ティンバイは忌々しげに言う。「こんなもん、見るべきじゃなかった」
「でしょうね」と、シャネルは冷たく答えた。
いつだってシャネルは俺意外の男に冷たい。
けれどそんなシャネルが、少しだけ憐れむようにティンバイを見ていた。たぶん声が聞こえていて状況を理解したのだろう。
「俺様はもう寝る」
と、ティンバイは歩いていく。
その背中は寂しそうだった。
ひとりぼっちの英雄。
民の期待を一身に背負って戦い続ける。
人前で泣くことすら許されない。
そんな男のことを俺は格好良いと思うのだった。




