156 水の教え
――いた。
俺の眼前、木々の間に身を隠すようにして一心不乱に魔片をあぶりその煙を吸っている男が一人。
この国で文化人がよく着る長袍とよばれる服を着ている。いかにもゴテゴテとした装飾があり、どちらかといえばセンスがない。下品といえるだろう。
男はまったくこちらに気づかずに魔片を吸い続ける。
魔片というのがポーションの原料ならば、ああすることで酩酊効果の他に魔力の回復などができるのだろう。こんな森の中で魔片を吸っている。薬中ならばそんな七面倒なことはしない。
つまり十中八九、あの男こそが巨人を操っていた魔法使い。
まさか一人とは。
シャネルは複数人だろうと言っていたが。
ネズミのように背を丸め、ともすれば浮浪者のようにも見える男。この男がそうとうな実力の魔法使いとは思えないが――。
だが、いまはそんなことを考えている暇はない。
俺は剣を抜く。
そして、踏み込めば相手の素っ首を落とせる位置にまで近づく。
男が顔をあげた。
「――なっ!」
やっと気づいたらしい。
男が何かを叫ぼうとして口を開けた。
だが、その瞬間には俺は男の首を胴体から切り離している。
手応えのない敵だった。
ゴロン、と転がった男の首を見て、俺は不思議に思う。どこか中性的な顔だ。といってもそれは褒め言葉ではない。
起伏のない能面のような顔。
たぶんこいつは宦官だ。皇帝に仕えるために去勢した召使い。
まったく、男を捨ててまで木ノ下につかえて、それで人生の最後がこんな暗い森の中。哀れに思わないと言えば嘘になる
俺は義理で手だけは合わせる。
だが、それが隙となったか。
それを狙ったように背後から殺気を感じた。
俺は横に飛ぶ。
――風切り音。
三日月のように曲がった剣が、回転しながら飛んでくる。その曲刀は宦官の男の体を真っ二つにした。
あぶなかった、反応があと一歩遅れていれば真っ二つになっていたのは俺だ。
いや、『5銭の力』でなんとでもなったか?
しかしたかが回転して投げられた剣で人をバターのように真っ二つ。どれほどの威力か想像もできない。俺は筋力が足らなくて同じことはできないだろう。
「ほう、避けたか。運が良いな」
男が出てくる。
その瞬間、俺の心は氷のように冷たくなる。
男――それは俺の兄弟子である王だった。
「わるいな、運はないほうなんだ。だから今のは実力さ」
「その実力、どれほどのものか」
王はくっくっと笑う。背中には前回と同じように無数の武器が背負われている。
「この弁慶野郎が」
独り言だ。べつに王に言ったわけではない。
「約束通りだな、戦場で会った」
俺は無視する。
あいかわらず戦いの最中によく喋る男だ。
こういう男は――嫌いだ。
俺は剣を真っ直ぐ構える。
対して王は剣を上段に構えた。
先に動いたのは王の方だった。
力まかせの一撃。
受けるか、いなすか、それとも避けるか?
俺は一瞬でいなすことを選択する。あいての上段からの振り下ろし、それに対して刃を寝かせた剣をそえてそのまま振り下ろされた方向へとさらに力を加える。
王の力、そして俺が加えた流れるような力が加わって、王は体勢を崩す。
そこに追撃、左足での蹴り。
しかし俺の方も重心が悪かった、攻撃は軽い。圧倒的に悪手、腹部にめり込んだかに思えた俺の蹴りは、そのまま片手で掴まれる。
持ち上げられるように引き寄せられ、横に一回転。遠心力を利用して投げられた。
木にぶち当たる。
背中をしたたかに打って、息ができない。
だが止まっている時間はない、自分の失策を後悔している時間もない、迅速に動き出す。
まずはしゃがむ。
無意識に、ただ敵の攻撃をよける。
俺の頭上すれすれを、王の剣が通る。
よけた!
しかし、なにかが違う感覚がする。
なにが違う? 自分でも分からない。
しゃがみこんだ体勢から突きを放つ。
当然のごとくよけられる。
距離が離れ、いったん仕切り直し。
――なにかを、掴みかけているんだ!
だが何かが違うような感覚がずっとしていた。
戦いの中で俺は焦っている。緊張もしている。もしかしたら負けるかもしれないとすら思っている。
俺には『5銭の力』がある。金があるぶん、寿命があるぶん、死なない。しかしそれはどちらも有限だ。もしも何度も致死量の攻撃を喰らえば?
当然、スキルは発動しなくなる。
そして今、その可能性があるのだ。
俺の息はあがっている。ちくしょう、こんなときに体力のなさがあだとなる。
対して王は、まだまだ余裕そうだ。
「どうした、なにか喋れよ。それとも余裕がないのか?」
あいかわらずよく喋る。
また無視してやろうと思ったが、気になっていたことだけは聞いておくことにする。
「どうしてここにいる? お前は北陽海軍の将軍様なのだろう。左遷か?」
「ふん、それはこっちのセリフだ。お前こそ馬賊の副攬把という話しじゃないか。人材不足かよ」
「あいにくと俺もなりたくてなったわけじゃなえ。あんたはどうだよ、なりたくて将軍様になったのか」
小せえ男だぜ、と俺はそういうニュアンスを言葉にこめる。
それは相手に伝わったのだろう。
思った通り、王の顔面に青筋がたった。
対して俺は、王が怒れば怒るほどに冷静になっていく。
――それはまるで、水のように。
いまにして思えばこの前の戦いも、いまの戦いも、俺はぜんぜん冷静じゃなかった。
そりゃあ尊敬する師匠があれだけボコボコにされたんだ、焦りもするさ。
でもいまは違う。
――何かを掴みかけている。
「質問に答えよう、俺がここにいる理由はただ一つ。あの大鏡を欲しがったのは木大后様だからだ。だからこそ、この俺が直々に来た。はっはっは、北陽海軍の将軍と言っても悲しい点数稼ぎは必要なのさ」
「……そうかい」
すでにそんなことはどうでもいい。
俺の体は水のようにゆらめく。
王もその様子に気づいたのだろう、警戒するように後ずさった。
それが、決定的な勝敗の分かれ目だ。
俺は後ずさる王の歩幅と同じ分だけ前に出る。
それで王は俺との距離感を一瞬だが失ったのだろう。
だが達人同士の戦いで一瞬とはすなわち永遠と同義だ。
俺の剣が流れる水のように振るわれる。
完璧なタイミングだった。
俺が下段から切り上げた剣は、王の肩を鋭くえぐる。
しかし、さすがは王。それに一歩だけ遅れて対応した。バックステップ、からの横薙ぎ。
しかし、しかし、しかし。
そんなものは当たらない。
俺は避けすらしない。
ただ、当たらないのだ。
たとえるならば、水だ。
水に手を入れて、水はその手を避けたと言えるか?
俺はただ先を読むようにして、攻撃の当たらない場所にすでにいる――。
「お前――まさか!」
王が焦っている。
だが、どうでも良い。
俺はただ冷静になる。
冷静に、まさしく明鏡止水のごとく。
王が剣をひく。そして、俺から距離をとる。
「それでいい……どうせ戦ったところで勝ち負けは知れている」
それくらい、俺たちの実力はすでに離れている。
俺はどうしてこんな簡単なことを忘れていたのだろうか。
師匠は俺に全てを教えてくれていたというのに。
だが、人間は敗北がなければ覚えないものかもしれない。実際俺はいままでずっとそうだった気がする。
「水の教え――まさかそれを体得している者が師匠以外にいるとは」
「お前は師匠に教えてもらわなかったのかよ」
王は忌々しそうに舌打ちをする。この様子なら教えてはもらったものの、取得はできなかったのだろう。
少しだけ離れた場所から、銃声が鳴った。たぶんティンバイのモーゼルだ。
王はそちらを見てから、俺をにらみつける。
「多勢に無勢、か」
まるで自分に言い訳するようにそうつぶやく。
王は俺に背を向けなように距離をとり、そのまま脱兎のごとく尻尾を巻いて逃げだした。
俺はそれを追うことすらしない。
武人としてすでに勝敗はけっしていた。
「兄弟!」
ティンバイが木の葉をかき分けて現れた。
「終わったぞ」と、俺。
ティンバイは値踏みするように俺を見つめる。
「一皮むけたか? なんだ、雰囲気が違うな」
「どうだろうな」
こういうのをうそぶくというのだ。
完璧に分かる、俺は覚醒した。
俺はまた強くなった。これで師匠に教わった水の教えも忘れないだろう。
「シンク――」
甘い匂いがした、見ればシャネルがいた。
「うん」
シャネルを見た瞬間――おもにその胸――まるでポンッとポップコーンが弾けるような音が頭の中で鳴った。
……あれ?
なんだろう。
この、かん、か、く。
「お、雰囲気が戻ったな」
「うるせえやい!」
やべえ……消えたわ。なんだよ水の教えって。
「なあに、シンク。胸ばっかり見て。いやらしい」
「え、あ、いや。ごめん……」
そりゃあいままでよく横目で見てたけど、うーん。久々にこうしてまじまじ見るとやっぱりでけえな。
あれか、これはあれか? 命のやりとりとかしたら生存本能が高まって、種の本能として子作りをしたくなるという、あれか?
極端に言うと――むらむらするぞ!
ふう……なんだかなあ。俺ってもしかしてバカなのか?
はい、バカでした。




